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正義に関するhonehonerockのブックマーク (6)

  • 嫌いを正義に言い換えるな、と言ったとしても

    「嫌い」を「正義」に言い換えるな、というお話があります。 要するに自分が嫌い、気にわない、というだけのことなのに、それに色々と屁理屈をつけて、さもそれが正義であるかのように、正しいことであるかのように偽装するな、ということです。それくらいなら素直に「嫌い」といいなさい、ということです。 これは誠に尤もなお話で、その通りかと思います。 ただ、では嫌いなものを嫌いと言ってことが済むのかといえば、もちろんそういうわけではありません。 正義を振りかざしている人びとの中にも、薄々「これは単に気にわないということやろな」と気付いていて、でもただ顔が気にわないとか臭いとか言っても埒があかないので、それなりに理論武装して味方を増やし、気にわないヤツをとっちめてやろう、という人もいるでしょう。 嫌いなら嫌いと言え、というのは尤もなのですが、嫌いとは言えない状況もあれば、ただ嫌いと言うだけではどうにも

    嫌いを正義に言い換えるな、と言ったとしても
    honehonerock
    honehonerock 2016/04/18
    それなー。
  • 正義の蕩尽

    何度も同じようなことばかり書いているけれど、「正義の蕩尽法」というのは現代的に非常にシビアな、わたしたちが向き合わないといけない問題だ。 あまりにも同じことばかり言っているので、先に関連してるお話を貼っておく。 正義と「この世界」と理神論、そして大山のぶ代 理不尽に対する怒りと楽をしたい一心 人類の未来について心配したい欲 皆んな、びっくりするくらい「正しいことがしたい」。 そのこと自体は、責められるものでもない。誰だって「正しく」ありたい。問題は、この「正義欲」に多くの人が無自覚なことだ。それがある種の欲、自分を支えるために必要な営みの一つだとわからず、正義そのものが自分の外に頑然とあると感じてしまう。すると正義は身の丈を越えて、時々無制限に膨らみ暴走していく。 わたしたちはある程度「正しく」ないと生きていけないが、無限に「正しい」必要はない。そんなにべても太るだけだ。 正しくないと生

    正義の蕩尽
  • 正義と「この世界」と理神論、そして大山のぶ代

    理不尽に対する怒りと楽をしたい一心やら色んなところで書いているけれど、正義と怒りというのは背中合わせのもので、何らかの「正しさ」(とその時その人だけは少なくとも信じているもの)なしに怒りというものはあり得ない。つきつめていくと、正義と必要悪というのはほとんど同じようなものだ。正義はなるべく少ない方が良いけれど、まったくなくしてしまうということもできないので、正義のうまい蕩尽法、正義の安全な燃やし方というのがキモになるかと思う。 非常に多くの人々は、びっくりするくらい「正しく」ありたい。 なんかこの例えを何度も何度も書いているような気がするけれど、シャーリーズ・セロン主演の映画『モンスター』の最後の方で、主人公が涙ながらに「わたしは・・わたしは良い人間なんだ・・」と言うところがある。この映画の主人公は連続殺人犯だから、常識的に考えて「良い人」ではない。映画のストーリーを追ってみれば、情状酌量

    正義と「この世界」と理神論、そして大山のぶ代
    honehonerock
    honehonerock 2015/12/27
    原発事故のとき、わざわざ壊れた村を復活させなくてもと言った人に誰かが、そういう村のお年寄りとかはその土地に自生してる植物みたいなもので、さこじゃないと死んでしまうんだよって言ってた思い出したな……
  • 全部まちがってんだから〜『アメリカン・スナイパー』を観る - 関内関外日記

    アメリカン・スナイパー ブルーレイ&DVDセット (初回限定生産/2枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray] 出版社/メーカー: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント発売日: 2015/07/08メディア: Blu-rayこの商品を含むブログ (23件) を見る この映画に愛国も反戦もなにもない。逆にいえばすべてがある。すべてが冒頭にある。アメリカ軍に向かって子供が対戦車兵器を使おうとする。主人公が射殺する。今度は母親が使おうとする。主人公はこれも射殺する。これによりアメリカ軍の兵士の命は救われる。 だからなんだというのだ。これをもって反戦ではないし、愛国でもない。そもそもだ。そもそも子供が人を殺そうとするのが間違っているし、それによって殺されるのも間違っている。さらにそもそもだ。人が人を殺そうとしたり、人が人に殺されたりするのが間違っている。殺していいのは自分だけだ。そもそ

    全部まちがってんだから〜『アメリカン・スナイパー』を観る - 関内関外日記
  • [書評]これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル): 極東ブログ

    「これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル)」(参照)をアマゾンで注文したとき、発送は随分遅れるとのことだった。発売日には来なかった。が、翌日来た。昨日である。読みやすく面白い。昨晩熱中して半分読み、今日後半を読み終えた。政治哲学をこれだけわかりやすく説明する書籍は希有ではないか。高校生や大学生には社会を考えていく上で是非お勧めしたい。 書巻末謝辞を見ると、「書は講義として誕生した」とある。講義は「ハーバード白熱教室」というタイトルで現在、NHK教育放送中らしい。私は見たことがない。英語のままであれば「Justice with Michael Sandel」(参照)で見ることができる。もっと小さなクラスの講義かと思ったら、大講堂での講義である。 政治哲学というと厳めしいイメージがあるが、サンデル教授は卑近な例、日常的な問題、社会ニュースの話題など馴

  • 『考える生き方』に書かなかったブログ論の一部: 極東ブログ

    今回出版した自著『考える生き方』(参照)は、当初、現在の書籍のコンセプトと少し違って、ブロガーなのでブログ論のような部分から始まっていた。まあ、finalventというのはブロガーだしね、ということでもある。 基テーマは、「ブログを通して自分が市民である意味を考える」ということだった。 この市民というのは、具体的には、私の理解では、普通の人ということである。普通の人がどう市民として生きるのか。 当初はこれを原理論的な枠組みで考えていた。が、途中、「で、それって自分が語りかけたい人に通じるの?」という疑問がわいてきた。ブログとは違うだろう。 こんな堅苦しいブログみたいなことをで書いても、意味ない。 なら、もっと広い層にまで通じるように書きたい。 それと実際のところ、ブロガーとしての自分を普通の人、市民の一例の人生として見たとき、もっと、見やすい構図のほうがいいのではないかと思うように

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