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村上春樹に関するPledgeCrewのブックマーク (107)

  • 村上春樹と竹内好―「近代」の二重性をめぐって - 梶ピエールのブログ

    http://blog.tatsuru.com/2009/06/06_1907.phpより。 ムラカミ・ワールドは「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んでい止めるという神話的な話型を持っている。 『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフターダーク』、『かえるくん、東京を救う』・・・どれも、その基構造は変わらない。 「邪悪なもの」は物語ごとにさまざまな意匠(「やみくろ」や「ワタナベノボル」や「みみず」などなど)をまとって繰り返し登場する。 この神話構造については、エルサレム賞のスピーチで村上春樹自身が語った「壁と卵」の比喩を思い浮かべれば、理解に難くないはずである。 このスピーチでは、「邪悪なもの」とは「システム」と呼ばれた。 「システム」はもともとは「人間が作り出した

    村上春樹と竹内好―「近代」の二重性をめぐって - 梶ピエールのブログ
  • 多原香里『先住民族アイヌ』 - heuristic ways

    多原香里さんは、昨年秋の衆議院議員選挙で鈴木宗男氏擁する「新党大地」から比例区候補として出馬した人である。当時はよく知らなかったのだが、後で先住民族の問題に詳しい方から、月刊『現代』11月号掲載の魚住昭「ムネオの野望、新党大地の可能性」という記事をメールで教えていただき、そのとき多原香里さんがアイヌ民族出身で、フランスの大学院で先住民族の研究をしてきたという異色の経歴をもつことを知り、この人は一体どういう人なんだろうと関心を刺激させられたのだった。新党大地のことはいまだによく知らないが、党首の鈴木宗男氏が歌手の松山千春氏(「新党大地」は彼の命名)や元外務省の佐藤優氏らとコネクションをもっていることは興味深いと思っている。新党大地の比例区候補のもう一人、田中いづみさんも「札幌国際大学地域社会研究科の大学院生」とのことで、(当時無名の)多原さんや田中さんに注目するあたり、鈴木氏は只者ではないの

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    PledgeCrew 2009/05/02
    「羊をめぐる冒険」、村上春樹おそるべし
  • 前略、村上春樹様 - extra innings

    文藝春秋平成二十一年四月号に掲載されたインタビュー記事「僕はなぜエルサレムに行ったのか」を拝読しました。 それについて、あなた様宛という形で、自分の思うところを少々述べたいと思います。 まず、前提の知識として、村上春樹文学を私がどのように捉えて来たのかというのを簡単に述べておくのも無為ではあるまいと考えます。事は政治と文学の話なのですから、政治に語ると同時に文学についても語るべきなのでしょうから。 私はある意味では熱心な村上春樹文学の読者ではありません。世には非常に熱心な村上春樹文学ファンがいて、彼らのように身も心も委ねるような陶酔はそこにはありません。 しかしそれで言うならば他のどの作家にも私はそのような陶酔は抱かないのですが、あなたのお書きになるものが、私にとっては非常に印象深いものであったのは確かです。 村上春樹文学ファンの中でも少なからずを占めるであろう「村上春樹しか読まない」よう

    前略、村上春樹様 - extra innings
  • ブログ漂流

    ブログ漂流

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    PledgeCrew 2009/03/25
    問題は一時は燎原の火のごとく広がり支持もあった新左翼運動がなぜ自滅していったかだろう。あなたは連赤事件だけでなく、中核と革マル、青解の三つ巴の殲滅戦についても知らない世代ではないよね
  • 「正論原理主義の病」に関連して再々反論 - 情報学ブログ はてな出張所

    メインのブログに書いた「正論原理主義という病」という記事に対して、再反論をいただきました。メインのブログで扱うようなことではないと思うのに加え、もともと、はてな向けの話だと思うので、「出張所」の方で、若干補足します。この記事に最初にたどりついた方は、元の記事からお読みいただければと思います。 正論原理主義という病 http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-5758.html 論点1 「正論原理主義」などという愚かしい表現を、一切批判的に検討することもなく援用してしまうような無批判な態度(それが「情報学」なのだということであるが。嗚呼)。その態度がよく表れているのが以下の引用。 「正論原理主義」を克服するとは、「正論原理主義者」のように、「現実逃避」をしたり、「現実の自分を否定して、殻に閉じこもる」ことを止めて、「絶対的な自

    「正論原理主義の病」に関連して再々反論 - 情報学ブログ はてな出張所
  • 村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ「卵と壁」海外の反応:Haruki Murakami in Jerusalem

    Haruki Murakami made a powerful "Egg and Wall" speech at the 24th International book fair in Israel on February 15th, explaining his controversial decision to accept Jerusalem Prize while Israel is still at war. Back in Japan, the mainstream media reported as if Haruki expressed his strong objection against Israel, but his speech (full scripts) doesn't specify who's the Wall.  To me it sounds more

    村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ「卵と壁」海外の反応:Haruki Murakami in Jerusalem
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    PledgeCrew 2009/03/20
    「とても大きなイスラムの壁に包囲された“イスラエルの地”という名の小さなバスケットに入った卵が~」「建国」当初ならともかく現在では明らかに嘘。第一、政府も国民のほとんどもそんな見方は拒否するでしょうね
  • 村上春樹の文藝春秋4月号インタビューについて - itumadetabeteruの日記

    ちょいと遅いですけど、村上春樹の文藝春秋4月号インタビューについて。 はっきり言ってあまりいい印象は持っていません。 日で受賞が報道されてから、パレスチナ問題について活動している人たちから問題提起があったのは、有意義なことだったと思いますよ。僕にはももちろん言い分はありますが、どんなことだって賛否両論あって当然だし、たとえ僕が批判の矢面に立ったとしても、パレスチナで起きていることについてより多くの人が興味を持ってくれれば、それはそれで意味があります。大事な問題ですから。 ただ一方で、自分は安全地帯にいて正論を言い立てる人も少なくなかったように思います。たしかに正論の積み重ねがある種の力を持つこともありますが、小説家の場合は違います。小説家が正しいことばかり言っていると、次第に言葉が力を失い、物語が枯れていきます。僕としては正論では収まりきらないものを、自分の言葉で訴えたかった。 (強調は

    村上春樹の文藝春秋4月号インタビューについて - itumadetabeteruの日記
  • 村上春樹氏イェディオット紙インタビュー | 漂流博士

    随分時間がかかってしまいましたが、ようやく村上春樹氏がエルサレムに来たときのインタビューの訳ができたので以下掲載します。長文ですが、よかったら読んでください。どうやら、インタビューと言うよりも、写真を撮りながらの会話をインタビューにしているようで、記者が事前に用意した内容に村上春樹氏の言葉を差し込んでいったという印象をうけるのですが、いずれにしても、いかにしてイスラエルで村上春樹氏が受け入れられて、いかにして村上春樹氏がイスラエルまで来たのか、ということを感じられる興味深い内容になっています。 大物作家、イスラエルにて 2009年2月15日付け イェディオット・アハロノット 別冊 24Hours;4-5 -------------- 日人の著名な作家村上春樹氏は、ガザの厳しい映像を目にしてエルサレム賞の辞退をほぼ心に決めた。しかし、何度も悩んだ末、とにかく訪れることを決断した。「イスラエ

  • 坂のある非風景 道は断崖と絶壁によって挟み撃ちにされている

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com わたしたちは、わたしたちに死を書き込むために言葉を選択したのである。この「言葉」という部分をシステムといいかえてみれば、これはちょうど、村上春樹のエルサレム賞受賞講演の中の「システム」を「記号」に置きかえてみよといった内田樹と同じことを、ただ逆向きに行っているだけである。内田樹の村上春樹への過大な評価は、読みかえの技術の妙にあったが、それを称えることは村上春樹の講演を称えることにはきっとならない。 そこで、僕たちひとりひとりはかけがえのない魂を内包した壊れやすい「卵」であり、その卵の側に立つという使命感と、それに敵対する壁としての<システム>の物語がはじまる。何が打倒されるべきなのか、システムである。何が守られる

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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    PledgeCrew 2009/03/19
    id:mujige それは当たり前では。それともあなたは村上の父親が喜び勇んで出征したとでも思っているわけか。それはむろん村上の父親だけじゃない。歴史に対するあなたの論理と想像力はあまりにも貧困すぎやしないか
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    思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。

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    PledgeCrew 2009/03/17
    「ヘーゲル法哲学批判序説」をちゃんと読んだのなら、そんな単純な話にはならんだろう。 http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200704270001/  http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/20080409/
  • 行間を甘くみないで欲しい - 素通りできなかった時のために

    昨夜はある人のブログにとても感銘を受け思わず駄文を連ねてしまったのだが、そのあとある人のブログを読んで脱力してしまった。 村上春樹も、自分のスピーチに感銘を受けた人がこんな事を言っているのを知ったら頭を抱えてしまうのではないか。 確認しておきたいのは、正論原理主義の問題とは、文字どおり正論を原理としてしまう事であって、べつに正論を述べる事が問題だと言ってるわけではないという事。 また、言葉で述べられる正論を捨て、「言葉にならない正しさ」だとか「言語化され得ない概念としての正しさ」だとか、一見もっともらしいが何を示しているのか良く分からない「正しさ」に依拠せよなどという事でも、断じてない。 正しさをべつの正しさに置き換えたところで、正しさを原理としてしまうのであれば、そこでは何も変わっていないのだから。 正しさを語って容易に説得できないからといって、正しさを「見せた」ところで容易に同じように

    行間を甘くみないで欲しい - 素通りできなかった時のために
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/03/16
    「正論原理主義の問題とは、文字どおり正論を原理としてしまう事であって、べつに正論を述べる事が問題だと言ってるわけではないという事」まったく同感、それも読めぬ者には「元文学青年」などと名乗る資格なし
  • 「正論主義」ではありたい - 素通りできなかった時のために

    (以下ただのつぶやきです。自分自身にとって以外はそれほど意味がないかもしれませんので一応) 未整理のまま。 さいきん、村上春樹のスピーチ以後、正論原理主義批判が多く見られるようになったが、一種の自浄作用としてアリだと思う。 けれどもそれが行き過ぎて、実感優先主義、生活優先主義にまで退行しないように、そして、「正論原理主義」からは距離をとっても「正論主義」ではありたいと思う。 思えばこのブログ、当初は、「日人としての実感」に則した靖国参拝への疑義がきっかけだったし。 それにはてな界隈の外側では相変わらず、「当時の実感」に則した、大東亜戦争仕方がなかった論、が幅を利かせている事も事実なのだから。 「政治的に中立なんてありえない」という批判が正当であることと、自らにあるいは他者が中立性を仮託したプラグマティックな立場を認めることは両立するのではないか、とも考えたりする。 いやいや戦争に協力しあ

    「正論主義」ではありたい - 素通りできなかった時のために
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/03/16
    "「正論原理主義」からは距離をとっても「正論主義」ではありたいと思う。"
  • 小説小道

  • 坂のある非風景 政治について何か書いてみる

    第一に、社会には、詩で解決が考えられるような課題は、何ひとつ存在しないということである。小は、一の万年筆をつくることから、大は社会を変えることまで、詩によって解決できるのは、この社会に存在していないということである。詩は、無用のものであり、現実の社会のためには、なにひとつ直接役立つことはない。もちろん、詩にたいする「社会的要諦」などというものは、存在しないのである。 1960年、これはマヤコフスキーに対する批判として書かれたもので、マヤコフスキーは、詩は現実的な課題を解決する力を持ち、その要請で書かれると考えたが、それに対して吉は「そういう議論の仕方の底には詩の中で政治的であろうとし、現実の社会の中で詩的に生活したいという倒錯した心情がある」と指摘している。 倒錯の根底にあるのは、きっとこのときも抑圧と抵抗の物語であり、その中でもっとも楽な選択、おそらく享楽的な選択が倒錯を招いている。

  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

  • うちのこどもと、「正論原理主義」 - よそ行きの妄想

    村上春樹さんの「正論原理主義は怖い」という発言が話題だ*1。 村上春樹さんといえば、先日のエルサレム賞受賞式での「壁と卵」というスピーチ、自分は小説家だから壁と卵があればたとえ卵が間違っていようとも卵の側に立つという遠まわしな戦争批判ともとれる内容が大変な話題を呼び、一躍ときの人となった。そして今回の発言も、このスピーチに絡んでのもののようだ。 この「壁と卵」というメタファーについて、以前に内田樹さんが次のように解説されていた。即ち、壁とは言葉のこと、卵とは言葉にならないもののことであり、小説を書くということは言葉にならないものにスポットライトを当てて、それを行間で表現するということだと。私としてはこの解説を読んで、言葉にならないものの大事さ・脆さに強く同意を覚えると同時に、それを表現することの大切さ・難しさ、そして小説家という仕事のすばらしさを感じ*2、いたく感銘をうけたのだった。 さて

    うちのこどもと、「正論原理主義」 - よそ行きの妄想
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    PledgeCrew 2009/03/14
    「「正論原理主義」などという安易なレッテル張りではなくて~」 そうだね、嬉々として「レッテル貼り」に使う者も出てくるだろうね。生分かりの「正論」を盾にした「弱者」叩きが好きな連中もいるしね
  • 村上春樹氏のいう正論原理主義っていうのは

    去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

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    PledgeCrew 2009/03/14
    id:fuku33さん、他人の言論を盾にして下らぬ当てこすりを言うのはいいかげんやめてはどうです。あなたのそのステレオな「左翼」批判も別の「正義」を持ち出すことでしょう。あなたに欠けているのはその自覚ですよ
  • 市民運動の閉鎖性と公共性についてのメモ - macska dot org

    Filed under feminism Posted on 2007/10/01 月曜日 - 09:49:27 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/203/trackback/ 11 Responses - “市民運動の閉鎖性と公共性についてのメモ” 山口一男 Says: 2007/10/01 - 16:20:19 - I know there is strength in the differences between us; I know there is comfort where we overlap. – ani difranco いい言葉を紹介しますね。中国産の「小異を捨てて大同につく」はいかにも功利的ですが、この言葉には功利

    市民運動の閉鎖性と公共性についてのメモ - macska dot org
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    PledgeCrew 2009/03/13
    「正論原理主義」という村上春樹の指摘もこれと重なる。村上に反発するのもいいけどそこから教訓を学ぶこともできるはず、学べる教訓があるなら学んで損はしまいに
  • 「正論原理主義」なる言葉について - 遠方からの手紙(別館)

    原理主義という言葉は、もともと自己の宗教の経典や宗教的禁忌を絶対視する思想を指す fundamentalism の訳語にすぎないのであって、なにも「イスラム原理主義」に限られるわけではないし、それ自体がつねに否定的な価値判断を伴っているわけでもない。世界の中には、正真正銘の立派なキリスト教原理主義者もいれば、ユダヤ教原理主義者だっている。インドの「ヒンズー至上主義」だって、やはり一種の原理主義だろう。 たしかに、80年代以降の、タリバンやハマス、イスラム同胞団などのイスラム系諸団体の勢力伸張と、彼らが起こした「テロ」行為のために、現在では「原理主義」と言えば「イスラム原理主義」、「イスラム原理主義」といえば、野蛮でおっかない人たち、というイメージが流布しているのは否定できないが、来それとこれとは別の話である。だから、村上が「正論原理主義」なる言葉を使ったからといって、それがすなわち、彼の

    「正論原理主義」なる言葉について - 遠方からの手紙(別館)
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    PledgeCrew 2009/03/12
    村上が「原理主義」という言葉を使ったのは反アラブを露呈したとか言ってる人らはあまりに短絡、問題は「イスラム原理主義」なる言葉が安易なレッテルと化してることだろうに。「坊主憎けりゃ」式の発想は感心しない