#昭和20年3月 76年前の今日、1945年3月12日の武井武雄「戦中気侭画帳」より。この日、少国民文化協会理事幹事長会議が新橋駅東洋軒で行われ、提供された食事を描いています。魚のフライをメインに大きなカニ爪、野菜、スープにパン。… https://t.co/cN1oJQE1j2
日本兵は味方兵士の「遺体」回収にものすごく熱心だった。しかし、その一方で、苦しんでいる傷病者の扱いは劣悪で、撤退時には敵の捕虜にならないよう「自決」を強要した。このような態度を米軍はどう見ていたか? 一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日本兵の精神」を特別公開します。 個人とその生命を安易に見捨てた過去の姿勢を、現代の日本社会は脱却できたと言えるのだろうか……。 葬送と宗教 日本兵の宗教観と死生観について、米軍はどのように観察していたのだろうか。 本書にたびたび登場する元捕虜の米軍軍曹は、日本軍将兵の死者に対する弔い方、宗教精神のあり方を次のように詳しく描写している(IB*1945年1月号「日本のG.I.」)。 *米陸軍軍事情報部が1942-46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』)。日本軍とその将兵、装備
無数の焼夷(しょうい)弾による猛火の夜が明けると、焦土と化した下町が姿を現した。路上には焼死体が折り重なり、川面には女性や子の遺体が浮かぶ。約10万もの犠牲者は、身元確認も不十分なまま、公園や寺院に「仮埋葬」された。東京大空襲から、10日で70年――。 「忘れたら死者浮かばれない」 東京スカイツリー(東京都墨田区押上1丁目)の展望台。東京空襲犠牲者遺族会の星野弘会長(84)は9日、350メートル下の北十間(きたじゅっけん)川に視線をおとした。70年前、遺体を収容した場所だ。 「あの川です。20歳ぐらいの母親の髪を、1歳ほどの女の子が両手でつかんで離さない。目を開け、まるで生きているようだった」 東京大空襲では一晩で約10万人が亡くなったとされる。都は空襲による死者数を約2万人と予想。一方、都の火葬場の能力は1日500体に過ぎず、棺(ひつぎ)は1万人分しかなかった。身元を確かめた上での火葬は
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オランダのティマーマンス外相は3日、第2次世界大戦中に日本軍が占領した旧オランダ領東インド(現インドネシア)での慰安婦問題は、「強制売春そのものであることには何の疑いもない、というのが我々の立場だ」と発言し、慰安婦問題を巡る謝罪と反省を表明した河野談話について、見直しを求める日本国内での動きを牽制(けんせい)した。 ハーグの同国外務省で、日本メディアを対象にした記者会見で発言した。 ティマーマンス氏は、「河野談話は、この問題に関する両国間の対話の良い前提となってきた。我々は、日本政府が河野談話を継承する意向であることを完全に支持する」と表明。 1994年1月に、オランダ政… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます
「慰安婦問題 台湾外交部「日本は謝罪と賠償を」」 (台北 18日 中央社)中華民国外交部の高安報道官は18日、旧日本軍の従軍慰安婦問題について日本側に対し、台湾の元慰安婦への謝罪と賠償を求めるという政府の一貫した立場を改めて示した。 2008年に台湾立法院で可決された「慰安婦」決議のうち、事実認定にあたる部分は次のようになっています。 第二次大戦中、日本はその植民地および占領区で、脅迫したり、騙したり、誘拐したりして無数の婦女、少女を集め、従軍性奴隷とし、軍隊に性のサービスを提供させた。 (http://wam-peace.org/ianfu-mondai/intl/resol/taiwan2008110/) 徴用に関わる部分の認識は河野談話のそれに一致していますし、「性奴隷」という認識が戦前の廃娼論においてすでに一般的だったことは当ブログでも何度か指摘した通りです。
NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」の今週火曜(3月4日)放送の第128回では、大阪大空襲のさなか、ヒロイン・め以子(杏)たちが地下鉄の心斎橋駅構内に逃げこみ、さらにはホームに入ってきた電車に乗ってより安全な梅田方面へ避難するという場面があった。そもそもめ以子が地下鉄駅に避難したのは、夫で大阪市職員として地下鉄建設にかかわった悠太郎(東出昌大)から渡された手紙に「地下鉄に逃げれば安全だ」と書かれていたからだ。 このエピソードは、実話にもとづくものである。1945年3月13日夜から翌日未明にかけての米軍による大阪大空襲(第1次)の際、街が火に包まれるなか、大阪市営地下鉄の心斎橋駅に避難してきた人々を救うべく、電車が梅田方面や天王寺方面へ運行されたというのだ。 もっとも、空襲下に地下鉄を走った救援電車について公式な記録は一切残っていない。というのも、戦時中の地下鉄は軍事輸送に使われることも多
太平洋戦争末期の昭和20年8月2日。 アメリカの爆撃機が富山市を襲います。 死者およそ3,000人、市街地の99.5%が焼き尽くされました。 空襲の直後、市民への聞き取り調査をまとめた機密資料が国立公文書館に残されていました。 調査を行ったのは特高(とっこう)、「特別高等警察」です。 特高は、共産主義者や反政府主義者への監視や取締りを行い、言論を統制したり、時には拷問まで行っていました。 昭和19年、本土空襲が始まると、特高は爆撃を受けた都市での聞き取り調査を始めます。 国民の戦意を探って士気の低下を防ぎ、本土決戦に向けて国民を駆り立てていくためでした。 調査は全国各地で行われ、最初は「あくまでも勝ち抜く」といった勇ましい声が大多数でした。 しかし、戦争末期、甚大な被害を出した富山では、ほかの記録では見られない激しい怒りの声が上がりました。
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