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ブックマーク / note.com/syosin_kai (3)

  • 絶対悪との戦い ─ゲームと、ゲームセンターへのイメージの変化の歴史─|初心カイ

    0.はじめに ゲームマニアの中でそこそこ知られているインタビューがあります。コナミの創業者、上月会長が答えたものなのですが。 「(ゲームの)イメージが良くなく子供にも自分の職業が言えなかった」。上月は99年、創業当時を振り返ってこう語っている。 このインタビューを元にして「コナミの社長はゲーム嫌いだったのだ」という風説が流れたことがあります。これはまるきりの大間違いで、詳しくは平和的なブログさんで解説されている通りであるんですが(そもそも上記の日経さんの記事は、事実誤認がやけにおおくて信憑性があまり高くなく……)、ちょっと皆さんに聞きたいことがあります。 「コナミの創業したころや、その少し後のゲームに対する一般人のイメージって、どんなのだったか想像がつきますか?」 コナミの創業は1969年です。おそらくこの記事をお読み頂いてる多数の方が生まれる前の話だと思います。記事はそのあたりのゲーム

    絶対悪との戦い ─ゲームと、ゲームセンターへのイメージの変化の歴史─|初心カイ
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2023/10/01
    ゲームってのは前近代からヤクザ等の経済的反社の資金源の面があるのはそれこそ任天堂が製造販売してきた物の歴史を見てればわかる事で、ゲーセンというかアミューズメント産業自体もその例外ではなかった訳よw
  • 任天堂の社長になってしまった男 -君島達己- あとがき|初心カイ

    ごめんなさい(初手謝罪です)。 かなり面白くかけたと思いますが、この記事はかなり脚色をいれてます。経歴に間違いはないのですが、何分山内社長、岩田社長の二人が故人なため、その思惑、理由を辿ることが不可能です。そこは完全に私の解釈……というよりも想像で埋め合わせしました。そのため、どこまでが事実であり、どこからが想像か解説します。 まず、山内社長が次期社長を岩田聡にする、と決めたのは間違いなく2000年の経営企画室長に就任させたときか、それ以前だとわかるのですが、NOAをどうするかは全く明かされていません。二頭政治云々、荒川氏が任天堂の器ではない云々は私の想像です。さらにいえば荒川氏がなぜ自ら辞表を出したのかも理由が明かされていません。 山内社長が最初から君島氏をNOAの社長にしようと考えていたのかも不明です。(株)ポケモンの立ち上げぶりを見て途中で出来ると見込んだのかもしれません。 同じく岩

    任天堂の社長になってしまった男 -君島達己- あとがき|初心カイ
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2023/05/04
    初心カイ氏の記事の傾向はさておき、それに突っ込み入れてる元社員のツッコミツイからして任天堂社内も一枚岩じゃない上に「言葉遊び」やってんなあ感が(まあ実際のところそうだろうな)w
  • 任天堂の社長になってしまった男 -君島達己-|初心カイ

    2015年7月。任天堂社長、岩田聡死去。55歳。あまりに早すぎる死であった。 現役任天堂社長の死、という事態に驚いたのはゲーマーたちばかりではない。その当事者である任天堂は二ヶ月の社長空白期間をおくことになった。 その二ヶ月後、任天堂の社長になった男に、ゲーマーたちは驚いた。その男はクリエイター畑ではなく、今までマスコミに対して露出することがなかった、ほとんど無名といっていい人物だったからである。しかもゲームソフトの開発には一度たりとて携わったことはなかった。 知名度でいえばマリオの生みの親、宮茂がずば抜けて高く、次いでハード部門での責任者竹田玄洋が高かった。彼らを差し置いて会社の顔となった男は、いったい如何なる男なのか? 君島達己。 彼は元々銀行マンであった。ゲーム会社の経営とはとても無縁そうな経歴に見える。しかし彼は岩田社長や、山内元社長らの下で、任天堂の気質と娯楽産業のあり方をハイ

    任天堂の社長になってしまった男 -君島達己-|初心カイ
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2023/05/04
    通史気味な岩田聡急逝後に穴埋めの形で社長就任した元銀行マン君島前社長の話。WiiUに対して懐疑的だった件はまあゲームのクリエイターが必ずしも経営面では優れているという事ではないという事のいい事例なのかもなw
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