『存在と時間』では、カントの第一批判に倣った超越論的な道具立てを用いて議論が展開されていた。後にこの道具立ては ハイデガー自身によって捨て去られる。捨てられたことにはそれなりの事情があるわけだが、その事情を承知の上で ここでガダマーは、捨てなくてもよかっただろうものを拾おうとしている。 第二部 真理の問いを精神科学における理解へと拡張する 第I章 歴史的準備 第3節 現象学的探究による認識論的問題設定の克服 b ハイデガーの解釈学的現象学の企て [...] [...] もし、観念論的思弁の呪縛圏を本当に突破しようとするのであれば、〈生〉の存在様態を自己意識から考えてはならない、ということは明らかである。『存在と時間』のハイデガーは、自らの哲学を超越論的哲学として理解していたが、この理解をのちに修正しようと企てた際に、当然の帰結として、生の問題が新たに視野に入ってきたはずである。それゆえ彼は
第三部再訪。「ゲゼルシャフト」概念の起源としての自然法論について。 解釈学と実践哲学―法と歴史の理論によせるヘルメノイティクの新たなる地平 (1984年) 作者: マンフレート・リーデル,河上倫逸出版社/メーカー: 以文社発売日: 1984/10メディア: 単行本この商品を含むブログ (5件) を見るhttp://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=25890 第三部 解釈学と社会哲学 政治哲学におけるパラダイムの転換か──ホッブズとアリストテレス(1981) 古典古代政治学および近代自然法におけるゲゼルシャフト概念のトピクについて(1965) 制度の弁証法──ヘーゲル法哲学の歴史的・体系的構造について(1977) 「古典古代政治学および近代自然法におけるゲゼルシャフト概念のトピクについて」 Brunner-Conze-Koselleck のレキシコンに「ゲゼル
講演者:森田 團(UTCP) 昨年度、短期教育プログラム「歴史哲学の起源」は、中期教育プログラム「時代と無意識」と共同して活動を行なってきた。今年度は「歴史哲学の起源」の独立した研究会も開催していくつもりである。その第一回として、「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」と題した研究発表会を行なう。 昨年度来、「歴史哲学の起源」は、生の自己解釈の枠組みとしての歴史哲学が、ギリシア起源のコスモロジー的思考とユダヤ起源のエスカトロジー的思考の絶えざる交叉、配分によって生成してきたことを、ハイデガー、ベンヤミン、ディルタイ、シュミット、ブルーメンベルク、タウベスなどの哲学を俎上にあげながら示すことを試みてきた。今年度は、引き続きこのような大きな枠組みを堅持しつつ、そこで生じるより具体的な問題を扱う。そのような問題として、今年度は1. 歴史哲学とギリシア悲劇解釈、2. 歴史哲学と予型
発見。承前:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20090521#p1。おそらく20年ぶりくらいに読んだ。 1973年出版の論文集に掲載された小論。 ブプナー32歳。フランクフルト大の教授になった年。論文集の目玉はポパー批判論文(70頁弱)だが、刺身のつまとしてルーマン批判もついでに添えられている(30頁弱)、といった風情。 弁証法と科学 (1983年) (フィロソフィア双書〈7〉) 作者: 加藤尚武,リュディガー・ブプナー出版社/メーカー: 未来社発売日: 1983/12メディア: ?この商品を含むブログ (3件) を見る ヘーゲル『精神現象学』の問題史と体系的意味 論理学と資本論 解釈学の科学論上の役割──討論を啓発するために── 科学論とシステム概念──ニクラス・ルーマンの立場とその由来── 探求の論理の弁証法的諸要素 ブプナー先生の、「弁証法的批判を解
承前: http://d.hatena.ne.jp/contractio/20090521#p1 http://d.hatena.ne.jp/contractio/20090524 ついでに「解釈学」論文とポパー批判論文も再読してみた。こっちは どちらもよい出来。 てことで、ルーマン批判論文のダメさが いっそう際立つ。 弁証法と科学 (1983年) (フィロソフィア双書〈7〉) 作者: 加藤尚武,リュディガー・ブプナー出版社/メーカー: 未来社発売日: 1983/12メディア: ?この商品を含むブログ (3件) を見る 3章 解釈学の科学論上の役割──討論を啓発するために── 5章 探求の論理の弁証法的諸要素 本書の舞台は『実証主義論争』と「ポパー=クーン論争」が交錯する地帯だが、この本が出た1973年というのは、まさにこれらのトピックスがホクホクのジャガイモ状態だったのではないかと思われ
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「理解はそれ自身、主観性の行為としてよりは、過去と現在がたえず互いに他に橋渡しされている伝承の出来事への参入として考えるべきである。」 ハンス=ゲオルク・ガダマーの『真理と方法』は、シュライアーマッハーやディルタイのロマン主義的な解釈学に対して、ハイデガーやヘーゲルに基づく存在論的な解釈学を打ち立てた記念碑的著作である。その核心部分とも言うべき第二部の邦訳。第一部の邦訳である第I巻の刊行(1986年)のあと長らく出版が待たれていた。 テクストを理解するとは、ガダマーによれば、著者と一体化することではなく、伝承されたテクストの意味に参与することである。ロマン主義と歴史主義に基づく伝統的な解釈学は、テクストをそれをテクストが成立した時代やそれを書いた著者の意図から理解しようとした。しかし、これは理解する者の歴史性を無視し、また、テクストが現代のわれわれに語りかけている内容の真理性を見失
[Erlebnis] スレ微妙に復活。 ディルタイと比べて読むと、ハイデガーの議論の明晰さに涙が出ますな。 いいすぎましたすみません。 『存在と時間』講義―統合的解釈の試み 作者: ジャングレーシュ,Jean Greisch,杉村靖彦,伊原木大祐,松本直樹,川口茂雄,重松健人,関根小織,鶴真一出版社/メーカー: 法政大学出版局発売日: 2007/09メディア: 単行本 クリック: 12回この商品を含むブログ (7件) を見る 存在と時間〈1〉 (中公クラシックス) 作者: ハイデガー,Martin Heidgger,原佑,渡辺二郎出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2003/04/01メディア: 新書購入: 4人 クリック: 21回この商品を含むブログ (31件) を見る 「理解」にかんする心理主義批判。ちょっと写経。 『存在と時間』において、「理解」は二つの仕方で話題になっている。
おうちにある本を読むよシリーズ。1985年刊行。 人間科学の方法論争 作者: 丸山高司出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1985/12/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (2件) を見る本書の核は第2章「歴史と行為の説明」だが、ここはほぼヴリクト『説明と理解 (1984年)』の要約。 ここを中心にして、その前に「ミル v.s ディルタイ」についての解説を、その後ろに「当該問題への解釈(科)学的アプローチ」の解説をつけました、というのが基本的な構成。 しかし 間とお尻に いちいち「ハバーマスが各論者をどのように批判したか」の紹介が置いてあるので うざいことこの上ない、全体としては「ハバーマス偉い」と述べる書籍になっている。 そのうえで最後の最後に ディルタイの擁護をちょっとだけ置くことによって、「やっぱりディルタイ偉かった」というオチにしてあるのだが、ディルタイかわいそうだな。
第I章 歴史的準備 第1節 ロマン主義解釈学およびその歴史学への適用における問題点 a 啓蒙主義とロマン主義のあいだに起きた解釈学の本質変化 α ロマン主義解釈学の前史 解釈学の歴史は過去の再構成を目指すディルタイの立場ではなく、現在への過去の媒介に解釈学の課題を見る立場から記述し直すならば、まったく違ったものとなる。 プロテスタント神学は聖書を伝統に拠らずに、字義通りの意味で理解しようとしたが、聖書の意味はかならずしも明瞭ではないので、解釈学的循環という古い原理を適用した。しかしながら、これは聖書の統一性を前提することであった。一八世紀になると、聖書は複数の著者によって異なる時期に書かれたことが明らかにされ、こうした教義的な前提が崩れた。文書はそれが書かれた生活連関から理解されるべきなのである。こうして、文献学は古典古代を模範とすることをやめ、歴史学の方法となった。
お家にある本を読むよシリーズ。1987年の著作。 ガダマーの世界―解釈学の射程 作者: ジョージアウォーンキー,Georgia Warnke,佐々木一也出版社/メーカー: 紀伊國屋書店発売日: 2000/10メディア: 単行本この商品を含むブログ (7件) を見る Georgia Warnke, Gadamer: Hermeneutics, Tradition, and Reason, Stanford U. P., ISBN:0745602401 http://books.google.co.jp/books?id=rooijGgRjdsC これは良書ではないでしょうか。あとでローティについての論点をまとめます。 まえがき 序章 第1章 解釈学と歴史 [19世紀の解釈学 と その現象学的転回] 第2章 解釈学と著者の意図 [ハーシュ] 第3章 解釈学と主観主義の問題 第4章 解釈学とイデ
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