まさに体感マシンの歴史をたどってこられたわけですね。視覚触角聴覚とあらゆる感覚をめぐった上で、しかもゲームウォッチ、ゲームボーイとゲーム機にも次々と関っておられる。 スーファミのバズーカもやりました。これはおもしろいシステムでしてね。それまでの画面を打つシステムは、画面じたいがターゲットだったんです。だから、画面から離れれば離れるほど難しくなった。でも、アメリカならともかく、日本みたいな狭い家屋の中で離れて撃つなんていっても無理じゃないですか。それなら画面の中で飛ばしてしまおうっていうのを作ったんです。撃った瞬間にはもう弾は画面の中、でその先がまだあるっていう風にした。バズーカで打ちますね。すると画面の中で、弾がしゅるしゅるーっと飛んでいくわけです。で近くの標的は当たり判定が甘く、遠くのやつは当たり判定を辛くする。
kenzee「で、「ボクと小沢」みたいな話ばっかりしててもTBSラジオLIFEのように雑談と昔話で終始してしまってツマンナイので、音楽家小沢の「音楽」の部分をもうちょっと掘り下げてみたい」 司会者「あの、「小沢とその時代」の回、社会学者のツマラン部分が一番でてましたねえ。結局、一般のマスコミが尾崎を語るときの文脈にはまり込んでしまった。「尾崎と偏差値教育」みたいな。それはツマラナイので尾崎の「音楽」の話をしようというコンセプトでやったのが楊逸のときのこの回でしたね」 kenzee「ウン。で、予想通り「大学時代のサークルの先輩が小沢サンのファンで「LIFE」聴くと今でも胸キュンしちゃいます?」的な寝言をダウンロードしてしまうハメになった。小沢とはオリーブとかネオアコとか東大とか小澤征爾とかいう以前に音楽家として我々の前に現れた。なので小沢の音楽とはなんだったのかについて考えてみるべきだ。てい
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