犯罪学理論の流れに関する一考察 〜政治的な言説としての犯罪学理論〜 (PDF版) 1998年 序 19世紀的支配様式の申し子としての" Homo Criminalis" C.Lombrosoとは何者だったのか 犯罪学黎明期における「社会主義」の優位 植民地支配のツールとしての犯罪学 米国実証主義犯罪学の政策主導的側面 なぜ1930年代の米国に主流が移ったのか? E.SutherlandとR.K.Merton Labeling Theoryの政治性 Labeling Theoryの理論史的役割 日本への紹介のされ方 Radical Criminologyの理論的障壁(未完) Schwendingersの定義の革新性と問題点 CPTEDと" Fear of Crime" 左派急進主義の分裂 環境犯罪学の展開 参考文献表 序: 近代犯罪学は刑罰=国家権力が発動する場面に対して、ストーリーを提供す
アメリカでドラッグウオー(War on Drugs) という言葉が実際に使われ一つの政治課題として取り上げられたのは1968年の大統領選のキャンペーンからである。 周知のように、60年代のアメリカでは既成の価値観に対する反発から生まれた若者文化、カウンターカルチャーがいくつも誕生し、都市部の中産階級の10代や20代の若者の間で、それまで下層階級のドラッグであったマリファナや新たなLSDなどのドラッグの使用が流行していた[2]。 マリファナの使用者は1965年から70年にかけての5年間で18,000人から188,000人へとおよそ10倍に増加し、1971年には少なくとも2,400万人の11歳以上の若者が一度はマリファナを試したことがあると推計されており、またヘロインの静脈注射によって肝炎に感染した者の数も66年から71年にかけて約10倍に増え、70年代初頭までにヘロイン使用者はおよそ50万人
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