専門家からは「女性たちの安全を守る」ことを“名目”にしてトランスジェンダー女性を排除することはやめてほしい、という声が上がっています。
SM歴5年の底辺M女の話だけど需要ある? とりあえずはやめられないというより、していないと生きていられない、普通を装うのが殊更に難しい人種だと思って欲しい。ストレス発散の捌け口がそこにしかないと思って欲しい。 勿論、美味しいものを食べたり綺麗な景色を見に行ったり友人に会ったりして休日を過ごすことも多い。それもとても楽しい。そうして平日は働いて、家事をし、趣味の本を読んだりして、普通の人の顔をして生きている。 ただそれらで解消されない何かが私の中にどんどんと溜まっていって、限界が来ると訳も分からずヒステリーを起こしたりする。過呼吸で倒れたこともある。普通の世界で普通に息をするだけのことがこんなにも難しい。 SMは私にすべきことをくれる。 虐げられたりそれに従うことが好きだ。自己肯定感のすこぶる低い私にとってそれらは純粋にここにいて良い理由となった。こんなに酷いことをされてそれに耐えているんだ
腹が立っているので簡潔に、ツイッターに書いたことほぼそのまま書きます。 同意のない性行為、女だから仕方ない?同意のない性行為をしてはいけないということを知らない人が多すぎる。 同意というのは「するしかないからする」ではない。そんなの同意じゃない。それは「心理的強制」だ。 抵抗すると怒られるから大人しく従って性行為をした。もちろんそれも同意じゃない。 「同意」というのは、「私、あなたとセックスしたいです。」というものだ。もしくは「あなたとセックスがしたい」と誘われた時に、おっけーしても断ってもどちらも不利になることがないような状態で、ちゃんと選択肢がある状態で「はい」と答えた場合だ。断ったら生きていけないとか断ったら殴られるとか怒られるとか、断ったら仕事を失うとかそんな状態で出てきた「はい」は同意とは言わない。 「軍人さんを慰めるお仕事だよ」と騙され連れてこられて、その場で「もう帰れないよ」
身長体重共に日本人女性平均、Bカップぺたんこぱいぱいウエストくびれなし幼児腹 容姿は正直言ってブス。 誰に例えるとか、それはそりゃひどいなって思うのからそれは盛りすぎでしょって言うのまであるわけで、自己愛と自意識に苛まれる中、ちょっとだけ、ほんのすこーしだけ、ない頭をひねって自分が傷つかない人物を思い浮かべたんだけど、やっぱやめる。このくらいのゆらぎや甘えはインターネットの片隅でぐらい目を瞑ってほしい。 なんて言うか10時のお笑い番組で仕事の疲れ癒しても癒されないっていうか、一人がヤんなっちゃうんだよな。私の日常なんてものはほんとにつまらなくて、書こうと必至に記憶を手繰り寄せて……なんてするまでもなくて。某掲示板サイトで自分語りするなら「高卒コンビニ勤務の女だけど、質問ある?」 って感じ。私の人生は質問されないと本当に私であることとそうでないことの区別もつかないような物だけど、何もないから
みなさんセックスしてますか?私は性欲0の男と結婚したので、離婚・不倫・レイプの三択でしかセックスにありつけなくなりました。 夫がセックスすることに同意すればただそれで済むだけの話なのですが、なかなかそうもいかないので、とりあえず三択のうち一番実現し易いものを選び、レイピストになることに決めました。 今日はそんなレイピスト目線で、性的同意の話でもしようと思います。 この間ツイッターで、性的同意を推進してる京大生とツイバトル(いい年してなにやってんだお前)をしてしまいまして、それに刺激されたこともあり、性的同意について書き溜めていた文章をどうにかまとめてこのブログ記事にすることにしました。 最近性的同意が話題になっているなあ、と思ったら、週刊SPA!の記事になってたのですね。後述しますが、あの記事、Genesisさん的には大丈夫なんですか?SPA!の読者層と女性のどちらにも気を遣った結果、『無
男女平等を力強く推進し、「グローバルジェンダーギャップ」のランキングを短期間のうちに駆け上がったフランス。本連載「フランスに探る男女連携社会の作り方」は、男女の〈連携〉の在り方を同国に学ぶ。 第1回となる今回は、避妊と中絶について紹介する。フランスでは避妊をする際、ピルを使うなど「女性主導」で行うケースがほとんどだという。日本の感覚とは随分違うが、実はそこに深い理由が隠されていた。 (これまでの連載記事はこちらから) 25歳でフランスにやってきて以来、男と女に関して山ほどのカルチャーショックを受けてきた。その中でも安定のベスト3に入るのが「避妊」だ。これは在住20年目の今振り返っても、変わらない。 日本で生まれ育った私にとって、避妊と言えばコンドーム。しかもそれは十中八九、男性が用意するものだった。知識としてはオギノ式(いわゆる「安全日」計算)もあったが、自分で活用したことはない。フランス
散々言われてることだけど、何が違うんだろうね。俺としては同じなんだけど 7歳くらいの時、自分が全身タイツに興奮することが分かった。モジモジくんだったか、ウルトラマンだったか、きっかけは分からないけど、テレビに全身タイツを着た芸人が出てくるたびに股間が熱くなって、親に隠すのが大変だった なんでこんなものに興奮してしまうのか。何かのバグじゃないのか。普通になりたい。でも興奮してしまう だから小さい頃、LGBTという言葉が無いころから、彼らには同情的だった。エピソードとか読むとありえん分かりみが深かった。分かりみって言葉もなかったけど そして20歳の時、自分がゲイだって気づいた。でもすんなり受け入れられた。LGBTが容認される社会風潮もあったからだけど、全身タイツという気持ち悪い「性的嗜好」を抱えていたから、「同じだな」としか思わなかった 「性的志向と性的嗜好は違う。お前らみたいな変態と一緒にし
隊長 @mtmseaside2 @eto_nekodaisuki 性的な表現に煩いのオバサンが多いと言うデータと、このツイを見てから寝たら悪夢を見て目が覚めた。 そう言えば、初めてそうなりそうな夜、デニムを脱がせたら生理パンツみたいな地味なデカパンをはいてたので、やる気無くして帰ったのを思い出した。涙が出る程傷ついた。 2018-09-14 05:22:21
何やら、毎年この時期に「新春暴論」と題した文章を書く流れになっているっぽい。「暴論」かどうかは皆さまにご判断いただくとして、今年もひとくさり。 いつもの通り長いので、要点を以下の通りまとめておく。 ◎性的少数者をあらわすことばとして最近よく「LBGT」が使われるが、他にも多様な性的少数者がいる。LGBTはこの意味で限定的な概念であり、他の多様な性的少数者を切り捨てている部分がある。特に、性的少数者の概念が提唱された当初は含まれていた、性的嗜好に関する少数者を含めていないこと、また彼らを一段下に見ているふしがあることは、社会における多様性を旗印とするLGBTの主張との間に齟齬があるように思われる。 ◎小児性愛やレイプなど、実行すれば犯罪となる行為を描いたマンガ、ゲームなどの創作物を消費する一部のオタクは、これにより自らの性的嗜好を実行に移すことなく充足させ、社会と共存している性的少数者といえ
全四部構成で、第一部・第二部がフェミニズムによって男性の暴力性に自覚的になった結果、ストレートな異性愛フィクションを受け付けられなくなった現象の話です。 第三部・第四部はそこから発展して、それぞれ家族の概念の話と贈与論の話などになっております。
サントリーウエルネスのウェブ広告は、以前から不快に思っていました。 あまりに不快なので、視界に入るたびにむかむかして舌打ちするか、すぐに目をそらしてしまうんですけど、この不快さをみんなと共有してサントリーウエルネスをこの世界から滅ぼしたいので(笑)、ここでいくつか取りあげてみます。 サントリーウエルネスの狡猾なところは、あれだけ煽情的で不快な広告を出しておきながら、販売サイト本体ではきわめて穏当な作りをしている点です。これでは販売サイトを見ても、あの不快な広告を指摘することができません。また、広告という性質のため、見たくないときにはむりやり見せつけられるのに(笑)、画像検索ではなかなか見つけられません。幸いにして(?)、この広告画像を保存してブログ等に転載されているかたがいらっしゃるので、そこから掘りだすことができました。 サントリーウエルネスは、いくつかの取り扱い商品について広告を出して
大学で生物学を学んでいた。人類学の教授が「生殖可能な年齢に達した個体に対して性的感情を抱くのは生物として極めて正常」と言っていたのを良く覚えている。 今、児童ポルノがどうこうとか、必死になって煽っている正体不明の団体がたくさんあるみたいだけども、初潮を迎えて子供を生める「少女」に対して性的に興奮するのは当たり前じゃないのかな? ここでいうロリコンは、18歳以下の少女に対して性的興奮を催す人間を一くくりで指しているけれども、そもそも少女が18歳になった瞬間何らかの変化が起こって生殖可能になるなんてありえない話しで。 今のところ、生物の究極的な目的がなんであるのかはまったく分かっていないけれども(そもそもそんなものない、と考えている研究者も沢山いる)、大部分のコンセンサスを得ているのは、生物は自己の遺伝子の増殖を最大限にするということだけ。男性側からみると、35歳以上の女性とセックスをして子供
男が風俗嬢を見下す心理メカニズム 心のどこかで風俗嬢に欲情している男たちは、うしろめたさを感じている。 羞恥を感じているし、罪悪感を感じている。 そして、あろうことか、風俗嬢に密かに欲情する男たちは、 風俗嬢を見下すことで、 その恥辱と罪悪をすべて風俗嬢に押しつけてごまかすのだ。 彼女たちに密かに欲情する醜悪な自分を隠蔽して、自尊心を守ろうとするのだ。 それでは、これらのうしろめたさや罪悪感は、どこから来たのか? それは、恋愛の崇高さの裏返しなのではないだろうか? 恋愛は崇高なものであるし、その恋愛において「男女の肉体関係は崇高なものだ」という前提をわれわれは心のどこかに持っている。「女性が男性に肉体関係を許す」ということは重大な意味と価値を持っている。*1 だからこそ、強制わいせつ罪やレイプは、重大な犯罪であり、それらの罪を犯した男性は、社会的に抹殺される。 そのように、社会全体の倫理体
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