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スポーツで競技の外的な意図は排除されなければならない。今回のロンドンオリンピック(五輪)でも、今になって競技の外的な問題が物議を醸している。過去のオリンピックの歴史は、競技の勝利が体制やイデオロギーの優位・光栄として見なされるという辛さを経験をしてきた。このような弊害を阻むために、国際オリンピック委員会(IOC)は憲章50条を通じて「いかなる種類のデモまたは政治的・宗教的・人種的宣伝」を遮断して来た。 朴種佑(パク・ジョンウ)の“独島セレモニー”が論議を呼んでいる理由もここにある。競技の後、観衆が渡した「独島(ドクト、日本名・竹島)は韓国の領土」と書かれたピケットを持ってパフォーマンスを行ったことがオリンピック精神に背くというのだ。ところでこれと似たセレモニーは2000年シドニーオリンピックでもあった。女子陸上400メートルで金メダルを獲得したキャシー・フリーマンがオーストラリア原住民の旗
ロンドン五輪が閉幕した。心配されたテロはなく、競技も順調だった。英国自身も金メダル29個を獲得し、大会を見事に成功させたといえる。 開催前は、成熟都市ロンドンで3回目の五輪を開催する意義に疑問を呈する意見もあった。それはそのまま、東京がめざす2020年の五輪招致を疑問視する声でもあった。 ロンドンの成功を追い風に、東京の招致成功に結びつけたい。 国際スポーツ大会の開催実績が安心してスポーツを楽しむ環境づくりに欠かせないことを、ロンドンは実感させてくれた。東京の実績も十分に世界に誇れる。 開催国の競技力が大会の盛り上がりに重要なことも英国は実証した。自国がメダルを取るごとに、英国民の興奮は増していった。 日本選手団も過去最多だったアテネ大会の37個を上回り、38個のメダルを獲得した。競泳や女子サッカーに代表される団体競技・種目の奮起が大きかった。日本が世界と戦えることを示す数字だ。 一方、「
連日、ロンドン五輪のテレビ中継で寝不足が続いている。サッカーやテニスさえ日頃は観戦することもない私にとって、体操、競泳、フェンシングなどはオリンピックでもなければ目にする機会もない競技である。それでも、衛星中継を見ながら日本人選手の活躍に一喜一憂してしまう。 しかし、翌日の朝刊の1面に「誓いのメダル」や「奇跡とは呼ばせない」などの大見出しを掲げた記事を見ると正直げんなりしてしまう。もちろん、勝利の余韻にひたりたい読者も少なくないのだろう。国民的一体感を共有できるお祭りなのだからという声も理解できなくはない。 だが、「オリンピック休戦」が行われているわけでもなく、国内外の重要な政治・経済ニュースは数多く存在している。スポーツ記事にそれを退けて報じるべき内容が本当にあるのだろうか。 この問題を考えるとき、立ち返るべき古典的論文は、ウィルバー・シュラム「ニュースの本質」(1949年)である。シュ
〈ロンドン五輪〉レスリング男子55キロ級フリースタイル、ヤン・キョンイル選手が銅メダル獲得 2012年08月11日 09:40 スポーツ 主要ニュース 現地時間10日に行われたレスリング男子55キロ級フリースタイルで朝鮮のヤン・キョンイル選手(23)が銅メダルを獲得した。 ヤン選手は、初戦で世界選手権優勝経験のあるウズベキスタンの選手に競り勝ちベスト8に進出。しかし、準々決勝では金メダルを獲得したロシアの選手に敗れた。 敗者復活戦に回ったヤン選手は、ナミビアの選手に危なげなくテクニカルフォール勝ちすると、銅メダルをかけた3位決定戦でもカザフスタンの選手を力と体の柔軟さで圧倒し、テクニカルフォール勝ちした。 これで朝鮮のメダル獲得数は金4つ、銅2つとなった。 朝鮮選手が出場する競技は残り2つ。11日のレスリング男子60キロ級フリースタイルにリ・ジョンミョン選手(27)が出場する(日本時間22
悪いジンクスを断ち切った。新しい歴史が刻まれた。洪明甫(ホン・ミョンボ)監督率いる韓国五輪代表が日本を破り、初めてオリンピック(五輪)銅メダルを獲得した。 韓国代表は11日午前(日本時間)、英カーディフのミレニアムスタジアムで行われたロンドン五輪サッカー3位決定戦で、前半38分に朴主永(パク・ジュヨン、27、アーセナル)、後半12分に具滋哲(ク・ジャチョル、23、アウクスブルク)がゴールを決め、2-0で勝った。韓国は1948年ロンドン五輪に初めて出場して以来、64年目にして初めてサッカーでメダルを獲得した。 この日、韓国は‘国際大会4位’のジンクスも破った。韓国サッカーは1983年U-20(20歳以下)ワールドカップ(W杯)、2002年韓日W杯で4強に進出した。ともに韓国サッカーの歴史を新たに刻んだ快挙だった。しかし4位に満足しなければならなかった。両大会ともに準決勝で敗れ、3位決定戦でも
始まった女子レスリング、伊調馨はさすがにいい調子(※このしゃれは著作権フリーですので、自由にお使いください。)で3連覇、国民栄誉賞も視野に入ってきました。小原日登美も涙の金メダル。 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012080900048 伊調はアテネ、北京両五輪に続く優勝で、全競技を通じ日本女子で初めて五輪3連覇を達成した。31歳で初出場の小原は日本勢としてこの階級を初めて制した。 決勝で伊調は昨年の世界選手権3位の景瑞雪(中国)に2−0で快勝。小原は北京五輪銅メダルのマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)に第1ピリオドを先取されたが、逆転した。 (時事) そんな女子レスリングの歴史も詳しく描いているのが 日本レスリングの物語 作者: 柳澤健出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2012/05/25メディア: 単行本 クリック: 20回この商品を
【ソウル=篠ケ瀬祐司】ロンドン五輪で「予想外」の好成績をあげている北朝鮮。重量挙げでは三つの金メダルを獲得し、怪力ぶりで世界を驚かせた。本紙で「平壌ウオッチ」を連載する元朝鮮労働党幹部、呉小元(オソウォン)氏は「力の源は牛乳にあるのではないか」と分析する。 呉氏によると、中国との国境に近い北朝鮮平安北道・龍川には「金ファミリー」用の牛乳を生産する「九号牛乳牧場」があり、平壌に送った残りの牛乳が、地元の子どもたちが所属するスポーツクラブに支給される。 「(北朝鮮で)庶民が見たこともない牛乳やバターなどの乳製品をとって育った龍川スポーツクラブの子どもたちの体は、他地域の子らと比べてがっしりしていた。龍川のクラブは伝統的に重量挙げに力を入れていることもあり、この種目の国家代表選手には龍川出身者が多かった」と呉氏は振り返る。他の競技でも北朝鮮では国家代表選手に限り、牛乳に天然の塩を混ぜて飲んでいた
ロンドンからうれしい「金メダル」の便りが届いた。もちろん、柔道ではなく映画の話である。権威ある映画雑誌「サイト・アンド・サウンド」が発表した「映画監督が選ぶベスト映画」の第1位に小津安二郎の「東京物語」が選ばれたのである。 ▼2位以下は、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」など巨匠たちの錚々(そうそう)たる作品ばかり。小津ファンのはしくれとしてうれしい限りだが、なぜ、数ある作品の中で60年前の「東京物語」が高く評価されているのだろうか。 ▼物語は、尾道の老夫婦が息子や娘に会いに旅支度するところから始まる。はるばる東京にやってきたが、子供たちは自分たちの生活に忙しく、戦死した次男の嫁に面倒をみさせる。尾道に帰った後、妻は急逝し、子供たちは葬儀が終わるとそそくさと帰京する。 ▼とまあ、文字にすれば何の変哲もない話だが、小津調といわれる映像と、笠
〈ロンドン五輪〉ウエイトリフティング女子69キロ級、リム・ジョンシム選手が金メダル獲得 2012年08月02日 00:59 スポーツ 主要ニュース 大会6日目(現地時間1日)、ウエイトリフティング女子69キロ級で朝鮮のリム・ジョンシム選手(19)が金メダルを獲得した。今大会、朝鮮の金メダルは4つ目。朝鮮の10代の金メダリストは個人競技としては3人目(96年柔道のケ・スニ選手、08年体操のホン・ウンジョン選手。男子はなし)。 リム選手はスナッチで115キロに成功し15人中1位タイの位置につけた。 クリーン&ジャークでは、ほとんどの選手が3回の試技を終え、重量が142キロに上がったところで登場。これをあっさり成功させた。残りの選手がリム選手の記録を上回れず、3度目の試技を残して金メダルが決まった。 観衆の大声援を受け、リム選手は3度目の試技で146キロを成功させ、トータル261キロを記録した。
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿もちも美味しうございました」 こう始まる遺書を残して円谷幸吉選手は自らの命を絶った。 1964(昭和39)年の東京五輪。マラソン(当時は男子のみ)で銅メダルを獲得、日本中を沸かせた男である。 国立競技場に、先頭のアベベに続いて入ってきた円谷選手はトラック内でドイツのヒートリーに抜かれ銅メダルに終わる。最後の最後に抜かれたが、彼は一度も後ろを振り向かなかった。父親から「男は後ろを振り向くな!!」と言われ続けてきたからだという。 東京五輪最終日に展開されたこの劇的なドラマは、中学1年生であった私に鮮明な記憶として残っている。特別に華々しいパフォーマンスをすることもなく淡々と表彰台に登り、少し照れ臭そうに優しく手を挙げて大観衆に応えていた。開催国日本の陸上界唯一のメダルであった。 そして、期待と重圧の中で迎えた4年後のメキシコ五輪、68(昭和
ロンドン五輪で柔道女子の松本薫選手が日本の金メダル第1号を獲得した瞬間、背筋がぞくぞくした。 サッカー男子が“無敵艦隊”スペインに続いて強豪モロッコを下した時も、同じように感激した。 日本から1万キロ近く離れた会場から臨場感が肌に伝わり、感動と興奮を共有できる理由は一つだ。彼ら、彼女らが日の丸を背負って、「われらの代表」として世界の強豪と戦っているからだろう。 国旗・国歌に批判的な人も日本人が表彰台に立てばうれしくなるのが同胞意識であり、自然な愛国心だ。五輪がもたらす胸のときめきの源泉には、そういう素朴なナショナリズムの絆があるのだと思う。 日本選手団の先頭で旗手を務めた吉田沙保里選手が「国旗の重みを感じています」と語った言葉も、そんな思いがにじみ出たのだろう。 しかし、そうした感情を権力者はしばしば国際政治に利用しようとする。前回(2008年)の北京五輪は、ものものしい「護衛隊」つきの聖
予想通りというか、日本の金メダル1号は女性だった。柔道女子の松本薫選手はまだ24歳のお嬢さんである。ところがつけられた愛称は「野性児」だという。確かに「ウルフ」と呼ばれた元横綱・千代の富士を思わせる眼光の鋭さなど、野性味あふれるお嬢さんだ。 ▼顔つきだけではなく、人並みはずれた闘争心の持ち主だそうだ。6年前の世界ジュニア選手権では、1回戦で鼻骨を折って負けた。だが「死んだわけじゃない」と鼻に綿を詰めただけで敗者復活戦に臨んだという。頼もしいかぎりの「肉食系女子」である。 ▼そうかと思うと、女子の重量挙げで初のメダルを獲得した三宅宏実選手は、あどけなさも残る26歳である。それが、50キロ足らずの体で100キロを超えるバーベルを挙げてしまう。こちらも見ていて涙が出てきそうな頼もしさだった。 ▼日本の女性も力強くなったものよと思うが、実は今に始まったことではない。例えば94年前、大正7年の米騒動
ケー・スンヒ(桂 順姫、Kye Sun-hi、1979年8月2日 - )は、北朝鮮・平壌直轄市出身の女子柔道家。身長158cm。1996年アトランタオリンピック柔道女子48 kg級金メダリスト。48 kg級、52 kg級、57 kg級の3階級で活躍した[1][2]。 北朝鮮国内においては最高勲章である金日成勲章と労働英雄の称号を受けている[3]。 経歴[編集] 柔道は10歳の時に始めた。1995年には48 kg級の選手ながら国内の無差別大会で優勝を飾っている[4]。 牡丹峰高級学校に在籍していた1996年には、ワイルドカードにより16歳で初出場したアトランタオリンピック女子柔道48キロ級で、この階級で84連勝を記録していた、田村亮子(のちの谷亮子)を破って金メダルを獲得し[1][4]、世界を驚かせた[5][6][7][8]。帰国後金正日から「人民体育人」の称号と豪華な乗用車や高級アパート、
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