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国家に関するPledgeCrewのブックマーク (4)

  • 「家族」レトリックについて追記 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    前回の「家族レトリック」についてこんな意見をいただいた。 「家族会議に友人のレトリック」に関してはそもそも政治の場を「家族会議」とモデル化する時点で自称リベラリストとしては相当ぞわぞわ来てるんですけれども、感覚的な所だけではなくて、その「家族会議が持つべき私的排他性」という要素を民主主義(の中でも地方自治)という「公的な場」に対して無批判に、スッポリと当てはめている所が綻びの根源だと思います。 つまり、「家族の私的性格」というものを主張する必要性としては、「家族のことに対して国家が介入するのは最低限に留める」という観点から「国家の公的性格」と対置してこれを考えることによって私的領域を確保する必要性が導かれ、同時にその正当性も生じるのだと思いますが、このレトリックでは地方自治の「私的性格」に対応する「公的性格」の持ち主が見えて来ず、「私的性格」を打ち出す必要性を欠いているため、それを述べる正

    「家族」レトリックについて追記 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/02/25
    「家族国家論」とはいったいいつの時代の話なんだ
  • K.レンナー「属人的民族自治」の可能性(6)

    “個人がよく整序された民族的権利と義務の主体となるためには、国家成員の民族性、主体としての資格が、民族性宣言によって客観的なものとなり、法的に把握可能なものにならねばならない。さらに、推定された諸権利が当に民族の手に入るには、民族は、自由な統一体として、私法上の法人格として、公法上の団体として組織されねばならない。最後に、民族は、国家から自由な存在、国家の公民、国家の臣民、国家の機関という、国家に対する四つの地位において、団体として把握され、法的に認められねばならない。厳格で効力のあるそれぞれの民族的法秩序のこれらの形式的要請と措置とが確かめられて、それから民族の利益と民族的権利の措置の実質的な内容について問われるのである。”(p159) “民族の全体は秩序なき全体(universitas inordinata)から秩序ある全体(universitas ordinata)にならねばならな

    K.レンナー「属人的民族自治」の可能性(6)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/03/27
    カール・レンナー、オーストロ・マルクス主義の代表者、戦後は初代大統領を務めて、米ソの冷戦をうまく切り抜けた人
  • ネパール評論

    全身麻酔を,先日,初めて体験した。 生来,小柄・痩身ながらも健康で大病知らず,麻酔とは無縁であったが,昨年,喜寿を過ぎたころから,身体に故障が出始めた。耐用年数を超えたらしい。 先日も,胃腸の調子が悪くなった。やむなく病院に行くと,内視鏡検査が必要といわれ,麻酔をかけられてしまった。初の全身麻酔! この全身麻酔は,不思議な体験であった。これまで麻酔は,夜,眠るようなものだと,なんとなく思っていた。睡眠であれば,眠くなり,時々は夢を見たりしながら寝入り,やがて目が覚める。このような睡眠であれば,「夢現(ゆめうつつ)」のときがあるからか,多かれ少なかれ覚えており,後から思い出すことができる。 ところが,先日の全身麻酔では,突然,何の予兆もなくスパッと意識が消え,「ハイッ,終わりましたよ!」という看護師さんの声で目が覚めた。その間のことは,まったく何一つ記憶にない。完全な無,「絶対無」なのだ!

    ネパール評論
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/03/27
    これはおもしろい。レンナーの民族論を論じているのも珍しい
  • なにごとも なければ平和なのかって問題 - hituziのブログ 無料体験コース

    ことなかれ主義って いやだねえ。 なにも事件が おきなきゃ それで おっけーってのはですよ。ちょっと、そこの おまえ、だまってろってことになるじゃないですか。 がまんしなさいってことになるじゃないですか。文句をいうなとか、そういう はなしになるじゃないですか。 おさえつけてるよなあ。おさえつけられてるよなああああ。 韓国の自由主義者の左翼評論家のピョン・ヂョンスさんが『満場一致は無効だ』ってをだしてるんですよ。これが いいでね。 ピョンさんが いうに、「意見の一致が のぞましいものであるとされるかぎり、最小限の「コンセンサス」に到達することさえできないだろう」(7-8ページ)。うひゃ。逆説的だよね。満場一致は不可能なだけにとどまらない。たとえ それが可能であるとしても、それこそが…中略…もっとも危険なことである。それならば、のこる問題は、「だれもが同意できる不変の真理」ではない。究極的

    なにごとも なければ平和なのかって問題 - hituziのブログ 無料体験コース
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/01/19
    まことにもってそのとおり
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