Amazonはお客様のセキュリティとプライバシーの保護に全力で取り組んでいます。Amazonの支払いセキュリティシステムは、送信中にお客様の情報を暗号化します。お客様のクレジットカード情報を出品者と共有することはありません。また、お客様の情報を他者に販売することはありません。 詳細はこちら
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料 無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
YOSHINAGA Shin'ichi @ma_tango オカルトという言葉は、1973年コリン・ウィルソンの『オカルト』が翻訳されてから日本で流布したわけです。現在東北大院生でオカルトの流行と真言宗との関連を研究している方がいますが、その中間報告で面白い指摘がされていました。 2020-06-28 22:58:40 YOSHINAGA Shin'ichi @ma_tango つまり、大陸書房では、1973年までは書名のタイトルに「オカルト」の入った本は一冊もなく、74年に急増しているそうです。これはつまり『オカルト』のヒットによって、そのカテゴリー名ができたこと、しかし、それ以前からすでに、そうした排除された知識の場はあったということです。 2020-06-28 23:03:13 YOSHINAGA Shin'ichi @ma_tango 実際、オカルト以外にも、そうした総称はあって、
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料 無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
目次 1. モダニズム=メディウムスペシフィックという「古い物語」の見直し グリーンバーグの内在的批判主義の復習 モダニズムからミニマリズムへ(観る人の「位置」の転換) モダニズムという「古い物語」 「古い物語」の見直し 2.「対象(オブジェクト)」たちの袋詰め的入れ子構造と、フラクタル的関係性 作品の外と、作品の内(観る人の「位置」の転換、ふたたび) ハーマンの「四方対象」 袋詰め的な入れ子構造 3. 眼の奪い合い/食人/パースペクティブの交換 さらに、「地」の複数性について 「このわたし」というパースペクティブの唯一性と、他者からの視点の切り返し ヴィヴェイロス・デ・カストロによるパースペクティブ主義 パースペクティブの交換としての「食人」/「中心」が「外」にあること 4. 幽体離脱の芸術論に向けて 「わたし」がわたしから抜け出る体験と、世界視線 幽体離脱とVR 結び — メディウムス
■連載――家族・性・市場 第39回 税制について 2 : 「労働インセンティヴ」 続 / 立岩真也 特集=ドゥルーズ 【 『シネマ』 を読む】 映像・脳・言語 間隙を俯瞰する / 宇野邦一 [聞き手=松本潤一郎] 時間の総合か、時間イメージか / 財津理 [聞き手=江川隆男] 【映画=思考】 マキノ雅弘から金融危機へ あるいは、二〇〇八年一〇月に 『運動イメージ』 を読むということ / 廣瀬純 シネマ的価値形態論 素描 / 長原豊 イメージのリアリティ / 増田靖彦 【討議】 来るべきドゥルーズ / 小泉義之+檜垣立哉 【科学・情動】 ドゥルーズの存在論 ひとつのスケッチ / マヌエル・デランダ (訳=近藤和敬+小倉拓也) 彼岸のエコノミー ドゥルーズ 『マゾッホ紹介』 再読 : デリダ、マラブーのフロイト解釈と比較しつつ / 千葉雅也 【情報・生命】 アンリ・ベルクソンからジル・ドゥルー
デューリングによる、プロトタイプ論に至るまでの論点整理といった趣の論考。現代の芸術の試みを、表象から脱して行為や操作を提示することにあるとしたうえで、芸術における操作とはなにかを問うことがおもな目的となる。 最初に批判の対象となるのは、操作そのものに本質的な意味が存在するという考え方だ。たとえばサンプリングという操作は、絶え間ない再生産の流れのうちにまるでひとつのコマのように受動的に存在する芸術家像と、素材を自由自在に操って新たな作品を生み出す能動的な芸術家像というふたつの相反する解釈を生み出す。これは一見矛盾のようだが、操作を本質論的に捉えようとするから起こる誤謬でしかない。操作とは、「何であるか」では問うことができず、ただ「どのようにあるか」としか問えないものなのだ。 次いで、モノとしての作品を脱物質化し、操作によって代替しようとする現代の芸術の限界を論じる。一方には、操作がもたらす効
インタビュー:星野太 聞き手:池田剛介 昨今の政治・社会状況の変化を受けてか、これまでのものとは視点を異にする言説が登場してきている。反知性主義がはびこり、「ポストトゥルース」などという新語が造られる時代には、どのような思考や態度が必要とされるのだろうか。現代の芸術や言説空間に新たな風を運ぶ書き手に話を聞くインタビューシリーズ。初回には、カント以来の「美学的崇高」ではない、もうひとつの「崇高」についての刺激的な書物を上梓した哲学者・美学者を迎えた。 池田 マルセル・デュシャンの《泉》が1917年の作品なので、今年はちょうどその100年後にあたります。周知のようにこれは、男性用便器に署名を書きつけて展示するというもので、20世紀美術に最も影響を与えた作品のひとつと言えるかと思います。いま世界各地で展開されている現代美術も、おおよそその延長線上にあると言えるでしょうが、ここから決定的に新しいも
最近、「デザイン・フィクション(Design Fiction)」という言葉を目にすることが多くなった。大手企業が製品/サービス開発に活用したり、MITメディアラボやカーネギーメロン大学で専門の研究グループや教育課程ができるなど、さまざまな方面で注目が高まっている。 このデザイン・フィクションとは、そもそも何のことなのだろうか? デザイン・フィクションという言葉を生んだSF作家ブルース・スターリングは、それをSF(サイエンス・フィクション)のような物語世界にリアリティを与えるためのプロトタイプ(試作品)として捉えていた。この「スターリング的デザイン・フィクション」は、フィクションの中に制作物として具現化されたデザインのことだ。 一方、製品/サービスのデザインの現場や、HCI(Human-Computer Interaction)のようなデザイン関連の研究分野では、デザインのアイデアに説得力を
哲学者エリー・デューリング氏が登壇した「トークセッション」を、建築家・柄沢祐輔氏がレポート 2018.2.14(水) 2018年1月20日、森美術館のオーディトリアムにてトークセッション「プロトタイプとしてのアートについて考える:レアンドロ・エルリッヒ作品を通して」が開催された。モデレーターは、本展「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」のキュレーターを務めた椿玲子、また出展作家のレアンドロ・エルリッヒ本人も飛び入りで参加した。プロトタイプとしてのアートという概念は、フランスの哲学者、エリー・デューリングによるものである。エリー・デューリングは今日のフランスを代表する若手の哲学者であり、2009年に彼が発表した「プロトタイプ論」は世界的に大きな注目を集め、今日の現代美術の世界においてもっとも重要な理論の一つとして、さまざまなアーティスト、キュレーター、批評家によって広く参照されるもの
コメント: ■中古品として比較的良好な状態です。■記載のない場合、付録や特典(CD・ポスターなど)の付属はございません。また、帯・ハガキなど封入物の付属も原則ございません。■中古品のため気を付けておりますが、見落としによる多少の傷み・汚れ・わずかな書き込み等はご容赦下さい。
左から、エリー・デューリング氏、清水高志氏、柄沢祐輔氏(《s-house》にて) オブジェクトの中のプロジェクト ──反プロセスとしてのプロトタイプ論 fig.1──ブルーノ・ラトゥール 『虚構の近代 ──科学人類学は警告する』 (川村久美子訳、新評論、2008) fig.2──Elie During, "Prototypes (pour en finir avec le romantisme)" in Esthétique et Société, C. Tron dir., Paris, Éditions de L'Harmattan, 2009.(「プロトタイプ論 ──芸術作品の新たな分身(1)」 『現代思想』 「特集=現代思想の新展開 2015 ──思弁的実在論と新しい唯物論」 青土社、2015年1月号) 柄沢祐輔──今回の鼎談では、来日中のエリー・デューリングさん、清水高志さんと、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く