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内田樹に関するd346prtのブックマーク (54)

  • セックスワーク-「セックスというお仕事」と自己決定権 - 内田樹の研究室

    20年ほど前に性についての倫理を主題にした論集に「セックスワーク」についての寄稿を求められた。まったく不得手な論件だったけれども、苦心して書いた。なんというだったか忘れてしまった。たしか岩波書店から出た論集だと思うけれども、もう手元にない。 考えていることは昔と変わらない。今はもうこんなにきつい書き方はしないと思うけれど。 はじめに 最初に正直に申し上げるが、私自身は、セックスワークについて専門的に考究したこともないし、ぜひとも具申したいような個人的意見があるわけでもない。ときどき、それに関する文章を読むが、数頁(場合によっては数行)読んだだけで気持ちが沈んできて、を閉じてしまう。困ったものではあるが、私を蝕むこの疲労感は、必ずしも個人的なものとは思われない。 私の見るところ、この問題については、どなたの言っていることにも「一理」ある。ただし、「一理しかない」。異論と折り合い、より広範

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    d346prt 2022/07/02
    上野千鶴子の政治的な正しさは尊敬するが好きになれない部分がこれで、そこを上手に言語化してくれている。ホント昔の内田樹は問題の切り分けるのに長けていた。
  • アパルトヘイトをめぐるThe Daily Beast の記事から - 内田樹の研究室

    曾野綾子が産経新聞のコラムに掲げた「アパルトヘイト支持」発言について、海外のメディアはこれを大きく取り上げない日の主要メディアと政府の不誠実さに対してつよい懸念を抱いている。 一人の人間が人種差別的な思想の持ち主であることは、その想念がその人の脳内にとどまる限り咎めることはできないし、咎めるべきでもない。けれども、それを公開するときは、それが伴う「社会的責任」がどのようなものかを意識する必要がある。大人なら、誰でもそうしている。 曾野綾子の知性が不調なのは、彼女の個人的信念が世界標準では「許されない非人道的なもの」として認定されているという「事実」を勘定に入れることを怠った点にある。 そして、さらに問題なのは、このように低調な知性の持ち主に定期的なコラムを掲載していた新聞が存在し、そのような人物を教育政策の諮問機関に「有識者」として登用してきた政府が存在するという事実の方である。 個人の

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    d346prt 2015/02/19
    当人達は何を非難されているのか理解できてないのかね。
  • 2015年の年頭予言 (内田樹の研究室)

    あけましておめでとうございます。 年末には「十大ニュース」、年頭には「今年の予測」をすることにしている(ような気がする)。ときどき忘れているかもしれないが、今年はやります。 今年の日はどうなるのか。 「いいこと」はたぶん何も起こらない。 「悪いこと」はたくさん起こる。 だから、私たちが願うべきは、「悪いこと」がもたらす災禍を最少化することである。 平田オリザさんから大晦日に届いたメールにこう書いてあった。 「私は大学の卒業生たちには、『日は滅びつつあるが、今回の滅びに関しては、できる限り他国に迷惑をかけずに滅んで欲しい』と毎年伝えています。来年一年が、少しでも豊かな後退戦になるように祈るばかりです。」 これから私たちが長期にわたる後退戦を戦うことになるという見通しを私は平田さんはじめ多くの友人たちと共有している。 私たちの国はいま「滅びる」方向に向かっている。 国が滅びることまでは望ん

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    d346prt 2015/01/02
    エントリはいつもの内田節で「まあ、そういう見方あるよね」と「展開が上手いなぁ」って感じだが、反論してるつもりなブコメが全然内容を読み取れてないのに萎える。
  • 法治から人治へ - 内田樹の研究室

    安倍政権は集団的自衛権の行使について、行使の範囲を明確にしない方向をあきらかにした。 「行使を容認できるケースを『放置すれば日の安全に重大な影響が及ぶ場合』と定義し、これが自衛権を発動できる『わが国を防衛するための必要最小限度の範囲』に入ると新たに解釈する。『重大な影響』『必要最小限度』の基準が何を指すかは解釈変更後の政策判断や法整備に委ねる。 今の政府解釈は、武力行使が許される必要最小限度の範囲を『わが国が攻撃(侵害)された場合に限られる』と明示し、個別的自衛権だけ認めている。政府原案は、これに集団的自衛権の一部が含まれると新たに解釈するものだ。政府は解釈変更後に個別の法律で行使の範囲を示し、法で縛ることで行使は限定されると説明する方針。だが、憲法上の解釈が『安全に重大な影響』と曖昧では、時の政府の判断で範囲が際限なく広がる可能性があり、歯止めはなくなる。 政府原案では、憲法九条の下で

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    d346prt 2014/04/19
    "中国と北朝鮮の統治スタイルに日ごと酷似してきていることに安倍支持層の人々がまったく気づいていないように見える" ホント不思議だよねー
  • 内田樹は3年前に何と言っていたか?

    はてなブックマークで内田樹の参院選についての感想記事が人気を集めている。 参院選の総括http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tatsuru.com/2013/07/23_0850.php現に、今回の参院選では「ねじれの解消」という言葉がメディアで執拗に繰り返された。それは「ねじれ」が異常事態であり、それはただちに「解消されるべきである」という予断なしでは成り立たない言葉である。だが、そもそもなぜ衆参二院が存在するかと言えば、それは一度の選挙で「風に乗って」多数派を形成した政党の「暴走」を抑制するためなのである。選挙制度の違う二院が併存し、それぞれが法律の適否について下す判断に「ずれ」があるようにわざわざ仕立てたのは、一党の一時的な決定で国のかたちが大きく変わらないようにするための備えである。言うならば、「ねじれ」は二院制の質であり、ものごとが簡単に決まらないこ

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    d346prt 2013/07/23
    むしろこういう言説で一貫しているものを見てみたい。 そのうち、この三年間を整合させるネタを仕込んでくるに違いない。 真反対て程でもなく、170度くらいの違いなら余裕かと。
  • セックスワークについて - 内田樹の研究室

    寺子屋ゼミで「セックスワーク」についてゼミ生から質問を受けた。 「話すと長い話になるから」ということでその場はご容赦願ったのであるが、橋下発言をめぐって「セックスワーク」についての原理的な確認をしておきたいと思って、筐底から旧稿を引き出してきた。 2003年に『岩波応用倫理学講義』(金井淑子編、岩波書店)に書いたものである。 そこでは社会学者たちの「売春擁護論」に疑問を呈した。 同じ疑問を私は今回の橋下発言をめぐる賛否のコメントについても感じている。 セックスワーク-「セックスというお仕事」と自己決定権 はじめに 最初に正直に申し上げるが、私自身は、セックスワークについて専門的に考究したこともないし、ぜひとも具申したいような個人的意見があるわけでもない。ときどき、それに関する文章を読むが、数頁(場合によっては数行)読んだだけで気持ちが沈んできて、を閉じてしまう。 困ったものではあるが、私

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    d346prt 2013/05/29
    「現実が複雑なときに、むりにこれを単 純化してみせることに、いったい何の意味があるだろう」
  • 『菊と刀』と領土意識について (内田樹の研究室)

    寺子屋ゼミで『菊と刀』についての報告を聞いて、ディスカッション。 もうずいぶん久しく手にとっていないけれど、引用箇所を読み返すと、ほんとうによくできたである。 ツイッターにも書いたけれど、ルース・ベネディクトはこの文化人類学的研究を文献と日系市民からの聞き取り調査だけでなしとげた。研究の依頼主はアメリカ国務省戦時情報局海外情報部。 戦争に勝つためにアメリカには敵国戦争指導部の意思決定プロセスを知る必要があったし、さらに進んで戦勝後の日占領のために日人の考え方・感じ方をしっかり把握しておく必要があった。 同じ種類の仕事を大日帝国の戦争指導部が行っていたのかどうか。 していなければならないはずである。 だが、外務省の外交史料館や防衛研究所のアーカイブを見ないとわからないけれど、たぶんないと思う。 それがないというのは、はじめから「戦争に勝つ気がなかった」ということである。 だから負けた

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    d346prt 2012/12/27
    『 「ここを譲ったら、あとはずるずるだ」という論に日本人は弱い』
  • 内田樹の研究室

    ローカリズム宣言 地方移住のための情報誌「TURNS」で2年間ほど連載していたインタビューを採録しました。グローバル資主義の終焉、少子高齢化による過疎化と限界集落化という現実を踏まえて、「地方移住・帰農・山河の回復」というオルタナティブについて提言をしております。 昨日うかがった話では、地方移住支援のためのある NPO の窓口を訪れた人は去年一年で 25,000 人、10 年前の 10 倍にのぼるそうです。半数以上が 20 代 30 代とのこと。 この趨勢はもう止まることがないでしょう。 デコ/2017-12-07 変調「日の古典」講義 安田登さんと二人であちこちで行った対談の集成。話題は『論語』から能楽まで多岐にわたります。安田さんが何か驚くべきことを言うとこちらも負けじとさらに驚くべきことを言い、安田さんがそのような挑発を受け流すはずもなく、さらに驚くべき話で切り返す・・・という悪

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    d346prt 2012/09/02
    "「一攫千金」話"という表現が秀逸。
  • 相互扶助と倫理について - 内田樹の研究室

    片山さつき議員による生活保護の不正受給に対する一連の批判的なコメントが気になる。 「相互扶助」ということの義に照らして、この発言のトーンにつよい違和感を持つのである。以下は朝日新聞の報道から。 人気お笑いコンビ「次長課長」の河準一さんの母親が生活保護を受けていたことが、週刊誌報道をきっかけに明らかになった。4月12日発売の週刊誌「女性セブン」が最初に匿名で報じた。「推定年収5千万円」の売れっ子芸人なのに母親への扶養義務を果たさないのは問題だ、と指摘した。翌週にはインターネットのサイトが河さんの名前を報じ、今月2日に自民党の片山さつき参院議員が「不正受給の疑いがある」と厚生労働省に調査を求めたことをブログで明かすと、他の週刊誌や夕刊紙が相次いで取り上げた。 報道を受け、所属事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシーは16日、コメントを発表。河さんの母親が生活保護を受けていたことを認

  • ミドルメディアの時代 - 内田樹の研究室

    出版社からいろいろが送られてくる。 「ぜひご高評賜りたく」というようなことが書いてある。 でも、よほどのことがないと書評は書かない。 つまらなければそのままゴミ箱に放り込み、面白ければ酔っぱらいながらでも読み進み(翌朝内容をすっかり忘れている)というような自分勝手な読み方は書評家には許されないからである(当たり前だが)。 だから、これまでにいくつかの新聞社や出版社から書評委員になってほしいというオッファーが来たけれど、全部お断りした。 それでも、は毎日のように送られてくる。 でも、年末から久生十蘭が「マイブーム」なので、送られてきたまでなかなか手が回らない。 でも、面白そうなは「寝ころんで休憩」というときにぱらぱらとめくることがある。 たまたま手に取った『2011 年 新聞・テレビ消滅』(佐々木俊尚、文春新書)がたいへん面白かった。(注:最初『2010年』と書いていました。訂正しま

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    d346prt 2010/01/11
    確かに主役では無くなってきてるよね。/既存メディアが「終わらない」のを「変わらない」とすり替えるのも、そろそろ限界かも?
  • 坂本龍馬フィーヴァー - 内田樹の研究室

    朝刊を開いたら、一面の下の書籍広告がぜんぶ坂龍馬関係の書籍だった。 書店に行っても坂龍馬関係のばかりがずらりと並んでいる。 私たちの国では、システムや価値観のシフトが時代の趨勢としてやみがたいという「雰囲気」になると、ひとびとは幕末に眼を向ける。 地殻変動的な激動に対応した「成功例」として、私たちが帰趨的に参照できるものを明治維新のほかに持たないからである。 日人がある程度明確な「国家プラン」をもって集団的に思考し、行動した経験は維新前夜だけである。 それはアメリカ人が社会的激動に遭遇するたびに「建国の父たち」を想起するのと似た心理機制なのかも知れない。 司馬遼太郎によると、坂龍馬の名前はひとにぎりの旧志士たちのあいだでこそ知られていたが、明治中期にはもうほとんど忘れ去られていた。 それが国民的な知名度を得たのは、日露戦争前夜の1904年、皇后の夢枕に白衣の武士が立ち、来るべき戦

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    d346prt 2010/01/10
    龍馬が魅力的なのは当然の帰結ってことね。/ましてや福山が演じるとなれば…
  • 及び腰ストラテジー - 内田樹の研究室

    普天間基地の移転問題がなかなか解決しない。 問題がなかなか解決しないのは、誰もが満足できるソリューションが存在しないからである。 当たり前のことを言うな、と言われそうだが、「誰もが満足できるソリューションが存在しないとき」に「早く、誰からも文句のでない決定を下せ」と言い立てるのはあまり賢いふるまいとは思えない。 「できるなら、しているよ」 ということである。 「先送り」というのはひとつのアイディアである。 これについてはかつて春日武彦先生から含蓄のあるお話しをうかがったことがある。 精神科に通ってくる患者の中にはしばしば家族関係のしがらみで「どうにも身動きならない」という窮状にあるものがいる。 あちらを立てればこちらが立たずという状況である。 そういうときには「先送り」するという手が有効だと春日先生はおっしゃっていた。 先送りにしているうちに、原因となっていた家族の誰かが死んだり、入院した

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    d346prt 2009/12/20
    実際、簡単に決められる問題でもないんだよね。/「早く決めろ」って人は、他人事なのか、片方の利害しか考えてないか、なのかもね。
  • 人間はどうして労働するのか - 内田樹の研究室

    『日の論点2010』(文藝春秋)が届いた。 そこに「労働について」一文を寄せている。 こんなことを書いた。 「働くとはどういうことか」 編集部から「働くとはどういうことか」というお題を頂いた。この問いがトピックとなりうるという事実から私たちはさしあたり次の二つのことを推論することができる。 (1)「働くことはどういうことか」の定義について、現在のところ一義的な定義が存在しない(あるいは定義についての国民的合意が存在しない)。 (2)そのことが「うまく働けない」若い人たちが存在することの一因だと思われている。 だが、「働くとはどういうことか」についての一義的な定義や国民的合意が存在しないことを私は特に困ったことだと思っていない。その理路を述べたいと思う。 人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹が

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    d346prt 2009/12/20
    長い…/労働観の語順が違う話。/あげ足取りなブコメ多いな…
  • 動的平衡な夜 - 内田樹の研究室

    「死のロード」が終わり、月曜は「今年最後の出稼ぎ」。 朝カルで福岡伸一ハカセと対談。 福岡ハカセはご自身を「ハカセ」と称し、また私のことを「内田センセイ」と表記されているのはご案内のとおりである。 この「ハカセ」という自称には福岡先生の自然科学に対する深い愛着とクールな批評性の両方がこめられていて、私はこの文字を見るたびに、胸の奧が「ぽっ」と暖かくなる。 福岡ハカセ自身も、お会いするたびに「ぽっ」と胸の奥が暖かくなるような方である。 「センセイ」にも同様の文学的余情がある。 新刊はお互いに送り合っており、そのつどそれぞれの書評コラムで「めちゃ面白いです」と「ほめっこ」しているのもご案内の通りである。 そういうフレンドリーかつハート・ウオーミングな「仲良し」二人なのであるが、忙しくてなかなかお会いする機会がなかった。 今般は朝カルの森さんのオハカライで1年半ぶりくらいのご対面となった。 今

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    d346prt 2009/12/15
    「変化はその極限で同一性に帰着する」から「資本主義社会の実相なのだ」へ繋げる力技が面白い。/それを自ら「支離滅裂な」と評するとこも含めてね。
  • 今年最後の死のロード - 内田樹の研究室

    年最後の死のロード。 これで旅は終わりである。あとは大学の務を果たし、年賀状を書き、煤払いをして晴れて年越しである。 早起きして東京へ。今年最後の多田先生の研修会。 半年ぶりくらいである。 そのあとも無理すれば行けないこともない日曜も2,3度はあったのだが、あまりに疲れて、家で死に寝していたのである。 今週は今年最後であるので、死力を振り絞って部道場に出かけた。 道場に入って、道着に着替え、同門の諸君と挨拶をかわしていると、なんだか元気になってくる。 のぶちゃん、工藤君、ツッチー、闇将、山田先輩、ブルーノくん(ひさしぶりだね)、大田さん・・・といつもの顔を見ると、なんだかほっとする。 多田先生が道場に入ってこられると、道場がさっと「明るくなる」。 ほんとに。 白い淡い光のようなものが多田先生といっしょに道場に入ってくるのである。 端座している先生をみつめていると、先生の体感に同調して

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    d346prt 2009/12/15
    『「資本主義はもう終わりかな・・・」ということについての暗黙の合意』/確かにパスを出せる用意はできてない。
  • アドベントの死のロード - 内田樹の研究室

    今年最後から二番目の東京「死のロード」。 初日のスケジュールは両国で、ちゃんこをべて「相撲甚句」を聴きながら中沢新一さんとの対談シリーズ最終回。 どうして「ちゃんこ相撲甚句」という設定になったのかは不明。 中沢さんとの対談は4回目、ここまで霊性、死と演劇、異界とのインターフェイスと続いた最終回は農業と贈与経済の話になる予定だったのだが、相撲甚句を聴いているうちに、古代芸能の話になり、国見国誉めの話になり、在原業平の性的冒険と異族混血戦略の話になり、アフリカの遺伝子がどうやって日列島にたどりついたかという話になり、熊楠と昭和天皇のキャラメル箱の話になり、文字通り話頭は転々して奇を究めて、たいへん面白かった。 中沢さんは「知らないことはない」博覧強記の人である。何を訊いても「それはね」とすぐに答えてくれる。守備範囲はハイカルチャーからサブカルチャーまで、時代物から世話物まで、聖俗の全域にわ

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    d346prt 2009/12/12
    アラフォー世代の刻印。
  • 受け売り屋往来 - 内田樹の研究室

    土曜日は朝、三宅先生のところで治療。 それからほんとうにひさしぶりに合気道の芦屋でのお稽古。 夕方から例会。 参加者は少ないが、ベストメンバーに近い。 勝率4割の画伯、それを追うホリノさん、かんきちくん、シャドー影浦、そして総長はみな勝率3割超である。 麻雀の勝率は野球の打率とだいたい同じと考えてよい。 メジャーリーグでは4割打者は1941年のテッド・ウィリアムスを最後に出ていない。日のプロ野球史上には存在しない。 甲南麻雀連盟では 07 年にジロちゃんが4割2分3厘、08 年にドクターが4割1分2厘で4割雀士は歴史上二人存在する。 09 年度には画伯が3人目の4割雀士になるかどうか注目される中で、画伯は今回も絶好調で、3戦2勝とさらに勝率を上げてしまった。 例会はあと一回。 これはどうやら逃げ切られそうである。 総長はなんとか3割台に乗せたので、勝率ベストスリーには滑り込めそうである。

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    d346prt 2009/12/09
    「「受信者」の利益を中心に学問が考想されている社会の国情には合わない」ホント、利用者を蔑ろにした権利者の主張には違和感を感じる。
  • アイルランド辺境論 - 内田樹の研究室

    雨の中、新横浜へ。 足立さんの仕切りで、二誌の取材と広告用写真撮影。 最初はサンケイ新聞。 『日辺境論』について語る。 訊かれるたびに違う話をしているので(退屈だから)、だんだん混乱してきて、自分が何でこんなを書いたのかわからなくなる。 写真撮影のために、いろいろポーズを取る。 個人的には “Arc” の表紙のメルロー=ポンティのポーズ(眉をしかめて煙草にマッチで火を点けているところ)を真似したいのだが、煙草を吸っている写真というのは当世では「政治的に正しくない」画像だそうで、ただちに却下される。 続いて『Engine』のスズキさんがおいでになる。 ヨーロッパにおける辺境といったらどこでしょうね、という問いから、「アイルランド」じゃないかなという話になる。 私はアイルランドについては何も知らないけれど、ローマ帝国によるヨーロッパの「開化」とキリスト教化によって周辺に押し出された「原ヨー

  • 鳥取 revisited - 内田樹の研究室

    倉吉東高校に講演に行く。 この高校の芝野先生という方がたいへん熱心な「ウチダ読者」で、ご招請いただいたのである。 増田聡くんによると、「たいへん熱心なウチダ読者」のことを業界の一部では「タツラー」というそうである。 ええ、そうなの〜 「ウチダー」よりはいいでしょうと増田くんは言う。 まあそうだけど。 とにかく、その先生の音頭取りで全校をあげて「ウチダ」を読む運動を展開されているらしい。 生徒たちはしかたなく近くの書店に行って「ウチダタツルのありますか?」と訊くことになる。 倉吉の書店の人も次々に高校生がやってきてはウチダを求めるので、さぞや驚かれたであろう。 そのせいで倉吉の書店では「内田樹コーナー」を作ったそうである。 リバプールでレコード屋をやっていたブライアン・エプスタインのところにある日レイモンド・ジョーンズという少年が来て、「ビートルズのレコードある?」と訊いた。 ブライア

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    d346prt 2009/12/05
    「自発的な選択による定型化を個性と勘違い」してる人を気持ち悪いと思ってきたけど、それから「逃れなられない」からなのね。
  • 寛也さんが来た - 内田樹の研究室

    水曜日は鶴澤寛也さんの講演とワークショップ。 寛也さんは今年の4月のアートマネジメント副専攻のインターンシップの受け入れ先を矢内賢二さんに探してもらったときに、「渡りに船」というか「地獄で仏」というか、そういうタイミングでインターン生たちを受け容れてくださった方である。 当日、私は別の仕事があって、打ち上げの席に後から参加して、そのときはじめてお目にかかったのである。 江戸前の、まことに粋な方で、私は衝撃のあまりブログ日記に「玲瓏なる美女」と、ふだんあまり用いない形容詞を動員したほどであった。 そのときに、今度『考える人』のインタビューに出てくださいとお願いしたらご快諾いただき、『考える人』のときには、今度大学に来てワークショップしてくださいとお願いしたらご快諾いただき・・・というふうに「とんとん」と話がまとまってその日を迎えたのである。 ワークショップにはもう少し学生たちが集まってくれる

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    d346prt 2009/11/29
    「 「ソリューション」は解決できない。 私たちが解決できるのは「問題」だけである。」