タグ

都市に関するfutenrojinのブックマーク (12)

  • トヨタが掲げた「実験都市の夢」はなぜ迷走してしまったのか | 老舗 ✕ スタートアップの融合の行方は

    クーリエ・ジャポンのプレミアム会員になると、「ウォール・ストリート・ジャーナル」のサイトの記事(日・英・中 3言語)もすべてご覧いただけます。詳しくはこちら。 世界首位の販売台数を誇るトヨタ自動車は2021年に社内でITスタートアップを立ち上げた際、販売規模と同じくらい大きな夢を描いていた。米国人の技術専門家を経営トップに起用し、業界の標準となるような車載ソフトウエアを実用化するビジョンを掲げていた。 壮大な野望を抱いたこの子会社のプロジェクトの一つは、富士山の麓に新都市を建設し、自動運転車やロボット、水素エネルギーの実証実験を行うことだった。 当時の豊田章男社長は、自動車が電動化され、インターネットにつながり、自律走行し、ソフトウエアへの依存が大きくなる「100年に1度の大変革期」をトヨタが乗り切るために、新部門が役立つだろうと述べた。 トヨタのルーツが1920年代に設立された自動織機メ

    トヨタが掲げた「実験都市の夢」はなぜ迷走してしまったのか | 老舗 ✕ スタートアップの融合の行方は
  • 震災で、空襲で、バブルで、そして「再開発」で… またも消される東京の魅力 | 神宮外苑再開発に「ル・モンド」は何を思う

    明治神宮の創建以来、100年以上守られてきた景色は、変わってしまうのだろうか。大規模な反対運動を引き起こし、物議を醸している東京・神宮外苑の再開発事業。仏紙「ル・モンド」の東京特派員、フィリップ・ポンスは、東京が数ある平凡な大都市の一つになりつつあると懸念する。 近代史のなかで、東京は時代への大いなる適応力を発揮してきた。その一方、過去の遺産を消し去り尽くすことで、恐ろしく似たり寄ったりな、アジアの巨大諸都市の一つにならんとしている。そしてそのことは、多くの東京都民も認識している。 神宮外苑地区の再開発計画に対して、反対運動が起こっている。明治神宮外苑の並木通りには、道路の両側にそれぞれ二列ずつ、300mにわたって樹齢100年を超えるイチョウが立ち並んでいる。再開発が進められれば、この並木にも影響が及び、神宮外苑の樹木約1000が切り倒されることになる。 これは、2020年の東京オリンピ

    震災で、空襲で、バブルで、そして「再開発」で… またも消される東京の魅力 | 神宮外苑再開発に「ル・モンド」は何を思う
  • 公園はどんどん細長くなって空中へ… 増殖を続ける「リニアパーク」とは | 老朽化したインフラを緑の道に

    「緑をいかに増やすか」は、世界の多くの大都市が抱える喫緊の課題だろう。そんななか、限られたスペースの有効活用のため、使われなくなった鉄道や道路の「高架橋」が注目を集めている。だが、単に高架廃線を公園に変えれば良いだけではないらしい。高架利用の成功例と失敗例を、英ランカスター大学の都市デザイン学教授、ニック・ダンが解説する。 2022年夏、英国マンチェスターで高架橋廃線跡を緑化した公園「キャッスルフィールド・ヴィアダクト・スカイパーク」がオープンした。これを機に再び関心を集めているのが、鉄道や高速道路といった帯状インフラを「リニアパーク」として公園に生まれ変わらせる取り組みだ。その数はどんどん増えている。 リニアパークの先駆けは、パリの「プロムナード・プランテ(クーレ・ヴェルテ)」だろう。1993年にオープンした当時、鉄道の高架橋跡を再利用した世界初の公園だと話題になった。美しい緑の遊歩道は

    公園はどんどん細長くなって空中へ… 増殖を続ける「リニアパーク」とは | 老朽化したインフラを緑の道に
  • 東京は世界屈指の大都市なのに、なぜ今も住宅価格が“お手頃”なのか | ニューヨークでは考えられない家賃の安さ

    山崎裕太とそのは10年前、九州から東京へ移住した。大都市の仕事の条件の良さに惹かれたからだ。現在、ジェラート専門店を経営する山崎と、保育士として働くには10歳、8歳、6歳の3人の男の子がいる。2人はもっと広い家を物色中だが、遠方へ引っ越すつもりはない。3部屋の寝室付きで手頃な賃貸物件が近所に必ずあると確信している。 米国を含む先進諸国の大都市圏は、どこも住宅価格の高騰に見舞われている。経済活動が最も活発で、最良の待遇の仕事が用意されているにもかかわらず、人々が早々に見切りをつけて去っていく光景はいまや珍しくない。高すぎて暮らせないのだ。繁栄する都市のプライベートクラブ化はますます進行し、ただでさえ数が限られている住宅が最高値入札者の手に渡っている。 だが東京はそうではない。 この半世紀、東京は交通機関への投資と開発促進策によって、ニューヨークの総戸数を上回る規模で住宅を供給し続けてきた

    東京は世界屈指の大都市なのに、なぜ今も住宅価格が“お手頃”なのか | ニューヨークでは考えられない家賃の安さ
  • 二十一世紀の日本の首都に於ける超高層ビルの林立はその国の凋落を予言しているように思えてならない|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま

    蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第15回を「ちくま」9月号より転載します。延々とつづく渋谷駅周辺の再開発。東横線の地下化はじめ誰も便利になったとは思っていないはずの一連の大工事は都市再開発法によると「公共の福祉に寄与することを目的とする」そうなのだが、当に? との疑問についてお話しさせていただきます。 避けようもない暑い日ざしを顔一面に受けとめながら、タワーレコードの渋谷店で購入した海外の雑誌を手にしてスクランブル交差点にさしかかると、すんでの所で信号が赤となってしまう。階段を降りて地下の通路に向かう方法もあるにはあったが、年齢故の足元のおぼつかなさから灼熱の地上に立ったまま青信号を待つことにしていると、いきなり、かたわらから、女性の声がフランス語で響いてくる。ふと視線を向けると、「そう、シブーヤは素晴らしい」と「ウ」の部分をアクセントで強調しながら、スマホを顎のあたりにあてた外

    二十一世紀の日本の首都に於ける超高層ビルの林立はその国の凋落を予言しているように思えてならない|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま
  • 世界が“日本の建築”から学ぶべき「5つのこと」と、それでも日本の都市が美しくない「5つの理由」 | 英誌が提案「お互いのいいところを学ぼう!」

    人建築家たちの作品は、世界でも人気を集めている。日の建築の特徴とはどんなもので、そこから見習うべきことは何か。そして人々を魅了する建築物に溢れながらも、日の都市があまり美しくないのはなぜなのかを、英国人の筆者が自虐を交えながらユーモラスに語る。 世界で活躍する日人建築家 日を縦断中の外国人がよく思うことがいくつかある。着物はどんな場面にも驚くほど適応する。カメラを振りまわし、何千枚もの写真を撮りまくる大量の日人観光客は、少なくとも1980年代にはお決まりのギャグだった。だが、彼らはただ時代を先取りしていただけであって、その他大勢の我々といえば、iPhoneのおかげでやっとそれに追いついてきているのだ。 当然のことだが、日はある面において完璧な社会である。人々の正直さの基準の高さたるや、コンビニでは6円のお釣りを受け取り忘れただけで店員が追いかけてきてくれるし、電車はもちろん

    世界が“日本の建築”から学ぶべき「5つのこと」と、それでも日本の都市が美しくない「5つの理由」 | 英誌が提案「お互いのいいところを学ぼう!」
  • ノア・スミス「あのBBC記者の日本についての記事には納得できない」 | 米知日派経済コラムニストが反論

    東京特派員を10年務めたBBC記者が書いた「日は未来だったのに、過去から抜け出せずにいる」と題したコラムが話題を呼んだ。日がさまざまな問題に直面しながらも、何もせずに衰退していくさまを悲観的に綴ったものだが、この内容に米国の知日派経済コラムニストが噛みついている。 英BBCの東京特派員だったルーパート・ウィングフィールド=ヘイズの「お別れエッセイ」※1が広く話題になっているが、私はそれを読んでとてもがっかりした。ベテランのジャーナリストであるウィングフィールド=ヘイズは、2012年から生活と仕事の拠点としてきた日の印象を「停滞と硬直」という言葉でまとめ、「この地で10年過ごして、私は日的なやり方に慣れ、日が当面変わりそうもないという事実を受け入れるようになった」と心情を吐露している。 だが、日に住んだ経験をもち、2011年からは毎年1ヵ月ほど滞在して、日経済について幅広く記事

    ノア・スミス「あのBBC記者の日本についての記事には納得できない」 | 米知日派経済コラムニストが反論
  • それはノイズか都市音楽か… 日本の“騒音史”を英大学講師が紐解く | 静けさを好む国民はなぜ騒音にまみれているのか

    英シェフィールド大学で日を専門に研究するマーティン・スミスは、1920年代の日で巻き起こった「何が社会にとって騒音なのか」という議論に注目し、その論考をメディア「カンバセーション」に寄稿した。 何が日文化としての音なのか(あるいは、不快な喧騒音なのか)。工業化が著しく進んだ当時の日が抱えた切実な悩みが垣間見える。 騒音を気にしない国民? ATMやエレベーター、エスカレーターの自動音声。デパートや駅、スーパーや商店街の喧騒。電車やバスに乗る際のアナウンスにサイレンやクラクション、車の往来、歩行者の行き交う音……。 「静けさを重んじる日文化とは逆に、今の日は騒音に満ちている」と、米国人ジャーナリストのダニエル・クリーガーは指摘した。 騒音あふれる日の現状に危機感をおぼえる哲学者の中島義道は、「騒音漬けにされた人々」について語っている。中島によると、日の騒音問題の根底には、日

    それはノイズか都市音楽か… 日本の“騒音史”を英大学講師が紐解く | 静けさを好む国民はなぜ騒音にまみれているのか
  • 英誌が注目「コンパクトシティの世界的ロールモデル、富山市のまちづくり戦略」 | 富山市に学ぶ「都市を優雅に縮小する方法」

    中の地方自治体にとって、高齢化と人口減少を踏まえたまちづくりは大きな課題のひとつだ。そのなかでも、英誌「エコノミスト」は富山市に注目。同市の30年先を見据えた都市計画とは、いったいどんなものなのだろうか? 小さくて高密度の、車に依存しない都市を目指して 東京から北西に250キロ、紺碧の湾と雪を頂く峰々の狭間に富山市はある。ここは多くの点で、日の地方都市の典型的な一例といえる。 住民は高齢化し、産業は安定しているが硬直化もしている。しかし料理は素晴らしい。第二次大戦中には、鉄工所を狙ったアメリカ軍の焼夷弾が街の中心部の99%を焼き払ったが、その後の人口増加に伴い、富山市は迅速に再建・拡大していった。 しかし、それも今は昔。人口41万4千人(今も減少中)の同市は、1990年代以来、高齢化に伴う課題と闘ってきた。すなわち、膨れ上がる支出、減り続ける税収、そして時代遅れの都市計画である。 し

    英誌が注目「コンパクトシティの世界的ロールモデル、富山市のまちづくり戦略」 | 富山市に学ぶ「都市を優雅に縮小する方法」
  • 「渋谷のんべい横丁」が世界の都市開発のモデルになる理由 | 英経済誌が分析

    東京には再開発の波に飲み込まれず、戦後の面影を残す、雑然とした「横丁」がちらほら残っている。いまや“風前の赤ちょうちん”のところも少なくないが、そんな東京の酒場が、世界の大都市をより人情味ある場所へと変えるうえで大事な先導役になるかもしれない。英誌「エコノミスト」がその理由を紹介する。 物の東京は最小空間にあり──世界で最も人口密度の高いこの大都市に住む者なら誰しもが知っていることだ。 日の首都は、大きな幹線道路が大動脈の都市ではない。その“生き血”はむしろ、絡み合った細い路地から、細い建物の階段を上がり、小さい商店や狭い飲店へと流れている。 渋谷駅のすぐそばにある、うっとりするほど挑発的な居酒屋が軒を連ねる「のんべい横丁」がそのいい例だ。 その38軒の平均面積は5平米を下回るほどしかない、と建築家で慶應大学で教えるホルヘ・アルマザンとその同僚たちによる新刊『東京の創発的アーバニズム

    「渋谷のんべい横丁」が世界の都市開発のモデルになる理由 | 英経済誌が分析
  • 隈研吾がスペイン紙に語る「仕事をするのに大都市は必要ない」 | 自然のなかに「消える」建築を目指して

    隈研吾(67)は、 わずか48時間ばかりのセビーリャ滞在の多くを、カテドラルの徹底的な研究にあてた。この日人建築家は、自身初となるスペインでのプロジェクト、その名も「旧タバコ工場キューブ」を発表すべく、アンダルシアの州都にいたのだ。 同プロジェクトは、「KKHグループ」が推進するレジャー施設の一部となる。この施設にはラグジュアリーホテルも入り、グアダルキビル川に隣接する橋もかかる予定だ。そこからは都市部と緑地を臨むことができ、カルロス・フェルテールをはじめとする建築家や、フランスのエンジニア、ミシェル・ヴィルロジュも参加している。 隈はキャリア初期から追い求めてきた哲学に、変わらず忠実でいるつもりだ。つまり、その土地の材料と地元の職人の力を借り、建物それ自体よりも環境を主役とし、風景のなかに「消える建築」を目指すということだ。隈がスペイン「エル・パイス」紙のインタビューに答えた。 セビー

    隈研吾がスペイン紙に語る「仕事をするのに大都市は必要ない」 | 自然のなかに「消える」建築を目指して
  • 都市化が進行する世界において、“住みやすい巨大都市”東京は「学ぶべき先例」だ!  | いい加減な法律が功を奏して…

    英「エコノミスト」紙が発表した、2021年版「世界の住みやすい都市ランキング」で東京が4位にランクインした。どのようにして、東京は世界が羨む「住みやすい巨大都市」へと成長を遂げたのか。そして、その裏に潜む問題点とは。 第二次世界大戦後の東京に外国人ジャーナリストとして初めて足を踏み入れたラッセル・ブラインズは、そのときの印象をこう書き記した。 「焼け野原に親指みたいに突き出しているものといえば、風呂屋の煙突に頑丈な家庭用金庫くらいで、ところどころ、鉄のシャッターが付いた強固な建物が混じっているだけだった」 戦前の東京の人口は700万人だったが、終戦直後にはその半数の350万人にまで落ち込んだ。さらに戦後復興の道を歩みはじめたばかりの東京には暴力が横行し、街はスラム化していた。 だが1964年に東京五輪が開催されることが決定すると、東京都はインフラ整備と街区の再開発を急いだ。当時はありふれた

    都市化が進行する世界において、“住みやすい巨大都市”東京は「学ぶべき先例」だ!  | いい加減な法律が功を奏して…
  • 1