終戦後間もない昭和20年代に初代宮内庁長官を務めた田島道治。彼が残した昭和天皇との対話の記録や日記などを収めた「昭和天皇拝謁記」の最終第7巻(岩波書店)が刊行された。2021年12月から刊行が始まり、1年半かけて全巻がそろった。最終巻は「関連資料」として、田島が退任したあとの日記のほか、明仁皇太子(上皇さま)の教育担当だった小泉信三、エリザベス・バイニングらの書簡などが収録されている。編者の一
終戦後間もない昭和20年代に初代宮内庁長官を務めた田島道治。彼が残した昭和天皇との対話の記録や日記などを収めた「昭和天皇拝謁記」の最終第7巻(岩波書店)が刊行された。2021年12月から刊行が始まり、1年半かけて全巻がそろった。最終巻は「関連資料」として、田島が退任したあとの日記のほか、明仁皇太子(上皇さま)の教育担当だった小泉信三、エリザベス・バイニングらの書簡などが収録されている。編者の一
Q1 共産主義では全ての人が平等というタテマエですよね。共産党は「天皇」の存在をどう考えているのでしょうか A1 日本共産党は戦前、コミンテルンの指導下に決めた基本方針(27年テーゼ、32年テーゼ)で皇室をいただいた日本の国体を「絶対主義的天皇制」と規定して「革命で打倒する」対象にしていました。結果、日本共産党は治安維持法による取締り・弾圧を受けたのです。 共産主義の理念「万人の平等」を根拠に天皇制に反対したのではなく、「日本帝国主義の支配構造は、軍の統帥権を握り絶対主義的な権力を持った天皇と軍部、従属的に追随する大財閥・独占企業からなる」として「支配体制の要=天皇」を打倒対象としました。「君臨すれども統治せず」が天皇の歴史的実態だったのですから、この見方の誤りは明瞭ですね。 戦後、日本共産党が「天皇制の打倒」を主張したことは意外なことに一度もありません。1980年代半ば以降、当時の党トッ
「皇室の損失は、NYの利益」 「ニューヨーク・タイムズ」は「ついにロイヤル・ウェディング。しかしトランペットは鳴らず、記者会見のみ」と題して報道した。 同紙は小室圭さんが記者会見の冒頭で、カメラに向かって「私は眞子さんを愛しています」と宣言したことに触れ、「テレビで中継される結婚式やバルコニーでのキスがなくても、ロマンチックな献身の感動的表現があった」と伝えた。 同紙の拠点は2人が新婚生活をスタートするとされるニューヨーク。結婚を伝える記事のコメント欄には「日本の皇室の損失は、ニューヨークの利益です。眞子さんと夫の小室圭さんの西半球での結婚生活が素晴らしく幸せなものになりますように」「お2人がニューヨーカーになるのをとても楽しみにしています!」などと、移住を歓迎する声も寄せられた。
中国の王朝で、皇女(公主)の配偶者は「駙馬(ふば)」、略さずにいえば「駙馬都尉(ふばとい)」として知られていた。天子の乗輿(じょうよ)に添える予備馬の司令官だ。 駙馬はもともと皇帝の婿に授けられた名誉称号だったが、5世紀初めまでには、皇女の夫を意味する言葉になった。 駙馬の幸運と、また苦難とは、時代の流れに委ねられた。
結婚をめぐるネット上での誹謗中傷に心を痛め、複雑性PTSDと診断された眞子さま。米紙「ニューヨーク・タイムズ」は、女性がいまだ二級市民扱いされる日本では、とりわけ皇室の女性に対して時代錯誤で偏ったジェンダー観が押しつけられると報じた。その報道の内容を全訳で紹介しよう。 男性皇族には甘い世論 日本で女性として生きることが最も厳しい場所のひとつが皇室だ。 30年近く前、当時の美智子皇后は天皇の妻として至らないところがあるとバッシングされて失声症になった。その10年後、美智子さまの義理の娘である雅子妃(現皇后)が、世継ぎとなる男子を産んでいないことをメディアからしつこく指摘された結果、うつを患って公務を控えるようになった。 そして今月、宮内庁は美智子上皇后の孫娘である眞子内親王が複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されたと公表した。彼女が選んだ婚約者、小室圭氏を認めようとしない人々の厳
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