【読売新聞】 博物館などで文化財を傷める虫やカビをガスで殺す「 燻蒸 ( くんじょう ) 」を行うことが、格段に難しくなる可能性が高まっている。国立博物館など全国の博物館で最も一般的に使われているガスの販売終了が決まったためだ。現在
【読売新聞】 博物館などで文化財を傷める虫やカビをガスで殺す「 燻蒸 ( くんじょう ) 」を行うことが、格段に難しくなる可能性が高まっている。国立博物館など全国の博物館で最も一般的に使われているガスの販売終了が決まったためだ。現在
奈良市は、富雄丸山古墳で見つかった長大な蛇行剣などを、保管・展示する機能を備えた新しい文化財センターの基本構想をこのほどまとめました。 それによりますと、新しく建設される奈良市の文化財センターは、富雄丸山古墳や現在建設中の道の駅の周辺での建設を想定していて、広さは延べ床面積で6000平方メートル以上と、現在ある施設の2倍ほどになる計画です。 市内で見つかった文化財の調査や研究にあたる設備のほか、これまで手狭だった資料の保管や展示施設も充実させるということで、富雄丸山古墳から見つかった▼蛇行剣と呼ばれる波打った形が特徴の 古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣や▼これまでで発見例がない 盾の形をした青銅製の鏡などを、展示するコーナーも設けることにしています。 また資料を保管する収蔵庫は、壁の一部を透明な構造にし、来館者が中を見られるようにするということです。 新しい文化財センターは、早ければ
サントリー美術館 @sun_SMA 東京・六本木にあるサントリー美術館の公式アカウントです。展覧会情報や各種イベント情報をお届けします。(サントリー社内の公式アカウントのみをフォローし、リプライ、ダイレクトメッセージへの返信はしていません) 公式アカウント ガイドラインはこちら→suntory.jp/snsguide/ suntory.jp/SMA/ サントリー美術館 @sun_SMA \ほ、骨!?/ こちらはなんと鶴の脛骨(けいこつ)に蒔絵で装飾を加えた笄(こうがい)。鶴の骨の笄が最上品とされた時期があったそうです。京都や大坂では、江戸時代末頃まで頭痛除けとして使われたとも。 #メイヒン展 suntory.co.jp/sma/exhibition… pic.twitter.com/mc1zdvrbA9 2024-05-03 10:00:03
専門ミュージアムに行ってみよう。第1回「絶滅メディア博物館」日本には専門的な分野を扱う美術館や博物館が数多くある。各館の展示内容とともに、設立秘話やコレクションにかける思いなどをシリーズで紹介する。 文=浦島茂世 展示風景より 2023年1月、大手町に一風変わった私設博物館が開館した。その名は「絶滅メディア博物館」。館内には8mmフィルムカメラ、ビデオカメラ、フロッピーディスク、携帯電話やPHS、カセットプレーヤーなど、かつてはポピュラーだったものの、いまでは使われることがほぼなくなったメディア機器がジャンルごとに整然と並ぶ。都心の一等地になぜこの博物館が生まれたのだろうか? あまりふり向かれない「絶滅メディア」専門の博物館 絶滅メディア博物館は大手町と神田のあいだ、東京都千代田区内神田に位置する。この博物館はその名が示す通り、絶滅、あるいはほぼ絶滅に近い状態のメディア機器を収集・保管・展
城下の歴史や戊辰戦争、ジオラマと映像で解説 福島県会津若松市の県立博物館「三の丸アベニュー」新設 2024/04/21 17:00 会津若松城下の歴史や戊辰戦争の様子を紹介する「三の丸アベニュー」 福島県会津若松市の県立博物館は常設展示室の展示ロビーに、会津若松城下の歴史と文化に焦点を当てる「三の丸アベニュー」を新設した。ジオラマとプロジェクションマッピングで戊辰戦争の様子などを詳しく解説している。 博物館を拠点に観光周遊につなげる「三の丸からプロジェクト」の一環。 縦5・2メートル、横7・2メートルの展示ユニットを設置。東西約5キロ、南北約3・5キロの会津若松エリアを700分の1の大きさのジオラマで再現した。「若松城下の成り立ち」「若松籠城戦」の2テーマでプロジェクションマッピングの映像を投影し、ナレーションを交えて城下の特徴や戊辰戦争の流れを紹介している。 学芸員が選んだ若松城下の見ど
香港から伝承館を訪れ、展示物を見学する李さん=3日午後 東日本大震災・原子力災害伝承館(福島県双葉町)の2023(令和5)年度の来館者数は9万3759人となり、前年度を1万3640人(17%)上回り過去最多となった。被災地の復興の歩みを学ぶホープツーリズムが浸透しつつあるのに加え、新型コロナウイルスの行動制限撤廃に伴うインバウンド増加が要因とみている。今年度は展示物の解説文の多言語化を進め、海外からの受け入れ体制を強化する。 施設を運営する福島イノベーション・コースト構想推進機構が3日、発表した。伝承館の来館者数は【グラフ】の通り。9月に開館した初年度は4万3750人で、毎年度増加している。累計の来館者数は3月31日現在、27万5899人。 伝承館によると、行動制限の解除で2023年度は海外からの来館が特に増加した。アジアや欧州、南米など世界各地から個人・団体が毎日訪れているという。県のホ
無人駅を有効活用しようと、JR東日本高崎支社は鉄道古物を集めた体験型の「やままえ駅ミュージアム」を栃木県足利市の両毛線山前駅内に開設した。国鉄時代に列車運行の安全装置として使用した機械や駅長の机などを展示し、往時の駅員業務を体験することができる。8日は地元・山前小の児童約80人が施設内を見学した。3月下旬ごろに予約制の体験イベントを開催するという。 昔ながらの木造駅舎の山前駅(約35平方メートル)は、1897年に開業した。近くにあった足利競馬場(1969〜2003年)の最盛期はにぎわったが、近年の1日の利用者数は約870人という。2019年に無人駅となった。 同社は昨年夏、内部のプロジェクトチームを設置し、使わなくなった同駅駅員事務室の活用策を検討した。鉄道の魅力を知ってもらう機会を創出しようと、国鉄時代や民営化後も使用していた鉄道古物のミュージアムの開設を決めた。 線路の一定区間に同時に
原爆資料館の訪問者急増 2時間待ちも、サミット効果か―混雑解消へウェブ販売導入・広島市 2023年12月28日13時30分配信 平和記念資料館(原爆資料館)入館のため並ぶ人々=8月14日、広島市中区 広島市中区の平和記念資料館(原爆資料館)の来館者数が4月以降、急増している。5月に開かれた先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)などの効果とみられ、夏には2時間待ちとなる日も出た。市は混雑緩和のため、チケットのウェブ販売などの対策を取る考えだ。 「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌 市によると、資料館の入館者数は新型コロナウイルス流行前の2019年度は約176万人だったが、コロナ禍で20年度は約33万人に減少。今年度は11月までの8カ月間で、既に22年度(約113万人)を超える約149万人となり、コロナ禍前を上回る勢いだ。 広島サミットでは、ウクライナのゼレンスキー
原爆資料館(広島市中区)の慢性的な入館待ちの解消へ、市が一部の時間帯のチケットをオンラインで予約販売する方向で検討していることが6日、分かった。2023年度内の試行を想定。8月に限り、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ被爆資料を分散展示する調整も進めている。
【読売新聞】 国立科学博物館(東京・上野)は6日、標本の保管費用を確保するために8月から始めたクラウドファンディング(CF)で、9億円超が集まったと発表した。当初目標の1億円を大幅に上回り、CFサイトの運営会社によると、国内のCFと
宮内庁宮内公文書館(東京都千代田区)などが所蔵する、明治以降の皇室と栃木県のゆかりを示す調度品や絵図、公文書などを紹介する企画展「近代皇室と栃木 ~とちぎ御用邸ものがたり~」が、宇都宮市睦町の県立博物館で開催されている。1926(大正15)年に建てられ、昭和天皇以降の皇族が過ごしてきた那須御用邸(那須町)の所蔵品など約240点を、県誕生150年を記念して集めた。 近代皇室と県のつながりは、明治天皇が1876(明治9)年の巡幸で訪問したのを機に始まったとされる。会場では、大正天皇が皇太子時代の99年、1904年に静養地として建てられた日光田母沢(たもざわ)、塩原両御用邸(当時)の絵図・所蔵品などを公開。実物展示では、日光田母沢御用邸で使われた杉戸絵「白梅(はくばい)ニ鶏(とり)」(遠坂文雍(とおざかぶんよう)筆)や塩原御用邸で使われた大型の蚊帳が目を引く。 11月26日まで。月曜と11月24
午前11時58分。“魔の時刻”と呼ばれた時間帯があった─。関東大震災から9月1日で100年を迎える今年、震災特集の取材を進めていると、未曽有の惨事を後世に残そうと、遺物を集めた展示施設がかつて横浜にあったことを知った。どんな場所だったのか、幻の施設の謎を追ってみた。 1961(昭和36)年9月1日付の本紙をめくると、こんな記述がある。 「いまから三十八年前、大正十二年のこの日『午前十一時五十八分』は中年以上の人なら忘れられぬ“魔の時刻”で、思い新たに当時をしのぶだろう。そして横浜の野毛山に震災記念館が建てられたことを思い出す」 見出しは「廃館同様の横浜震災記念館」─。 「思い出してみれば、昼食の最中だった」と、震災を体験したであろう当時の記者が、野毛山(横浜市西区)にかつてあった「震災記念館」の誕生と廃退の経緯をひもといている。 「戦後すぐ廃館同様に」とあるが、いったいどんな施設だったのか
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2022年10月に開館した福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館=福井市安波賀中島町で2023年6月13日午前11時27分、柴山雄太撮影 室町から戦国時代にかけて越前国を治めた朝倉氏の本拠地、一乗谷(福井市)。昨年10月、現地に「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」が開館した。当時は「京に勝る」とも言われるほどの栄華を誇った一乗谷はどんな所だったのだろう。施設を訪ねた。 朝倉氏は元々、但馬国朝倉庄(現在の兵庫県養父市)の武士で、南北朝時代に越前国に移ってきた。越前守護・斯波氏の重臣として力をつけ、孝景(たかかげ)(1428~81年)の代に一乗谷に本拠を移したとされる。 一乗谷の遺跡は足羽(あすわ)川の支流、一乗谷川に沿った谷間にある。全国で唯一、戦国時代の城下町跡がまるごと残る貴重な遺跡で、278ヘクタールが国の特別史跡に指定され、発掘調査や研究が続けられている。
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