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精神分析に関するhonehonerockのブックマーク (15)

  • 欺きと信じること

    一応、転移ネタ最終回です。 草さんのエントリ後半では、ジジェクによる探偵の譬えが引かれています。 たしかに「客観的な」科学者もまた「偽りの外見を通り抜けて、隠された現実へと到る」が、科学者の扱うこの偽りの外見には欺瞞という次元が欠けている。人を騙す邪悪な神という仮説を受け入れないかぎり、科学者が自分の対象から「騙された」とか、科学者が直面している偽りの外見は「その存在理由を隠蔽するためだけに存在している」などという言い方は絶対にできない。しかし「客観的な」科学者とは反対に、探偵はたんに偽りの外見を消すだけで真理に到達するのではない。彼はその偽りの外見を考慮に入れる。(・・・)真理は欺瞞の領域の「向こう側」にあるのではなく、「意図」の中に、つまり欺瞞そのものの間主観的機能の中にあるのだ。(『斜めから見る』 スラヴォイジジェク) 邪悪な神、欺く神の想定とは、世界に「意図」を読み込むことです。つ

  • 岡田斗司夫と「おじさん×若い女」のあるある感 - ohnosakiko’s blog

    頭の悪そうなタイトルしか思い浮かばない自分の頭の悪さが恨めしい。今回も自分のブコメの長い補足として。 岡田斗司夫、流出キス写真は物 過去の驚愕「80股!」も告白 :J-CASTニュース ohnosakiko 男女 「80股」って言ったのはこの「スキャンダル」をトンデモ方向の笑いに包んでこれ以上「醜聞」ぽくしたくないという元オタキングの大衆心理操作()じゃないかと睨んでる。だとしたらなんか考えることがカワイイと思った http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150112#bookmark-238825254 最初「偽物」だと言っておいて証拠が出たら認めるところがみっともないという声が多いが、多分人もそれは自覚していて、その空気を思い切り斜め上方向に持っていって「この人、一般人の常識じゃ測れないわ」という苦笑と諦めを引き出すために、「80股」と言っているような

    岡田斗司夫と「おじさん×若い女」のあるある感 - ohnosakiko’s blog
  • 「わたしのことどう思う?」という問いは何を隠すのか

    「わたしのことどう思う?」。 この問いを受けた男性諸氏はさぞかし煩わしいことでしょうが、もちろん、男女を問わずこの問いは発せられます。つまり、「他人にとってわたしは何なのか」系の質問です。 こうした質問が大変魅力的なのは、心理テストに夢中になる人々からもわかります。また「外国人から見た日」といった語らいが衆目を惹くのも、同じ魅惑によるものです。 「わたしのことどう思う?」の問い-答えの反復は、大変楽しいです。特に「外国人から見た日」系には、わたしもかなり惹かれます。 しかし、この問いは決して< わたし>のことを明らかにしませんし、それゆえにこそ独特の快楽をもたらします。そしてこの気持ち良さは、「寛容さと共存の何が問題なのか」で触れた「寛容」の気持ち良さと欺瞞につながっています。 「わたしのことどう思う?」の気持ちよさは、ナルシシズムに由来します。 ただし、ここで言うナルシシズムとは、問

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    honehonerock 2021/07/22
    “「わたしのことどう思う?」は、「本当のこと」を問うてはいるのですが、その「本当」とはあくまで自我-理想において< わたし>が何であるか、です。”
  • 現実界のかけら、アブラハムの羊、鏡に映らなかった物質 - ish

    「愛情を裏切ったからって神様にとやかく言われる謂はないわ!」 「神様は何も言わないよ。言わなくなって、何年にもなる」 (『気分はもう戦争』 矢作俊彦 大友克洋) 「神様」を「みんな」に言い換えても結構です。 「みんな」は何も言いません。「みんな」を構成している個々人が何かを言うことはありますが、「みんな」そのものがトコトコ歩いてきて「君は・・・だよ」と< わたし>の意味を教えてくれることは、残念ながらありません。 「神様」「みんな」とは< 全体>のことであり、要するに大文字の他者です。 ですから、沈黙したままの神とは、世界そのものである、ということもできます。汎神論です。神は必要十分に表れており、All alive are fittingゆえに、取り立ててもう言うことはない、というわけです。「みんな」の意志は、既に世界の有り様に反映されている、という見方です。 でも、何かが足りません。 確

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    honehonerock 2021/07/22
    “最果ての無意味は個々の意味を殺しはしません。むしろ根底に無意味があるからこそ、その後の意味の連鎖が生まれるのです。”
  • 転移、知っていると想定された主体、対象aとしての眼差し、「作者」であること - 草日記

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    honehonerock 2021/07/22
    “語られたものからこぼれ落ちる語りえないもの、語ることによって生成された語りえないもの、その欠如のなかに、私は私自身を認めなければなりません。”
  • 擬似恋愛と本当の恋愛、メッキの逆説 - ish

    草さんへの返答も兼ねて、転移ネタを続けます。 彼が指摘されている通り、転移を「擬似恋愛」としてしまっては、「当の恋愛」がどこかにあるような幻想を引きずってしまいます。 また、muse-A-muse 2nd:「えらさ」と「センス」と「面的思考(認識)」についてに (・・・)「作品の後ろに『なんかすげぇなコイツ』的雰囲気があるかどうか(その雰囲気に惚れる)」、って話だと思うんだけど、ちょっと思うのはなんか雰囲気ありそげ(頭よさげ)に演出する人とほんとに偉い人の違いって見分けるのめんどくさいだろうな、ということ。 っていってもそんな感じで演出された偉さ(中身は空っぽ)的なものってしばらく接していればメッキがはげるものだしなぁ。ってか、けっこう一瞬で見分けられるものかもしれない。 という下りがあるのですが、「メッキのエラさ」と「真のエラさ」を分けて考えてしまっても、同様のトラップに嵌っていきます

    honehonerock
    honehonerock 2021/07/22
    “「メッキ」という可能性があるお陰で、「真のエラさ」「真実の愛」が成り立ちます。翻せば、メッキが足りなかったり、多すぎてしまうと、「真」への「信」がグラつくことがあります。”
  • ish - 「わかる」ことと作者の転生

    sho_taさんの「『頭のいい人が書く文章』問題について考えている」に反応します。 (「頭の良い人は難しいことをわかりやすく書けるものだ、理解ができないような難しい文章を書いている者はバカである」といった意見があるが) 「何が書いてあるかよくわからない文章に出会う」ということ、そしてそれを「理解しようと思うこと」ないしは「書いてるヤツがバカなんだ」と断じてしまうことは、おそらく「学び」というものに対する質的な作用と態度に通じる(気がしている)。 (・・・) 「すでに知っていること」が書かれている文章なら、普通、読む気は起きない。「興味深く読む」という時は、たいてい「そこには自分のまだ知らないことが書かれている(ことが確信できる)」という状態だ。 (・・・) つまり、「(その文章を読んだ時点での)自分には理解できない文章を読む」という行為に必要なのは、読解力とか論理構成能力とか経験とかより

    honehonerock
    honehonerock 2021/07/22
    “名付けるということは墓標を刻むことと似ていて、ある意味「生まれながらの死者」として最初から登録されているわけです。”
  • 騙される練習 - ish

    上司に連れられてキャバクラ行ってきた」 上司に連れられてキャバクラに行ったら、あれよあれよという間にイイ感じのトークに引き込まれ、いつのまにかハマっていた、というお話。 いや営業トークだろとか 仕事だからとか お世辞だろとか 薄々分かってるんだけど でも分かりきれてないっていうか そんなことどうでもいいっていうか なんだろうこの不思議な感覚 別にそれでもいい、ずっと騙し続けてくれるなら、それが真実だ、みたいな感覚 あの某ネズミランドに行くような感覚と一緒だ 「かわいい」といったコメントと「上客だな」といった穿った見方と、二分されていますね。 もちろん、彼女は仕事でそこにいるわけですし、「音」かどうかなんてわかりません。多分、音そのまんまではないでしょう。わたしも水商売していましたから(笑)。 ただ、それを言ったら普通の恋愛だって「音」かどうかなんてわかりませんよ。 逆説的ですが、お

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    honehonerock 2021/07/22
    “「騙されていない」と思っている人は、大抵もっとつまらないものにずーっと死ぬまでと騙されているだけです。”
  • 「かわいい」と言われること - ish

    「兎美味し 蚊の山」さんが「かわいい」と「うつくしい」で、須田英之の独り言:可愛いと称される事は良いことなのかというエントリを引いて、こんなことを書かれています。 「かわいい」って言葉は力関係が下であるものに対して、「保護したい」「大切にしたい」という欲求を発する言葉だと思われる。と言ってもその「力」っていうのは経済的なことや会社での地位だけでもない。表向き会社という場の中で最も正しいロジックはあるけど、それとは別に地位は下でも影響力を持つ人がいたり、そのロジックでの評価が「くだらん」と思っている人が結構いたりするのが世の中だと思う。 これは上の須田さん(多分男性)が「女性に『かわいい』と言われるのを喜んでいいのか。もしかして馬鹿にされてるの?」といった発言をされていることに対するものです。 まず、「かわいい」が力関係が下のものに対する言葉である、ということを「一男一女の母」であるusau

    honehonerock
    honehonerock 2021/07/22
    “「対象として評価されたい」と欲望するわけですが、同時に「対象になりきってしまったら、主体としてのわたしはどうなるの」という二律背反を背負っています。”
  • 神様に恋しているから、瞬きしても世界が終わらない - ish

    「バカわかる転移&愛 まとめ」1で「頭のいい人は、難しいことも簡単に書けるはず」問題から「わかる/わからない」へと流れていったエントリ群を列挙してみましたが、特に後半に挙げたいくつかのエントリが面白いのは、「説明対象」と「説明方法(説明自体)」に対し、第三項の果たす役割が意識されているからです。 「説明対象」と「説明方法(説明自体)」の二者のみの語らいでも、純粋な自然科学的アプローチ、あるいは社会の約束事のような水準での議論なら十分有効でしょうが、この二項のみを独立したものとして最初に立ててしまうと、その時点で箱庭を設定してしまうことになります(逆に自然科学的思考では箱庭の設定が必要になる)。 説明対象と説明方法の独立性という見方には、representation(表象・代理)と同様の伝統的な矛盾があります。 例えば、わたしたちは対象そのものを認識するのではなく、対象の表象を得るとします。

  • 書籍出版 双風舎:【連載】「脳は心を記述できるのか」

    茂木健一郎から斎藤環への手紙 ■拝復 たいへん興味深い手紙をありがとうございました。斎藤さんがあげられた問題は、どれも私の関心領域(意識の問題)の質にかかわる、エッセンシャルなものと考えます。 お返事を差しあげるまでに、ずいぶんと時間がたってしまい、申し訳ありません。この間、斎藤さんとの往復書簡のことがずっと気にかかっていましたが、さまざまな事情から、ご返信が遅くなってしまいました。心からお詫び申しあげます。 斎藤さんがお手紙のなかでご指摘くださったさまざまな点は、たいへん興味深いことばかりでした。斎藤さんは、「クオリア」を疑いのないこの世界属性として立ててしまうことが、ナルシシズムにつながると書かれた。昨今のいくつかの危険な社会的風潮との関連性も指摘された。また、ジャック・ラカンの「我思う、または、我は在る」という言葉を引用して、(クオリアを感じる主体としての)「私」は、確固とした単一

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    honehonerock 2010/01/10
    斎藤君「茂木くん、クオリアさんってそんな素敵な人かなあ。あんまり吹聴すると変な方向に行っちゃう人出てくるよ」→茂木くん「いいんだよ!俺はクオリアさんが好きなんだよ!愛なんだよ!萌えなんだよ!」→続く。
  • 自由論(下) - 或いは、然し

    (承前) 5. 「物語」への没入 一日で職場を後にする者がいる一方、踏みとどまる者がいる。過酷な環境で3年間にわたって働き続けている人物が自らの体験を綴ったノンフィクション(ということになっている)を、参照してみよう。2ちゃんねるに書き込まれ、ウェブ上で多数の読者を得、のちに書籍化された文章である。「最終学歴が中卒で、10年前後NEETやってた」という筆者=「1」=マ男が、残業代不払い当たり前のブラック会社に就職し、異様な人間関係が支配する職場で、幾度も「限界」を感じながらもなんとか苦境を切り抜けていく。「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」と題されたスレッドで語られた――特に鉤括弧を付けてこの語を用いよう――「物語」だ。 結論から言って、観察されるのは、労働者が自発的にまとう「どうしようもない社会に対する態度」についての美意識、あるいは公共の政治の消失、私的空間での

    自由論(下) - 或いは、然し
  • 自由論(上) - 或いは、然し

    0. 3/4oz = 21.2621423g ためらっているうちに、ずいぶん時間が経ってしまった。 後悔という感情だけは、とてつもなくリアルだ。嬉しいとか悲しいとか、好きだとか嫌いだとか、何がべたいとか、綺麗だとか醜いとか、敬愛とか軽蔑とか、何が欲しいとか、そういうことはどれもひどく曖昧なのに、後悔だけは、ちょっと手を伸ばせば触れられそうなくらいに、そのねっとりとした手触りを想像できるくらいに、その質量を計測できそうなくらいに、実在感がある。 かつて、アメリカ合衆国マサチューセッツ州のダンカン・マクドゥーガルという医師が、魂の重さを測ろうと試みた。死ぬ直前の人間の重量と、死んだ直後のそれとを比較したのだ。はかりに乗せられた末期の肺結核患者は、水分の蒸発などによる質量の喪失を考慮に入れてもなお説明できない重さを、息を引き取ったさいに失ったという。1907年に発表された実験結果によれば、その

    自由論(上) - 或いは、然し
  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1

    斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1
  • 斎藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」 第1信 「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)

    斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち

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    honehonerock 2007/12/10
    茂木健一郎=頭のいい細木ちゃんや江原くんっていわれてることに対してどう思う茂木君?→茂木君、完全に沈黙。
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