後藤寿庵先生の「ライトノベルの童貞押しについて」のツイートを受けての、 橙乃ままれ先生の童貞小話ツイートのまとめです。
後藤寿庵先生の「ライトノベルの童貞押しについて」のツイートを受けての、 橙乃ままれ先生の童貞小話ツイートのまとめです。
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。 10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。 それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。 ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕
人は証拠や論理よりも、自分の信じたいことだけ信じる、という話の別例。 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に関しては柳下毅一郎の対談本『映画欠席裁判』その他で書いてきたとおり、娼館を舞台にした物語である。 しかし、そう指摘されると怒る人が多いんだ、これがまた。 主人公は「湯女」として働かされるのだが、国語辞典でも百科事典でも何でもいい。「湯女」という言葉を引いて欲しい。 たとえば『日本大百科全書』にはこうある。 「温泉場や風呂屋にいて浴客の世話をした女性のこと。一部は私娼(ししよう)化して売春した」 『大辞林』にはこうある。 「江戸時代、市中の湯屋にいた遊女」、 『岩波古語辞典』だと「風呂屋に奉公し、客の身体を洗い、また色を売った女」。 「そういう見方もある」だの「そういう解釈もある」だのというレベルではなく、「湯女」とは「娼婦」を意味する名詞なのだ。 ただし、昔から風俗においては初潮前の少女は見
漫画原作者である小池一夫 さんの「主人公には弱点を。敵役には欠点を」という教えは、シンプルなのにとても深いなと思う。物語を作る側ではなく、読む側からそれを改変すると、主役には「欠落」を、敵役には「ずれ」を、になるのではないかと思う。 悪の組織は素晴らしい 主人公に立ちはだかる「悪の組織」を束ねるのは、理想の上司と形容されるような素晴らしい人物でないといけない。 「ブラック企業」に代表されるような、部下をこき使う、魅力のかけらもないような人物を悪の黒幕として設定すると、主役の戦いに大義が生まれない。 ブラック企業の上司は、部下となった人たちから選択肢と睡眠時間を奪う。部下に対して、組織に賛同する意思を引き出すのではなく、「組織に賛同しない」という選択肢を奪おうとする。物語ではたいてい、主人公は悪の組織に何かを奪われた存在として描かれるけれど、「ブラック企業」的な組織の末端には、やはり大切な何
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