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死に関するfutenrojinのブックマーク (16)

  • スイス自殺ほう助団体の創設者が主張「9歳になったら“死ぬ権利”を認めるべきだ」 | 「最後の人権」と「超えてはいけない一線」とは

    医学が進歩し、死に対する考え方が多様化するなか、自殺ほう助や安楽死を合法化する動きが世界各地で静かに広がっている。1998年に自殺ほう助団体「ディグニタス」を設立してから、「死ぬ権利」の重要性を声高に叫んできたルードヴィヒ・ミネリが、その急進的な死生観や、さまざまな論争を引き起こしてきた団体の活動について英紙に語った。 自殺ほう助団体「ディグニタス」を真剣に訪問するなら、既往歴の書類や、資金、それに勇気が必要だ。だが、訪問前に筆者が言われたのは、「オフィスの住所を他者に明かさないでくれ」ということだけだった。 彼らはこの記事を読んだ人が、スイスの大都市チューリッヒ郊外にあるオフィスにやって来て、「いますぐ自殺ほう助を受けたい」と言い出すのを心配しているようだった。人生に絶望した人たちが、オフィスに突然訪ねてくることがあるという。 ディグニタスは電話による問い合わせを希望しており、実際に受け

    スイス自殺ほう助団体の創設者が主張「9歳になったら“死ぬ権利”を認めるべきだ」 | 「最後の人権」と「超えてはいけない一線」とは
  • 「人は苦しんで死ぬ必要はない」なら安楽死だらけになる? | デス・オンデマンド──手軽すぎる安楽死?(3)

    「オランダ自発的人生終焉協会」 「オランダ自発的人生終焉協会」は、前出の「生命の終結クリニック協会」の親団体だ。その会員数は17万人。オランダのどの政党よりも大きい。オランダ各地で公開イベントを実施しており、同国最強の利益団体のひとつと言って間違いない。 この日のシンポジウムの演題は、精神科医が精神病患者を安楽死させたがらない傾向についてだった。 端的に言ってしまえば、エルコやアウレリアのような精神病の患者がいまより簡単に安楽死できるように現状を打開していこうと呼びかけるシンポジウムだ。 シンポジウムが開かれたホールは、オランダ中部のドリーベルゲンの郊外に位置し、高い針葉樹や養蜂箱に囲まれていた。ホールに入ると、カレー風味のパンプキンスープが入ったコップを手渡された。 私が到着したときには「精神病の患者の要請に応じて人生を終結させる際の指針」というセッションが終わろうとするところだった。

    「人は苦しんで死ぬ必要はない」なら安楽死だらけになる? | デス・オンデマンド──手軽すぎる安楽死?(3)
  • 「死ぬ日」を自分で選べば病から解放されて、新たな力が湧いてくる | 不治の病にかかった元カトリック司祭の選択(前)

    カナダのバンクーバー島に暮らす老齢の元カトリック司祭ジョン・シールズは、不治の病と診断される。シールズは耐えがたい痛みに苦しむなかで、合法になったばかりの「医師による自殺幇助」を受ける決断をする。最期を迎えるまで、人、家族、医師に密着取材した感動の長編ドキュメンタリーを前後編でお届けする。 ジョン・シールズは死ぬ2日前、ホスピスのベッドで、あることを思いついた。伝統的なアイルランド式の通夜をしよう。レストラン「スイス・シャレー」に友人を呼んで、酒と音楽、肉汁たっぷりのローストチキンをふるまおう。カトリックの司祭をしていた若い時分、週末のディナーはこれと決めていた。 それは奇抜なアイディアだった。彼自身が通夜に出るのだ。 パーティの後は自宅に戻り、翌朝、お気に入りの裏庭で死のう。色とりどりの花を咲かせた低木の下で、苔むした岩石を見上げながら。シダの葉陰からは仏像が頭をのぞかせるだろう。水飲

    「死ぬ日」を自分で選べば病から解放されて、新たな力が湧いてくる | 不治の病にかかった元カトリック司祭の選択(前)
  • 明るく死んでいったセラピストが教えてくれた「人生を素晴らしく締めくくる方法」 | 彼女と過ごした最期の2ヵ月間

    私のセラピストは、自分は死につつあるのだと言った。まるで「ジム、やめるのよね」とでも言うような口ぶりで。 なんてことだ。私が免疫療法の具合はどうかと聞くと、彼女はすべてやめてしまったと言った。悔しそうではあったが、悲嘆にくれている様子はなかった。私は困惑した。彼女の肺のがんは手術の施しようがないことは知っていたが、ほとんど完治したのだと思っていた。治療のことを聞いたのは、ひとえにひどい副作用がないかどうか確かめるためだった。 実際、化学療法はうまくいかず、免疫療法は状況を悪化させていた。彼女は別の治療法を試してみないかと言われたが、それは髪が抜け落ちることを意味していて、彼女はやりたがらなかった。それで、酸素吸入以外のすべてをやめてしまったのだ。 「ポルカ!(イタリア語で「雌豚」の意味だが、罵り言葉のひとつ。「くそったれ」程度の意味)」とサラは言った。この言葉に、彼女の状況が要約されていた

    明るく死んでいったセラピストが教えてくれた「人生を素晴らしく締めくくる方法」 | 彼女と過ごした最期の2ヵ月間
  • #93「死」を意識するから、今日という日を丁寧に生きられるのです | 岸見一郎 25歳からの哲学入門

    【今回のお悩み】 「平穏な日々を過ごすことができて満足しています。でも、この幸せがいつまで続くのかと思うと怖いです」 幸せだからこそ、その幸福を失いたくなくてふと不安になることはないでしょうか? 同じ状態が永遠に続くわけではないとわかっているから、怖くなる。けれど、哲学者の岸見一郎先生はそれを恐れる必要はないといいます。 今平穏な日々を過ごせるのは何よりです。そのことに満足できているのであれば、この幸せがいつまで続くのかを考えて恐れる必要はありません。なぜ恐れる必要がないのか考えてみましょう。 ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスは、子どもとの死別を何度も経験しました。 14人の子どもの多くは夭折し、成人したのは娘5人と息子一人だけでした。そこで、アウレリウスはこんなことをいっています。 「『子どもを失うことがありませんように』という人がいる。お前はいう。『失うことを恐れないように』」(『自

    #93「死」を意識するから、今日という日を丁寧に生きられるのです | 岸見一郎 25歳からの哲学入門
  • 生物はなぜ死ぬのか | 第1章 そもそも生物はなぜ誕生したのか 〜進化のプログラム〜

    どんな生き物にも死は必ず訪れるものです。避けては通れないこの「死」という現象には、どんな理由があるのでしょうか。全10回の講義を通して『生物はなぜ死ぬのか』の著者である小林武彦先生が、生物学的な視点から「死」を読み解きます。第1章では、生物が誕生した時代まで時計の針を巻き戻します。 小林武彦 1963年生まれ。神奈川県出身。九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て、東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)。前日遺伝学会会長。現在、生物科学学会連合の代表も務める。生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む。海と演劇をこよなく愛する。著書に『寿命はなぜ決まっているのか』(岩波書店)、『DNAの98%は謎』(講談社ブルーバックス)など。

    生物はなぜ死ぬのか | 第1章 そもそも生物はなぜ誕生したのか 〜進化のプログラム〜
  • フランス紙が注目する日本の「在宅看取り」──穏やかに死を迎えるという選択肢 | 世界は高齢化大国ニッポンを実験場のように見ている

    この世のすべてのものは、変化してとどまることがない。命あるすべてのものの定めである「死」のあり方も、例外ではない。かつて人は家族に囲まれて死んだ。今は病院で死ぬ。社会が高齢化し、死への向き合い方も看取り方も変わってきた。 日は平均寿命が世界一長い。だから人が老い、衰えてから実際に死を迎えるまでの期間も長い。そんな日をいわば実験場のように見ているのが、高齢化問題に直面するほかの先進諸国だ。なにしろ日は人口の30%が65歳以上なのだ(フランスは18%)。10年後には、75歳以上が人口の4分の1を占めるという。 医師の小堀鷗一郎(こぼりおういちろう)が日の在宅医療と在宅看取りについて書いた著作『死を生きた人びと』がフランスで出版された。フランスの医師で政治家のグザヴィエ・エマニュエリが寄せた序文にはこう書かれている。 「このは医療や社会のあり方についてのこれまでの考え方を問い直し、変え

    フランス紙が注目する日本の「在宅看取り」──穏やかに死を迎えるという選択肢 | 世界は高齢化大国ニッポンを実験場のように見ている
    futenrojin
    futenrojin 2022/07/16
    森林太郎の話は出てこなかった。
  • 人はなぜ「人間の死体」から目を背けようとするのか | 故人が灰にならないと偲べない

    亡くなった人間や死と関わる仕事を、いくつ挙げられるだろうか? 葬儀屋を思い浮かべる人が多いかもしれないが、世の中には「死んだ人間」と向き合う仕事をする人々が大勢いる。 彼らの仕事のあり方、世間の「死」との向き合い方、そして新しい「故人の偲び方」について英メディア「アンハード」が報じた。 忘れられがちな「死の仕事人」たち 家のドアの前に立ち、国民保健サービス(NHS)で働く人々に拍手を送ろう。そんな活動が始まってからまる2年近くが経過している。 当初、拍手を送る相手は医療従事者や救急隊員だけだったが、その対象は増えていった。「医療関係者へ拍手を(Clap for Our Carers)」というウェブサイトには、こうある。 「軍関係者、宅配ドライバー、小売店員、教師、ごみ回収業者、工場労働者、郵便労働者、清掃業者、獣医、修理業者……皆さんは当にすばらしい! ブラボー!」 葬儀手配(これはあま

    人はなぜ「人間の死体」から目を背けようとするのか | 故人が灰にならないと偲べない
    futenrojin
    futenrojin 2022/04/27
    ひさびさに小堀鴎一郎さんの著作を読み返したくなった。
  • がんで余命1000日と宣告された妻は、その事実を子供たちに伝えず、力強く長く生き抜いた | 「日常」を保つため、長距離走を欠かさなかった妻

    子供たちの大好きな母親が難病で余命宣告を受けたらどうするか──まだ小さな子供たちにその重圧を負わせないよう、病状を伝えないという選択をとった夫婦がいた。の死後、残された夫が闘病の日々を米誌への寄稿で振り返る。 に対する突然の余命宣告 母親の余命が1000日であることを3人の娘たちが知れば、残りの日々を数え始めるだろうとマーラは考えた。 そうすると、学校も友達との時間も誕生日会も、娘たちは何も楽しめなくなるだろう。マーラの外見や動作、行動、事の様子など、娘たちは母親のことをあまりにもよく見ていた。マーラが望んだのは、娘たちに負担をかけず、子供らしくいてほしいということだった。 マーラは私の初めてで唯一のガールフレンドだった。1987年10月に参加したミシガン州の男女合同フラッグフットボールで知り合った。当時の私は女性と接するのが苦手で、女性にはそっけなかった。

    がんで余命1000日と宣告された妻は、その事実を子供たちに伝えず、力強く長く生き抜いた | 「日常」を保つため、長距離走を欠かさなかった妻
  • 愛する夫が玄関を出るたびに「会うのはこれが最後かもしれない」と私は思う | 【モダン・ラブ】つきまとう「死の予感」を乗り越えられる?

    愛をテーマにした米紙「ニューヨーク・タイムズ」の人気コラム「モダン・ラブ」。読者が寄稿した物語を、毎週日曜日にお届けします。 5分後も生きている確証など、誰にもない。行ってきますと出ていった家族とその日の晩、再び生きて会えるとは限らない。そんな不安を抱える今回の書き手は、どのようにして大切な人の「死の予感」まで愛せるにいたったのか。 「この瞬間が、最後の瞬間であるかのごとく」 義母の電話に夫が出ると、私たちは病院へと急いだ。結婚してから6週間後のことだ。夫の叔母にあたるローナが朝中にひどい頭痛に見舞われ、集中治療室に運ばれて横たわっていた。脳動脈瘤破裂だった。医師にできることはもう何もないという。 10人の家族が、ローナの横たわるベッドの周りに集まった。牧師がローナの17歳の娘に、母の体から機械を外す前に何かしてあげたいことはないか尋ねた。 「お母さんの足先にマニュキアを塗りたい」と彼女

    愛する夫が玄関を出るたびに「会うのはこれが最後かもしれない」と私は思う | 【モダン・ラブ】つきまとう「死の予感」を乗り越えられる?
  • 仏作家ミシェル・ウエルベック「人々は死の恐怖からすっかり遠のいてしまった」 | 人は動かすのは結局「死」だ

    死こそ真のテーマ 私たちは三時間にわたって子供時代に感じる喜び、夢や詩作、善性が描かれた文学などについて話し込んでいた。要するに、予想していたよりもずっと明るい雰囲気だったのだ。 だがミシェル・ウエルベックがくたびれた若者さながらベットに脚を伸ばし、沈黙を挟んでからほとんど熱を帯びたような声でこう警告したことで、それは一転した。 「そう、でも死がある。トーマス・ベルンハルトもそう書いているし、パスカルはもっと見事に言っている──死について考えるとき、他のすべては取るに足らないものになる、と。こんなことを言うのも馬鹿みたいですが、愛というのはやはり真のテーマ。それは死も同じです。これについては、プリューダンスがうまく立ち回ってくれています」 プリューダンスはたしかに毅然としている。『無化』に登場する人たちのなかで、彼女はもっとも勇敢だ。悲惨な決定論を覆し、人生に価値を与える方法を知る人物とし

    仏作家ミシェル・ウエルベック「人々は死の恐怖からすっかり遠のいてしまった」 | 人は動かすのは結局「死」だ
  • 余命数ヵ月の神経科学者が悟った「私たちが“自分の死”をうまく想像できない理由」 | 激怒と感謝のなかで、死に備えながら…

    ジョンズ・ホプキンズ大学の神経科学教授である筆者は、思わぬ病の発覚により余命わずかと告げられる。感情の渦に飲み込まれそうになりながらも、自らの死になんとか備えようとするなかで、筆者が人間の精神について新たに理解した「3つのこと」とは──。 定期検診の心エコー検査で、私の心臓の隣に大きな塊が見つかった時、放射線科医はそれを裂孔ヘルニアかもしれないと考えた。胃の一部が横隔膜を押し上げて、心嚢を圧迫しているのではないか、と。 「このダイエット・ドクターペッパーを一気飲みして、すぐ検査台に乗ってください。胃の中のコーラの炭酸が抜ける前に、もう一度心エコー検査をしますので」 私は従った。が、画像に映った塊の内部には、胃の中の炭酸が弾ける様子は確認できず、ヘルニアの診察を裏付けるものはなかった。 数週間後、より解像度の高いMRI検査を受けたところ、実は例の塊は心嚢の内側にあって、それもかなり大きいこと

    余命数ヵ月の神経科学者が悟った「私たちが“自分の死”をうまく想像できない理由」 | 激怒と感謝のなかで、死に備えながら…
  • 膨張を続ける宇宙はどのようにして「終わり」のときを迎えるのか | 待望の邦訳本が刊行 人気の理論宇宙物理学者の予測

    理論宇宙物理学者のケイティ・マックは、宇宙が最後を迎える5つのシナリオを提示している。そのなかで最も可能性が高いのが「熱的死」だという。それは、いったいどのようなものなのか。わかりやすい説明で人気を集める若手科学者が解説する。 ケイティ・マックは、新著『宇宙の終わりに何が起こるのか』で、至難の業ともいえる2つのことを成し遂げている。 1つ目。宇宙の終わりについて、読んでいて気が滅入ったりしない、颯爽とした文章で解説していること。 そして2つ目。宇宙論、弦理論、さらに量子力学の概念を取り上げ、わかりやすく紹介したこと。 ここまで率直に語ることのできる才能は、40万人を超えるマックのツイッターのフォロワーにとって馴染み深いものかもしれない。ノースカロライナ州立大学で助教授を務める40歳の宇宙論研究者は、いまや人気ナンバーワンの科学の語り部の一人となったのだ。 宇宙は「熱的死」で最期を迎える ─

    膨張を続ける宇宙はどのようにして「終わり」のときを迎えるのか | 待望の邦訳本が刊行 人気の理論宇宙物理学者の予測
  • 深まる秋に、50代の身の振りようを思う

    ひと雨降るごと、秋が深まってゆく。 道端で、咲き誇る彼岸花や蝉の死骸を見るたび、私は少し憂になる。 つまり夏が終わって冬の足音が聞こえ始めたのだ。 コオロギやスズムシは今が最盛期だが、やがてそれらも絶えてゆくだろう。 死の横溢する冬の到来はどうにも避けられない。 人気ビジュアルノベルゲーム『月姫』には、”直死の魔眼“というものが登場する。 主人公・遠野志貴の目には万物の死、それも概念としての死が見えてしまうという。 その目を駆使して遠野志貴は危機を切り抜けてゆくのだが、そんなものが四六時中見えてしまっては正気ではいられない。 『月姫』は、そのさまもよく描いていた。 しかし平凡な私たちでも、秋から冬にはさまざまな死が見える。 芽吹きの季節や盛期があるだけでなく、秋の衰えと冬の死がやってくることを、四季は私たちに示唆してやまない。 思秋期、という言葉がその最たるものだが、洋の東西を問わず、人

    深まる秋に、50代の身の振りようを思う
  • 安楽死──それは希望か、絶望か | 「死ぬ権利」を問う

    近年、自殺補助を法制化する国が増えてきており「死」を取り巻く状況に変化が現れはじめた。その一方で、こうした動きを懸念し、強く反対する声もあがる。 特集では、死を望む患者のルポから医師の告白、反対派の主張、そして安楽死を取り巻く現状の解説まで掲載し、多角的な視点から今一度「死」について考えてみたい。 私たちに「生きる権利」があるならば、それと同様に「死ぬ権利」もあるのだろうか?

    安楽死──それは希望か、絶望か | 「死ぬ権利」を問う
    futenrojin
    futenrojin 2021/09/08
    この特集に入っている記事はどれも重いが、読む価値があった。ウエルベックの安楽死反対論は、数ヵ月前に話題になっていた気がする。先進国オランダの事例もリアルで興味深い。
  • ミシェル・ウエルベック「安楽死を合法化する国、社会、文明は敬意に値しない」 | むしろ破滅させることが望ましい

    2021年4月、自殺幇助を合法化する法案がフランス議会で審議されたことを受け、公の場ではめったに発言しないフランス人著名作家のミシェル・ウエルベックが口を開いた。結果的に議決にはいたらず審議期限を迎えたこの「安楽死法案」だが、ウエルベックは仏「フィガロ」紙に寄稿し、激しい反対意見を述べている。 命題その1:誰も死にたくはない 多くの人は、生命が完全に失われてしまうよりは、弱っていてもあった方が良いと思うものです。ちょっとした楽しみくらいは残っていますから。生命というものは、いずれにしても「弱っていく過程」と言えるのかもしれません。それに、ちょっとした楽しみ以外の楽しみなど、そもそもあるでしょうか(これは掘り下げて考えてみるべき問題でしょう)。 命題その2:誰も苦しみたくはない これは肉体的な苦しみの話です。精神的な苦しみには魅力があり、美的な素材にもなり得ます。こうした苦しみを奪おうという

    ミシェル・ウエルベック「安楽死を合法化する国、社会、文明は敬意に値しない」 | むしろ破滅させることが望ましい
    futenrojin
    futenrojin 2021/08/30
    ウエルベックが新聞に寄稿するのは、けっこう珍しいのじゃないかな? 「生命の尊厳」は重要だが、「死を選んだり、苦痛を逃れたりする自由や権利」という視点も議論に組み込んだほうがいい気がする。
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