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ローティに関するPledgeCrewのブックマーク (2)

  • 橋本努「リチャード・ローティを脱構築する」

    HOME リチャード・ローティを脱構築する 『理戦』no.74, 2003 Autumn, pp.66-87. 橋努 0.はじめに 「それを言っちゃぁ、おしまいよ」――世の中には、聞いてしまったら身も蓋もない答えが返ってくるような問いがある。哲学者リチャード・ローティが執拗にたずねまわるのは、そんな問いだ。とりわけ彼は、自身が身を置くアカデミックな正統哲学を無用であると告発し、哲学にルサンチマンを抱く人たちの生を肯定する。その魅力は、共倒れを覚悟で相手に最大のパンチをかますという、アイロニーの手法にあるだろう。相手を倒すが、自分もいずれ倒れる覚悟を決めておく。哲学に対する彼のアプローチは、そうした捨て身戦法にかける「意気込み」にある。 だが一方で、ローティの痛快さを嫌う人も多い。批判者たちによれば、「ローティのいうアイロニストの語彙では、民主主義を支持する理由を次の世代へ伝えていくことは

  • ハーバーマスのローティへの悼辞から - Aquarian's Memorandum

    リチャード・ローティが亡くなったことについては、先にちょっとだけ書いた。75歳での死。思想家として、もっと長く生きて、語り続けてほしいと思ったが、彼はすでに語るべきことは、語り尽くしたのだろうと、そこでは書いた。しかしここ何年か、私が物事を考えるさいの「導師」ともいえる存在だったこの人の死について、改めて何かを書いておきたいという気になった。そう試みているうちに、私が駄文を書くよりも、ドイツの思想家ユルゲン・ハーバーマスが書いている追悼文の抄訳と紹介をしたほうがよかろうということになった。以下がそれである。 すい臓癌だったという。そのことをすでに1年前に彼は知っていた。思想的に同志でもあり論敵でもあったハーバーマスに、そのことを電子メールで打ち明けていた。ハーバーマスは、彼に対する追悼辞 "Philosopher, poet and friend" の中で、そのときのメールを紹介している。

    ハーバーマスのローティへの悼辞から - Aquarian's Memorandum
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