タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

啓蒙に関するPledgeCrewのブックマーク (3)

  • 愚行権は安全装置になってません - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「安全装置としての愚行権」 について。質問の(1)〜(6)については、番号ふってあります。 タイトルはちょっと変かな。「tikani_nemuru_M氏の理解するところの愚行権は」と言うべきか。 相手を目的とする、ということ とりあえず、(6)からやりましょうか。>「「相手のためになる批判、相手を目的とした批判」って、具体的にどういう批判だ?」 先に書いておくと、「相手のためになる批判」なんて、言ってないと思いますが。まぁ、それはそれとして。 「相手を目的として語る」とは、直接語りかける場合には、相手は説得可能であることを前提として、相手を説得するという目的を保持して語るべきだ、ということを言っています。最近の記事に限らず、これは僕が数年来このブログで言い続けていることですけども。これを大事だと痛感している人だけが、その点を読み取ってくれます。考えたことがない人は、当然のようにスルーします

    愚行権は安全装置になってません - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 愚行権とか、啓蒙の暴力とか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「問題は疑似科学ですらない」@地下生活者の手遊び 「愚行権」にせよ、「啓蒙の暴力」にせよ、実に粗雑な使われ方をしてるのをよく見かける。あまりに酷いので、当面、自分で使うのは自粛しているくらいなんだけど、またか、という感じではある。 「愚行」を支えるもの とりあえず、愚行権とはどういうものか、tikani_nemuru_M氏の記事もあるわけだが、そのまた元ネタであるところのミル『自由論』に遡って引用してみる。 ……社会が個人として強制と管理という形で干渉するとき、そのために用いる手段が法律による刑罰という物理的な力であっても、世論による社会的な強制であっても、その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することにあるのだ。その原則はこうだ。人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だと言えるのは、自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を

    愚行権とか、啓蒙の暴力とか - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 「愚行権」と「他者危害原則」による啓蒙の暴力 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    tikani_nemuru_Mさんからお返事きました。見る限り、これで論は尽きたと思います。お返事は、基的には、過去の記事の繰り返しですが、別様に書いて分かることもあるでしょう。>「寝言はいいかげんにしてくれ」 当たり前のことは、当たり前であるか 「相手を目的として語る=相手を説得するという目的を保持して語る」なの? orz こんなアッタリマエのことをいってたの? 脱力が括約筋にまで及んで脱糞しそうだにゃ。 この当たり前のことが簡単に捨て去られるという現象が、たとえばNATROM氏の発言において「この母親の考えを変えることはできないだろうが」という、その文言を言わなくても済むはずの蛇足として現れるのであり、たとえば「ビリーバーの考えを変えられない」という諦観として現れるのであり(これも言う必要もなければ、その根拠もないこと)、さらに、「散々論争した上で到達する諦観だからこそ説得力がある」

    「愚行権」と「他者危害原則」による啓蒙の暴力 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 1