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近代に関するebmgsd1235のブックマーク (8)

  • 【書評】労農派ピケティは「バラモン左翼」を乗りこえられるか──トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』評|梶谷懐

    リベラル知識人はなぜ「バラモン左翼」と呼ばれるか 東浩紀は、『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)や『訂正する力』(朝日新書)などの最近の著作のなかで、次のようなカズオ・イシグロの言葉にたびたび言及している。 俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。[★1] 東は、開放性を掲げるリベラル知識人が、実は同じ心情や生活習慣を持つ人々の中で閉じたサークルを作っている、という実態を批判する文脈でこの発言に触れている。確かにそれも重要な視点だろう。そのうえで、ここではイシグロがそれに続けて語った内容により注意を向けたい。 私は最近とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどう

    【書評】労農派ピケティは「バラモン左翼」を乗りこえられるか──トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』評|梶谷懐
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    ebmgsd1235 2023/12/02
    イシグロのいう感情優先社会にあえてする「縦の旅行」はピケティの普遍的な平等主義(連帯)へと誘うのか?動員のためのオルグを凌駕する友敵ナラティヴ(社会自国主義)、分断の永続、講座派と労農派、財産権社会。
  • 【講演録】戦争・立身・ジェンダー──明治日本の基礎過程|その他|三田評論ONLINE

    日は講演をする機会をいただきまして、誠に有り難うございます。私は日近代史の研究、とりわけ江戸から明治の時代にかけての社会の移行について研究しています。そういう者にとって、三田演説館の壇上で話をするのは特別な機会です。言うまでもなく三田演説館という場所は、近代日において、言葉によるコミュニケーションによって世の中を形成していく試みが組織的に行われた、最初期の現場です。そのようなわけで今日は演説家になった気分でしゃべらせていただこうと思います。 近代日の原型はいったいどのようにつくられたのか、自分の研究を顧みながら、また多くの先学の研究に学びながら、今日は自分なりの見通しを提示してみたいと思います。「戦争・立身・ジェンダー」と掲げました通り、柱は3つあります。抽象的に言うと、戦争とはつまり暴力の契機です。立身とは競争の契機。ジェンダーとは性別役割分離あるいは性別役割分業の観点です。近代

    【講演録】戦争・立身・ジェンダー──明治日本の基礎過程|その他|三田評論ONLINE
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    ebmgsd1235 2023/07/27
    「武士だけでは戦争はできないということ、それが暴力の拡散を生んでいくわけです。武士身分以外の人たちが戦場に投入され、その中から後に自由民権運動に参加する人々が出てきます」一身独立と近代的個人、民主主義
  • 「聖なるものを人間化する」若者たち―『再帰的近代のアイデンティティ論 ポスト9・11時代におけるイギリスの移民第二世代ムスリム』(晃洋書房)/安達智史(著者) - SYNODOS

    2020.12.11 「聖なるものを人間化する」若者たち―『再帰的近代のアイデンティティ論 ポスト9・11時代におけるイギリスの移民第二世代ムスリム』(晃洋書房) 安達智史(著者)社会学理論、政治哲学 「イスラーム」あるいは「イスラーム教徒(以下、ムスリム)」と聞くと、どんなイメージをもつでしょうか。頭・全身を覆うスカーフやヴェールを着用する女性、白い帽子や首から足下までが隠れるガウンを着こなす男性などを思い浮かべるかもしれません。ヨーロッパに旅行した人なら、西洋の都市空間のなかに異質な文化的景観を作り上げる、少しとっつきにくい人たちという印象を抱くかもしれません。あるいは、より近年では、ヨーロッパやその他の地域で相次ぐ過激主義者による「テロ」となんとなく紐付けてイメージする人も多いかもしれません。 ここで紹介する拙著『再帰的近代のアイデンティティ論―ポスト9・11時代におけるイギリスの移

    「聖なるものを人間化する」若者たち―『再帰的近代のアイデンティティ論 ポスト9・11時代におけるイギリスの移民第二世代ムスリム』(晃洋書房)/安達智史(著者) - SYNODOS
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    ebmgsd1235 2020/12/11
    聖典にアクセスし解釈すること。これが反・知性ならぬ反知性主義。それは反権威主義、あるいは反聖職者、反エリートでもある。国家と教会、各国の正教会、宗教改革、世俗化、脱神話化、再帰的近代における宗教の私化
  • 日本の破局的な少子化と、急ぎ過ぎた近代化 - シロクマの屑籠

    今の20歳が40歳の半分しかいないって当にいい話だと思う。戦争でもあったのかな?— 🦀カニカニカーニバル🦀 (@yu1096) 2018年11月7日 たぶん、このツイートはブラックジョークのつもりで書かれたものだろうが、私には冗談にみえなかった。 「今の20歳は40歳の半分しかいない。戦争でもあったのかな?」というツイート、ジョークのつもりかもだけど、これ、実際戦争に匹敵するようなカタストロフィがあったのに気付いている人があまりいない、ってグロい状況を反映しているなぁ、と思った。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2018年11月8日 乳児死亡率の低下によって起こる第一の少子化は、それほどカタストロフではないし、アメリカやヨーロッパのベビーブームが証明しているように劇的少子化とも限らない。しかし、東アジア諸国などで今起こっているような第二の少子化

    日本の破局的な少子化と、急ぎ過ぎた近代化 - シロクマの屑籠
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    ebmgsd1235 2019/01/08
    興味深い記事。落合恵美子さんの本ぜひ読みたい。人類的にはこうした破局は備えの一つだと思う。日本(人?)については国破れて山河あり「人口減少にみあった道徳や倫理」もなりゆきやいきほひでやっていくでしょ。
  • 【正論】もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(1/6ページ)

    柳父(やなぶ)章氏の『翻訳語成立事情』は小著ながら圧巻である。そこには、個人、社会、近代、自由等々の西洋起源の観念をいかにして日語に移し替えるかに試行錯誤を重ねた福澤諭吉や中村正直など、往時の知識人の苦闘が鮮やかに描き出されている。 日には存在しなかった観念 インディビデュアル(individual)は現在ではごく普通に「個人」として使われているが、この言葉が導入された頃の日にはそういう観念は存在しなかった。神や社会に対する究極的な単位として、それ以上は細分化できない唯一の存在といった意味での個人が、かつての日になかったことは柳父氏のいう通りであろう。当時、日人は社会の「身分」として存在はしていても、個人としてではなかった。

    【正論】もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(1/6ページ)
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    ebmgsd1235 2016/05/05
    「現世の個人は連綿とつづく血縁の中の一人の旅人である。死せる者のいうことにも耳を傾けながら現世を選び取るという感覚」って個人主義の賜物なのでは。「国人」?「家族」や「共同体」にも色んな「かたち」がある
  • (東日本大震災5年)「三陸世界」と復興 山内明美さん:朝日新聞デジタル

    東北沿岸の被災地では、巨費を投じた復興工事が進む。安心で安全な地に変えるために。でも、それだけでいいのだろうか。宮城県南三陸町で生まれ育ち、震災後の再生に携わってきた歴史社会学者の山内明美さんは、三陸に受け継がれてきた生き方や風土から、これからを問い直している。現地を訪ね、一緒に歩いた。 《海… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。

    (東日本大震災5年)「三陸世界」と復興 山内明美さん:朝日新聞デジタル
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    ebmgsd1235 2016/02/18
    “『鹿躍(ししおど)り』という江戸時代から漁師が継承”「石碑には『一切の有為(うい)の法躍り供養奉るなり』と『この世にある一切を躍って供養する』という意味~一切とは、木も草も動物も人も土も海も、です」
  • 田中優子さんに聞いた その1 - この人に聞きたい|マガジン9

    江戸文化の第一人者である田中優子さんは、 きちんと検証もせずに「日の伝統文化」という言葉を軽々しく使い、 政治利用していることについて、鋭く批判します。 たなかゆうこ 法政大学社会学部・メディア社会学科教授。専門は、日近世文化・アジア比較文化。 1952年横浜生まれ。法政大学大学院博士課程修了。近世文学を専攻後、研究範囲は江戸時代の美術、生活文化海外貿易、経済、音曲、「連」の働きなどに拡がってゆく。 江戸時代の価値観から見た現代社会の問題に言及することも多い。 書著に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)、『江戸はネットワーク』(平凡社)、『江戸百夢』(朝日新聞社)、『江戸の恋』(集英社新書)『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』(集英社新書)『江戸を歩く』(集英社ヴィジュアル新書)他、多数。

    田中優子さんに聞いた その1 - この人に聞きたい|マガジン9
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    ebmgsd1235 2014/01/06
    なるほど「戦後放棄」ですか。それと『「君が代」の歌詞は単なる宴席の和歌で後には隆達小歌です。「君」はその時々の祝う相手で、誰でもいいのです』ということで。出所も怪しく合意もない。
  • 日本人はなぜイスラム教を誤解してしまうのか --- 島田 裕巳

    人がイスラム教を理解できないのも、無理からぬところがある。なにしろ国内にはイスラム教徒が少ないからだ。日人のイスラム教徒となれば、結婚で改宗した人間にほぼ限られる。しかも、大半は女性である。 しかし、イスラム教は、キリスト教に次ぐ世界第2位の宗教である。信者の数というものは、なかなか正確なところが分からないので、判断がつきかねるところもあるが、今やイスラム教徒の数はキリスト教徒に匹敵するという説さえある。 そうである以上、グローバル化が進む現代において、私たち日人もイスラム教について関心をもち、そのあり方を知っておく必要がある。 ところが、日人にはなまじ仏教やキリスト教についての知識があることが、かえってイスラム教を分かりにくくしている面がある。多くの日人は、イスラム教をキリスト教、あるいは仏教に近い宗教としてとらえてしまっている。 たとえば、キリスト教には、信者になるための儀

    日本人はなぜイスラム教を誤解してしまうのか --- 島田 裕巳
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    ebmgsd1235 2013/05/04
    面白い解説ですね。脱神話化されていない、聖俗一体の文明、イスラムは生活そのもの、されど物心共々圧倒的な近代西洋文化の波に対して多くのムスリムは国家の内や外で翻弄されつつうまく対処していると思います。
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