渋川市埋蔵文化財センターに展示された「甲を着た古墳人(複製)」。うつ伏せに倒れ、画面右側が頭部で左側が両足部。胴体を覆うように小札甲が完存する。 群馬県立歴史博物館に展示された「甲を着た古墳人」の複製。甲の内側に隠れた胴体部分(背骨など)が見えるように、甲を脇の部分で切って展開した展示となっている。 甲を着た古墳人(よろいをきたこふんじん)は、2012年(平成24年)11月19日に群馬県渋川市の金井遺跡群の1つ、金井東裏遺跡から発見された成人男性人骨である。古墳時代の6世紀初頭に発生した榛名山大噴火の際、小札甲と呼ばれる甲(鎧)[注 1]を着たまま火砕流に巻き込まれた人物で、日本の発掘調査史上初の発見として注目された。 概要[編集] 渋川市金井の金井遺跡群は、榛名山北東山麓に拡がる扇状地上に立地する。古墳時代当時の群馬県域は、浅間山や榛名山(二ツ岳)の大規模な噴火に度々見舞われており、当地
金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)は、群馬県渋川市金井に所在する遺跡。金井遺跡群の1つ。2012年(平成24年)から始まった発掘調査で、榛名山の火砕流に埋没した「甲を着た古墳人」が出土するなど多くの重要な発見・成果が得られ、金井下新田遺跡と並んで注目された。 概要[編集] 渋川市金井の金井遺跡群は、榛名山北東山麓に拡がる扇状地上に立地する[1]。 古墳時代当時の群馬県域(上毛野地域)は、浅間山や榛名山(二ツ岳)の大規模な噴火に度々見舞われており、当地域には6世紀初頭の噴火による「榛名山二ツ岳渋川火山灰(Hr-FA)」と、6世紀中頃の噴火による「榛名山二ツ岳伊香保軽石(Hr-FP)」という大量の火山噴出物(テフラ)が降下し、分厚い堆積層が形成された。 榛名山二ツ岳の6世紀初頭の噴火では、火砕流を含む計15回にわたるHr-FAテフラの降下・堆積が確認されているが、二ツ岳の北東8.5キロメー
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