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歴史と人生に関するcinefukのブックマーク (18)

  • 旧統一教会・戦後保守・岸信介…安倍元総理銃撃事件犯人の世界観とは?(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    世界を震撼させた安倍元総理銃撃事件から数日が経ち、犯人である山上容疑者の犯行動機が明るみになり始めている。報道によると、「家庭を壊した団体を日に招いたのが岸氏(岸信介)で、その孫の安倍氏を狙った」とし、その「団体」とは世界平和統一家庭連合(旧統一教会、以下旧統一教会)であり、7月11日に田中富広会長が山上容疑者の母親が信者であり、「1カ月に1回程度の頻度で、教会の行事参加していた」旨を認めた。 ではこの「家庭を壊した団体を日に招いたのが岸氏(岸信介)で、その孫の安倍氏を狙った」という山上容疑者の身勝手な世界観をどのようにとらえたら良いのだろうか。 結論として、銃撃は許されざる犯行であるが、山上容疑者の言う「家庭を壊した団体を日に招いたのが岸氏」というのは、解釈の余地はあるが、事実として極めて的外れである、とは言えない。そして安倍元総理が旧統一教会と関係があるか無いかについては、「ある

    旧統一教会・戦後保守・岸信介…安倍元総理銃撃事件犯人の世界観とは?(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 「客取ったことがないから」?とある遊郭で育ったお婆さんの言葉がとても考えさせられるものだった

    BESAN@提督、殿、そしてトレーナー @BESAN_T 今回、案内してくださった橋遊郭で生まれて育った79歳のお婆さん、「遊郭を扱った作品、大抵は売られた女性の悲哀ばかりを取り上げてるけど、そればかりではなかったことをもっと知ってほしい」というお話が印象的だった。日はありがとうございました! pic.twitter.com/x38lidXYWN 2022-06-12 12:34:42

    「客取ったことがないから」?とある遊郭で育ったお婆さんの言葉がとても考えさせられるものだった
    cinefuk
    cinefuk 2022/06/15
    奴隷商人の子供は、優しい両親や親切な使用人に囲まれて幸せに育っただろうさ。どの時代の奴隷だって、それなりに日常の楽しみを見つけて暮らしていただろうけど、それを以て負の歴史を否認できるものではないし
  • 噓をつく人 - 史セツキ / 【コミックDAYS読み切り】噓をつく人 | コミックDAYS

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    噓をつく人 - 史セツキ / 【コミックDAYS読み切り】噓をつく人 | コミックDAYS
    cinefuk
    cinefuk 2022/01/23
    #黒孩子「現代日本に男女差別なんかない、法律で決まっている」と思い込む人と、現実の差別に生きる人の見えているものの差を考えた。中国社会だけではない、普遍的なものが含まれる(だから、人の心を打つんだ)
  • 大好きなおじいちゃんが「戦争犯罪人」だった? 高2の夏に知った祖父の過去(小暮 聡子)

    1945年8月15日。その前日に日はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は実質的に終わった。この戦争で、世界中の人々が大切な家族や友人を失い、傷つき、その痛みは今もさまざまな形で残されている。 戦後76年になる今年、岩手県の釜石市郷土資料館である企画展が開催されている(緊急事態宣言により臨時休館中、宣言開けに展示期間を延長予定)。「釜石の捕虜収容所―記録と記憶を後世へ―」というテーマで、戦時中に釜石収容所の所長を務め、戦後は「戦犯」として有罪となった日人収容所所長の手記と、当時捕虜となっていた方々の手記、その両方を展示するものだ。 この所長、稲木誠さんはなぜ戦犯とされたのか。捕虜収容所で何があったのか。その現実に向き合い、長く調べてきたのが、『ニューズウィーク日版』記者の小暮聡子さんだ。小暮さんは20年以上前、高校生のときに祖父である稲木さんが捕虜収容所の所長だったことを知ったのだと

    大好きなおじいちゃんが「戦争犯罪人」だった? 高2の夏に知った祖父の過去(小暮 聡子)
    cinefuk
    cinefuk 2021/08/15
    業務として、ホロコーストに関与した人の事を思う。名古屋入管のような事件が起きるたび「自分は、組織の論理に逆らって、自分の良心に従う事ができるだろうか?兵役忌避者が罪に問われる状況でも?」と考える
  • 「1日で49人の相手を…」 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見 | 毎日新聞

    宮崎康平氏が「からゆきさん」をインタビューした際に録音したテープ。「からゆきさんの話(1)」と書いた紙が貼られている=内嶋善之助さん提供 「一日一晩のうちに、49(人と)したよ……」。16歳の少女は、船底で汚物にまみれて海を越え、見知らぬ異国で春を売った。幕末から明治、大正にかけ、貧しさから海外に渡り、娼婦(しょうふ)として働いた女性「からゆきさん」。その一人が約60年前、その過酷な体験を赤裸々に語った約12時間分の肉声がテープに残されていた。からゆきさんが自らについて語ったり書き残したりした史料はほとんど残っていない。この女性はシンガポールで裕福なイギリス人に身請けされ、たくさんの宝飾品を贈られて「ダイヤモンドおなご」と日人の間で呼ばれた。30歳半ばでホテル経営に乗り出すほど成功したが、帰国後、だまされてほぼ無一文になるなど、波乱に富んだ生涯だった。しかし、海外に渡った女性の存在は地元

    「1日で49人の相手を…」 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見 | 毎日新聞
    cinefuk
    cinefuk 2020/12/29
    『女衒の手引きでシンガポールに密航したのは日露戦争開戦の1904年。島原港から24人の若い女性たちと4人の男性と船に乗り込み、石炭などを置く船底部分に身を潜めた。暗闇で便所もなく、汚物は垂れ流し。1カ月の航海』
  • 真珠湾攻撃で戦死、「2階級特進」から漏れた6人の真実 史実追求の先にあったもの

    1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新

    cinefuk
    cinefuk 2020/12/09
    「特殊潜航艇は九人だからというので、さっさと二階級進級させて、軍神とまで祭り上げているが、空中攻撃隊の方は、五十五人とあって数が多数過ぎるというのでは、納まらないよ。二階級進級は戦果よりも寡少価値か」
  • 被爆翌年撮影の恋人は「私と妻」 広島の男性、写真出版で名乗り | 共同通信

    AIでカラー化された、原爆投下翌年の1946年に広島市のデパート屋上から焼け野原を見つめるカップルの写真 原爆投下の翌年に広島市のデパート屋上から焼け野原を見つめるカップルを捉えた白黒写真。米国の大学で日人研究者が約4年前に発見して以降、2人が誰なのかは謎だったが、人工知能AI)でカラー化した写真集の出版がきっかけで同市南区の元カキ養殖業川上清さん(90)が「写っているのは私と後に結婚した」と名乗り出た。 写真は2018年の広島原爆の日にツイッターに投稿され、被害のすさまじさと若い男女の姿の対比が話題に。男性は「亡きとの思い出がよみがえった」と喜んでいる。 隣の女性は51年に結婚し、娘1人を産んだ百合子さんで、1月に90歳で死去した。

    被爆翌年撮影の恋人は「私と妻」 広島の男性、写真出版で名乗り | 共同通信
    cinefuk
    cinefuk 2020/10/06
    "原爆投下の翌年に広島市のデパート屋上から焼け野原を見つめるカップルを捉えた白黒写真。広島市南区の元カキ養殖業川上清さん(90)が「写っているのは私と後に結婚した妻」「亡き妻との思い出がよみがえった」"
  • 冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生|ニッポン複雑紀行

    東京メトロの広告や人気テレビシリーズ『孤独のグルメ』にも登場するシャン民族料理の有名店「ノングインレイ(NONG INLAY)」(東京・高田馬場)。 だが、現在72歳のオーナー、ハンウォンチャイ・スティップさんが日で暮らすことになった理由までよく知る人は多くないかもしれない――。それは、冷戦下に大国間の代理戦争の現場ともなった「ラオス内戦」だった。 ベトナム戦争の影に隠れてあまり知られていないが、ラオスは「史上最も空爆された国」とも言われ、当時の米軍によって2億6000万発もの爆弾が投下されたという。ラオス内戦はベトナム戦争と同じ1975年に終結し、左派のパテート・ラオが勝利、アメリカが支援した王政側の敗北に終わった。 そんなラオス内戦にスティップさんはどう関わっていたか。実は、米軍やCIAの通訳として従事していたのだ。それは彼にとって「内戦の終結(敗北)」が自らの「命の危機」であったこ

    冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生|ニッポン複雑紀行
    cinefuk
    cinefuk 2020/08/28
    国家主義って少数民族を否認するよな『ミャンマーから来たシャン族って、シャン語の読み書きができない。ミャンマーで少数民族の言葉を学ぶ事が禁止されているから。だから文化協会ではシャン語の読み書きを教えて』
  • 特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン

    パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初

    特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン
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    cinefuk 2020/08/07
    突撃する歩兵の後ろから機関銃でサボタージュする兵を撃つソ連は野蛮だなwwと嘲笑する僕らは、家族を人質にとって「卑怯者の家族と呼ばせたいか」と脅迫する組織の末裔である
  • John Barron. MiG Pilot - Contents

    Aerospace library John Barron. «MiG Pilot» CHAPTER I Into the Unknown CHAPTER II Viktor's Quest CHAPTER III The First Escape CHAPTER IV In a Japanese Prison CHAPTER V "We Will Get You Back" CHAPTER VI With the Dark Forces CHAPTER VII Unwrapping the Present CHAPTER VIII The Final Escape Index Index Text of book - zipped html - 180,5 Kb download OCR - Danila Pyatkin See also: Escape of "Foxbat" Esca

    cinefuk
    cinefuk 2019/12/19
    【ミグー25ソ連脱出―ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか (1980年)/ジョン・バロン】邦訳版は絶版だけど、英語版はweb公開されてるな
  • ベレンコ中尉亡命事件と、ベレンコ氏のその後

    下呂子(げろこ)は人生人生はでゅらちん Geroko さんによる、ベレンコ中尉亡命事件についての読書感想まとめです

    ベレンコ中尉亡命事件と、ベレンコ氏のその後
    cinefuk
    cinefuk 2019/12/19
    【ミグー25ソ連脱出―ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか (1980年)/ジョン・バロン】邦訳版は絶版だけど、英語版はweb公開されてるな http://testpilot.ru/review/mig_pilot/index_e.htm "John Barron. «MiG Pilot»"
  • 人は間違う、だから許す 河野義行さん、四半世紀の境地:朝日新聞デジタル

    死者8人・重軽症者約600人を出したオウム真理教の松サリン事件から今年で25年。事件の被害者で、をサリンの後遺症で亡くした河野義行さん(69)は、オウムへの恨みや憎しみはないと公言してきた。教団元幹部への死刑が執行された際には「残念」「悲しい」とも語っていた。なぜ許すのか、許せるのか、を聞いた。 ――事件のとき「松市の会社員(44)」と報道された河野さんがもうすぐ古希なのですね。 「世の中から自分の足跡を消す作業を始めています。住所は知人にもあまり教えていません」 ――事件を知らない人も増えています。あの夜、の澄子(すみこ)さんが口から泡を吹き、全身をけいれんさせているのを自宅で見たのですね。記憶は今も鮮明なのですか。 「ええ。彼女の苦しそうな顔を、リアルに覚えています」 ――サリンは猛毒の神経ガスです。自身も被害に遭いましたね。 「死を意識しました。視力に異常が出て部屋が暗くなり

    人は間違う、だから許す 河野義行さん、四半世紀の境地:朝日新聞デジタル
    cinefuk
    cinefuk 2019/08/04
    松本サリン事件の被害者かつ(警察による)冤罪被害者、マスコミによる報道被害者、河野義行さん(69)インタビュー。強い人だ。『オウムへの恨みや憎しみはないと公言してきた。なぜ許すのか、許せるのか』
  • 名誉回復に44年間かかった「日本のシンドラー」杉原千畝

    外交の中で、杉原千畝氏ほど海外で知られている外交官は少ない。外務省訓令に違反して、ユダヤ人難民にビザを発給し続けた。杉原氏は戦後46年目に名誉回復した。その経緯を鈴木宗男 新党大地代表が語った。 鈴木 宗男 SUZUKI Muneo 昭和58年12月衆議院議員初 当選 8期 外務政務次官・防衛政務次官 国務大臣 北海道・沖縄開発庁長官 内閣官房副長官 自民党総務局長 衆議院議院運営委員長 外務委員長 新党大地代表 杉原の“過酷な半生”を2015年冬に映画化 戦後70年、リトアニアでユダヤ難民6000人を救済した元外交官・杉原千畝(すぎはら・ちうね、1900~86年)の過酷な半生を描いた映画「杉原千畝 スギハラチウネ」が、2015年冬に公開される。杉原を演じるのは俳優・唐沢寿明、メガホンは米国人だが日で生まれ育ったチェリン・グラック監督。 鈴木宗雄氏 杉原は、海外ではユダヤ人難民を救済

    名誉回復に44年間かかった「日本のシンドラー」杉原千畝
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    cinefuk 2019/04/09
    「1991年復権後、杉原の出身地である岐阜県加茂郡に杉原千畝記念館が設立され、鈴木宗男さんは初代名誉館長に」「町長から名誉館長を依頼されたが、2002年に鈴木バッシングが始まると連絡もなく、名誉館長をクビに」
  • 人間爆弾・桜花を発案した男の「あまりに過酷なその後の人生」(神立 尚紀) @gendai_biz

    「桜花」――まもなく満開となる桜のことではない。戦時中の日軍の非常さを象徴する、生還不能の特攻兵器につけられた名である。大型爆弾に操縦席と翼、ロケットをつけ、母機から放された瞬間に搭乗員の死が約束されるこの兵器は、敵の米軍にとって理解不能だったようで、彼らは「Baka Bomb(馬鹿爆弾)」と呼んでいた。 この兵器を発案した男は、終戦直後に死亡したとされたが、生存説もささやかれ、長らくその消息は謎に包まれていた。だが、5年前、遺族から神立さんへ一報があり、戦後、別人として生きてきた詳細な軌跡が判明する。 「特攻兵器『桜花』の生みの親」という過去を消し去って生きた男は、どのような後半生を送っていたのか? 特攻兵器「桜花」の初陣は全機撃墜された いまから74年前、昭和20(1945)年3月21日午前11時20分。鹿児島県の鹿屋海軍航空基地から、「神雷(じんらい)部隊」の異名をもつ第七二一海軍

    人間爆弾・桜花を発案した男の「あまりに過酷なその後の人生」(神立 尚紀) @gendai_biz
    cinefuk
    cinefuk 2019/03/24
    有人ロケット兵器がドイツではBa349やMe163といった「祖国を爆撃する敵機を素早く迎撃するインターセプター」として実用化され、日本では「爆撃機から発射される人力誘導対艦ミサイル」となったのは何故か考える
  • 臆病な祖母

    ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。 こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話 祖母は沖縄県中部の農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。 毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。 だが中学に入学したあたりでそれまでの環境が一変した。 突然学校でウチナーグチ(沖縄の方言)を話すことを全面的に禁止されたのだ。ウチナーグチは土の人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、 こんなものを日語と認めるわけにはいかん、正しい日語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。 日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチがポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ、 ほかの生徒たちが

    臆病な祖母
    cinefuk
    cinefuk 2017/08/18
    沖縄戦を体験した中学生(当時)の話。興味深い>「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間で家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。
  • あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶
  • 原爆の絵|�広島平和記念資料館 平和データベース

    被爆者の方がご自身の体験を描いた「市民が描いた原爆の絵」を検索できます。主に昭和49年と50年、そして平成14年に収集した絵の中から、公開しています。これらの絵は市民の手による原爆被災の記録であり、核兵器が人間に何をもたらすかを示す貴重な証言です。被爆前の街のようすや市民生活などを描いた「わがなつかしの広島」の絵もあわせて公開しています。これらの絵の写真の利用については広島平和記念資料館学芸課(代表電話082-241-4004)にお問い合わせください。

    cinefuk
    cinefuk 2016/12/11
    『母と子』の衝撃
  • 40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』というで明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書

    cinefuk
    cinefuk 2016/07/27
    ふむふむ(つまり、元上官の任務解除命令、フィリピン軍に投降などの一連の儀式は、フィクションの上に成りたっていたと言える)
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