思春期真っただ中の女子高生3人組が、性への疑問・悩みに思いきりぶち当たっていくABEMAオリジナルの連続ドラマ『17.3 about a sex』。第7話ではヘテロセクシュアル(異性愛者)以外の性指向を持つ人々が抱える生きづらさを、主要人物の一人であるアセクシュアル女子高生・紬(田鍋梨々花)の視点を通して考える。 ▶︎︎︎︎︎︎動画:アセクシュアルの女子高生が訴える日本社会での“生きづらさ” 『17.3 about a sex』 他者に対して恋愛感情などを抱かないアセクシュアルの紬。親友にはカミングアウト済だが、父親・光男には内緒にしている。その光男は紬に対して、恋愛や結婚について期待するような発言を度々してしまう。その都度、紬は自我を否定されるように感じていた。早く自立して実家から離れたい、そんな思いを抱く紬は奨学金目当てでスピーチコンテストに出場しようとする。 その紬のスピーチ内容が第
◇子どもの貧困は、大人の貧困である。 たいていの場合、子どもだけがひとり貧困になるわけではない。一緒に暮らす大人が贅沢な生活をしているのに、子どもを困窮させているのであれば、それは貧困問題ではなくネグレクトである。子どもの貧困は、子どもの親たちが貧しいからこそ生じている経済的問題である。 第一線の貧困研究者たちは、ずっと「子どもの貧困」における「罪のない子どもが貧困におかれている」という台詞の裏側に見え隠れする「大人の貧困は自己責任(罪)である」という価値に対して危惧を表明し続けてきた(注1)。 (注1)松本伊智朗編(2017)『「子どもの貧困」を問いなおす:家族ジェンダーの視点から』法律文化社。編者の松本は、「子どもの貧困」が貧困問題一般から切り離され、「家族責任」や「学習支援」に矮小化されることに明確な反対を示している。 どんな個人も、貧困のままに放置されるほどの罪などない。子どもであ
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