この元記事は過去ログとして別リンクに移住させます ここは劇場版実写リトルマーメイドの配役発表時にお気持ちで暴れたオタクの跡地です。 劇場版公開で再バズするのが嫌なので消そうかと思ったけど、それはさすがに無責任っぽいので、というか昔ツイートを匿名掲示板に転載されたのがバズってトラウマなので、消さずに別ページに移送します。 まだ見たい人は以下を認識した上で元記事を読んでください。 インターネットで知らない人を担がないでください 私のことをすごい知識人と勘違いして担いだり反論したりする人が現れ始めて恐怖しかないので、日本公開前に元記事は別ページに移送する処置を取ります。 いやーなんかもう誰かのせいにしたいが自分の顔しか思い浮かばない。 まず大前提として、私は知識人ではなく匿名の限界オタク個人です。というか、発達障害+学習障害+精神疾患で無職、バイトはしたことあるけど所得税払ったことないです。すべ
弥生時代の大規模な環ごう集落の跡が残る佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、弥生時代後期のものとみられる墓の一部が出土し、専門家は「かなり身分が高い人の墓の可能性が高く、さらに調べれば歴史的に大きな意味を持つ発掘になる可能性がある」と話しています。 吉野ヶ里遺跡では、歴代の王の墓とされる「北墳丘墓」のすぐ西側にあり、貴重な発見があるのではと注目されながら手付かずだった「謎のエリア」と呼ばれる場所で去年から、10年ぶりとなる大規模な発掘調査が行われています。 この調査で先月、4枚の平らな石が並んだ状態で見つかりました。 4枚を合わせると全長は2メートルほどになり、調査を行っている佐賀県によりますと、墓の「ふた」だということです。 弥生時代後期、1世紀から3世紀ごろの有力者の墓のふたとみられ、表面には「×」のように見える線が交差した記号のようなものが無数に刻まれていて、埋葬した際に何かしらの意図を持ってつけ
――山岸美喜さんは、徳川慶喜家の第5代当主です。慶喜からみれば、玄孫ですね。祖父は15代将軍・慶喜の孫の慶光さんで、祖母は幕末の会津藩主・松平容保の孫の和子さんという、由緒正しい御家柄です(家系図を参照)。 山岸美喜さん(以下、山岸) 会津松平家は祖母の実家で、徳川慶喜家は母の実家です。慶喜家の当主は、慶喜の七男の慶久、孫の慶光、ひ孫の慶朝と受け継がれました。慶朝の遺志によって、5代目当主として、家じまい、墓じまい、いわゆる絶家という局面に向き合っています。 徳川慶喜家の家系図 徳川宗家と慶喜家の違い ――そもそも、徳川宗家と徳川慶喜家は、どう違うのでしょうか。 山岸 慶喜は1867(慶応3)年に大政を奉還して、謹慎、引退という事になりましたが、将軍という立場を失っても、徳川宗家の当主を誰かに継がせなければいけない。のちに10男11女をもうける慶喜ですが、このころはまだ子がなく、田安徳川家
明治新政府の樹立直後に駐日英国公使の一行が襲撃されたいわゆる「パークス襲撃事件」で、公使を守った土佐藩士、後藤象二郎に感謝のしるしとしてイギリスのビクトリア女王から贈られたサーベルが東京都内で見つかりました。 見つかったのは土佐藩の家臣、後藤象二郎にビクトリア女王から贈られたサーベルで、豪華な装飾が施された「さや」やベルトなどの付属品とともに見つかりました。 「パークス襲撃事件」は明治新政府の樹立直後の1868年、天皇に謁見するため京都御所に向かっていた駐日英国公使、ハリー・パークスの一行が攘夷派の志士に襲われたもので、後藤らの活躍により、パークスにけがはありませんでした。 サーベルは当時、感謝のしるしとして贈られたもので、長さはおよそ96センチメートル「つか」には象牙でライオンの頭の彫刻が施され、刀身には英語で襲撃事件が起きた日付とともに「後藤象二郎に贈る」と彫り込まれています。 また、
アルミからプラへ、その転身を担ったものは 組立式のアメリカンカープラモとその前身で完成品だったプロモーショナルモデル、このふたつは地続きだけれど、この世紀の転換に最初の一歩を踏み出したメーカーは実はふたつあった――今もその名を残すamtと、遠い昔に失われてしまったSMP。このどちらを欠いてもアメリカンカープラモの繁栄はなかった。好評連載第3回は、この両社が同じ軸の両輪となってアメリカンカープラモへと舵を切った、その軌跡をつぶさに追ってみたい。 【画像15枚】またひとつ謎が明らかに…!の画像を見る 1957年の終わり、組立式のアメリカンカープラモをまず誕生させたのはamtという会社と、今は忘れ去られてしまったもうひとつの会社だった。 1948年の創立以来ずっとフォードと親しい間柄にあったamtは、正式な社名をアルミニウム・モデル・トイズといい、戦後たいへん安価かつ入手容易だった鋳造アルミニウ
太陽光発電計画が明らかになった馬主来沼(中央後方)西側。国道と海岸線の間の土地で計画が浮上している=釧路市音別町で2023年3月30日、小型無人機から撮影(市民提供) 北海道白糠町と釧路市音別町(旧音別町)の境界にある馬主来沼(パシクルトウ)西側の民有地で、大規模な太陽光発電計画が持ち上がっていることが、関係者への取材で明らかになった。一帯はアイヌ民族の伝統的生活空間「イオル」とされ、民族の伝承も残されており、近隣に暮らすアイヌ団体の幹部らからは懸念の声が上がっている。 明らかになった計画は、馬主来沼の湖畔の西側に当たる釧路市音別町の5ヘクタール強の原野。国道38号南側の海岸沿いに位置する。 不動産登記簿などによると、2021年8月、東京都港区の会社(A社)が、紋別市の会社から条件付きで買い取るとの所有権移転仮登記をした。条件は「本件土地の状態が発電事業を行うのに適切であると、買い主が判断
この鼻眼鏡をかけた、ずんぐりした男は、依然としてスターリン時代の最も象徴的な人物の一人だ。ラヴレンチー・ベリヤは、抜け目がなく悪辣で、勤勉だが快楽主義者だった。しかし、人々があまりに彼を恐れていたことが、結局、彼の失脚と死にもつながった。 ボスの独裁者ヨシフ・スターリンと同じく、ラヴレンチー・ベリヤ(1899~1953)も、グルジア(ジョージア)で生まれ育った。 グルジア人に近い少数民族、ミングレル人で、ロシア革命後の内戦の期間(1918~1921)に彼は、グルジアに隣接するアゼルバイジャンで、ボリシェヴィキのためにスパイ活動と秘密作戦を専ら行っていた。 後にベリヤは、ソ連の秘密警察「チェーカー」(正式名称は反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会)のために働くべく、グルジアに戻った、 ベリヤは、グルジアで出世階段を駆け上がった。1930年代、スターリンがグルジアの古参の共産主義者たちを
東京都美術館のマティス展にいってきた。回顧展だが、とくに1910年前後のマティスの作品群が、個人的にはモダンアートの歴史全体においてピークの一つだと考えているので、それらを見ることができたという意味においては展示に満足した。ただ、帰ってカタログの論考を読んでみて、思うところがあったので記事にしておく。 今回のカタログでは、近藤学氏、藪前知子氏、アラステア・ライト氏、岡崎乾二郎氏の論考が掲載されていた。アラステア・ライト氏以外の三人については日本の美術業界では著名なので知っていたが、ライト氏の名前はまったく聞いたことがなかった。どうもオックスフォード大学で美術史について教えている方らしい。 ライト氏の論考は「プリミティヴィズム––アフリカ芸術との出会い」という題で、マティスとアフリカ彫刻の影響について論じている。こういった文物がヨーロッパに入りこんでくるのは言うまでもなく帝国主義による植民地
2023年04月19日10:00 【朗報】イギリス史、ガチで面白い なぁお前らなんでイギリス史勉強しないんだ? Tweet 1: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:21:39.14 ID:8lq9fdGWa【悲報】巨頭オ、発見されてしまう【ガチ闇深】 最高やでイギリス史 2: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:22:13.70 ID:ZQi46gsM0 胸糞悪いだろ 3: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:23:20.53 ID:5wfKlxCqd デーン人に完敗した後フランスに完敗して最終的にドイツ人に王位とられる話 25: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:50:41.40 ID:2CZ21mE3M >>3 結果君臨すれども統治せずやからな 5: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:26:
文明交錯 (海外文学セレクション) 作者:ローラン・ビネ東京創元社Amazonこの『文明交錯』は、スペインがインカ帝国を征服した史実を反転させ、逆にインカ帝国がスペインを征服していたら世界はどう変わっていったのかを描き出す歴史改変長篇だ。著者は『HHhH――1942年』などで知られるローラン・ビネ。 『HHhH』はメタ歴史小説とでもいうべき傑作で、本作もその設定のキャッチーさからかなり期待して読み始めたが、期待以上のおもしろさだ。普通に考えたら資源にも装備にも劣るインカ帝国がスペインを征服できるはずはないのだが、何が起こったらそれが起こり得るのか? を追求していく手付きはまるでノンフィクションを読んでいるかのよう。そして、征服の過程、また征服を終えた後、反乱を抑え周辺諸国と渡り合っていくために内政をいちから整えていく様はまるでゲーム『シヴィライゼーション』をプレイしているかのようなスピード
掲載:2015.01.13. 執筆:桜井万里子 関連⇒*【特論10】古代ギリシアにおける医術と女性(桜井万里子) 1おばあさん仮説 柳田國男の「妹の力」という有名な作品があります。妹の存在、言動が兄の決断や行動に影響するという内容のもので、この題名を借りてかつて私の本『古代ギリシアの女たち』の中の一節を「寡婦の力」とつけました。その節の内容をさらに拡大して今日はお話ししたいと思いましたので、講演のタイトルを「おばあさんの力」としました。とうとう桜井もおばあさんに近づいたのでこういう題の話をするのだな、とお思いになった方もいらっしゃるかと思いますが、決してそうではありません。いえ、もしかしたら無意識にはそうなのかもしれませんが、意識の上ではそうではありませんので、まず、この「おばあさん」について簡単にご紹介しておきたいと思います。この語は長谷川眞理子さんの編著書『ヒト、この不思議な生き物はど
乱会 @ransedoukoukai これは惚気話なのですが、高校時代の友達数人(not歴史オタク)と泊まりの旅行に行った時、夜「恋バナしよ~~」みたいな流れになって、私は恋バナの手持ちが無さ過ぎて自分のターンの時に「自分の恋バナ無いんで、戊辰戦争の話していいすか?」と言って黒田清隆と榎本武揚の話をした事がある 2023-04-08 19:05:54 乱会 @ransedoukoukai 友達は「敵同士でも相手を認め合って生涯の友情を築いた、いい話だね…」「帰ったら日本史の教科書読み返すわ…」と反応してくれて、良い友人達を持ったな……っていう友人惚気話でした 2023-04-08 19:08:48
ひとつ この仕事を通じて、お客さま全てのより豊かな暮らしに奉仕致します。 ひとつ 真心を込めて、よい品をどんどん安く売る事を働き甲斐と致します。 ひとつ 人を愛し、店を愛して、日々美しい努力を続けます。
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