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historyに関するmfluderのブックマーク (2,425)

  • 闇に消えゆく佐渡金山の朝鮮人名簿 空白の6日間と41年前の目撃者:朝日新聞デジタル

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    闇に消えゆく佐渡金山の朝鮮人名簿 空白の6日間と41年前の目撃者:朝日新聞デジタル
    mfluder
    mfluder 2024/04/28
    "5月12日には、県立文書館の館長と副館長に加えて県の世界遺産登録推進室の職員も鉱山側に面会し、今後の方針について協議している(このときの記録は黒塗りでどんな協議をしたのかは不明)"
  • フランス人歴史家に聞く 「日本の海賊」を研究しようと思った理由 | 「渋沢・クローデル賞」受賞者

    ──フランスのどちらで生まれ育ったのですか。 フランスの南部にアルビという都市がありますが、そこから車で15分くらいのラバスティード-ガボスという、人口400人ほどの田舎で生まれ育ちましたので、けっこうな田舎者です。 そんな環境でしたので、家族も周りの人も、極東に関する知識はあまりないというか、日中国の区別もつかないレベルでした。高校で日について習ったことはありましたが、当に関心を持っていたとは言えません。 高校3年生のとき、アルビの書店で『日語のまねきねこ』という日語の教科書を見つけ、「面白そうだな」と買いました。最初は独学で、やがて日の大学で学ぶことになりました。そもそもは日語という言語に魅力を感じて始めた勉強だったんです。 ──その後、歴史の研究者を志されたわけですが、何か決定的なとの出会いがあったりしたのですか。 いろいろなを読んで歴史への好奇心が出てきたのです

    フランス人歴史家に聞く 「日本の海賊」を研究しようと思った理由 | 「渋沢・クローデル賞」受賞者
  • 731部隊(24) 2007年、米国立公文書館の文書公開

    「731部隊」に関し、twitterではしばしば次のような内容の「つぶやき」が流れます。おそらくこれが、ネットでは最もポピュラーな「否定論」でしょう。 ナチスドイツと日の「戦争犯罪」を調査をしたアメリカの記録作業部会でもアメリカが持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には731部隊が人体実験をしたり細菌戦を行った証拠は全くなく戦後言われたことは全て嘘っぱちらしいです。 結論から書けば、これは全くのデマです。 「人体実験」を示す決定的なアメリカ側資料として、従来から、「フェル・レポート」「ヒル・レポート」、及びその元となった石井部隊幹部への尋問記録などが知られています。 2007年に行われたこの「10万ページ」の文書公開では、単にそれ以上の新しい資料が出てこなかった、というだけの話であり、これらの資料が否定されたわけでも、「上書き」されたわけでもありません。 言うまでもなく、こ

  • 奥能登の歴史「捨てないで」 膨大な古文書、震災で消失危機 「上時国家」8500点下敷き:北陸中日新聞Web

    江戸時代初期以来、上時国家の持ち船が能登と北海道・大坂とを結ぶ廻船(かいせん)交易を展開していたことを示す古文書=神奈川大日常民文化研究所提供 能登半島地震では、石川県の能登各地の旧家で保管されていた古文書が、破損や廃棄といった危機にひんしている。これらはかつてこの地で生きた人々の営みを現代に伝え、復興のよりどころにもなる貴重な歴史資料だ。専門家は日史研究における重要性を指摘し「絶対に捨てないで」と呼びかけている。 (林啓太)

    奥能登の歴史「捨てないで」 膨大な古文書、震災で消失危機 「上時国家」8500点下敷き:北陸中日新聞Web
  • 2000年前の戦国時代の楚王の墓を発見 中国安徽省

    【4月17日 CGTN Japanese中国国家文物局は16日、中国中部・安徽省にある武王墩墓の遺跡で重要な考古学的進展があったと発表しました。現段階では、武王墩墓は今から2000年以上前の戦国末期に楚の国が寿春城に遷都した後の楚の「王級墓葬」と推定されています。 武王墩墓は安徽省淮南市に位置し、主墓(1号墓)、墓園、車馬坑、副葬墓、祭祀坑など重要な遺跡が現存しています。 現在、主墓(1号墓)の発掘が行われており、これは考古学的に発掘された楚の国で最もレベルの高いクラスの墓でもあり、暫定的に、戦国時代(紀元前475-221年)末期の楚国が寿春城に遷都した後の王クラスの墓である可能性が推定されており、既に青銅製の礼器、生活用器、木製の人形、楽器などが出土しています。 武王墩1号墓、つまり現在発掘中の主墓を中心として、周囲には副葬墓、副葬坑、祭祀坑などの重要な遺跡が分布しており、主墓に近い西

    2000年前の戦国時代の楚王の墓を発見 中国安徽省
  • 藤原定家自筆の古今和歌集注釈書を発見 「国宝に値する」 - 日本経済新聞

    平安末期―鎌倉期の歌人、藤原定家(1162〜1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の自筆原が初めて見つかった。冷泉家時雨亭文庫(京都市)が18日発表した。写は複数あり一部は国の重要文化財に指定されているが、調査した専門家は「国宝に値する素晴らしい文化財だ」と評価。和歌研究の進展につながると期待される。新古今和歌集の選者として知られる定家の流れをくむ冷泉家は

    藤原定家自筆の古今和歌集注釈書を発見 「国宝に値する」 - 日本経済新聞
    mfluder
    mfluder 2024/04/18
    “これまでは写本しかなかったため解釈が顕昭のものか定家のものか曖昧な部分もあった。今回の原本は顕昭への反論に紙を付け足すなどしており区別がより明確になった。書き直しの跡もあり定家の思考を知る手がかり”
  • 古今和歌集の注釈書、藤原定家自筆の原本 専門家「国宝級の発見」:朝日新聞デジタル

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    古今和歌集の注釈書、藤原定家自筆の原本 専門家「国宝級の発見」:朝日新聞デジタル
    mfluder
    mfluder 2024/04/18
    “原本は失われたとされていた""顕注密勘の写本がいくら残っていても原本にかなうものはない。推敲の跡が生々しく残り定家の古典への考え方を正確にたどれる。古今和歌集に向き合った姿勢もひしひし""国宝に値する”
  • 黒歯常之 - Wikipedia

    黒歯 常之(こくし じょうし、? - 永昌元年10月9日(689年11月26日))は、百済の将軍。百済滅亡後には、遺民として百済復興を掲げ、反唐運動を率いた将軍の一人である。しかし復興を果たせないことを悟り、唐に投降し、蕃将として主に対突厥戦線で活躍した。 生涯[編集] 百済の将軍として[編集] 百済の達率(二品官)兼風達郡将であった。顕慶5年(660年)8月に国王の義慈王が唐に降伏し滅亡すると、唐の左武衛大将軍蘇定方に部隊を率いて降伏した。 しかし、降伏後、唐軍の軍紀は乱れ、百済の遺民の壮丁、婦女子が殺戮され、強姦されるのを黙視できなくなる。黒歯常之は、旧来指揮していた部隊を糾合して、任存山城において唐に叛旗を翻した。それをみて百済の旧軍兵士が参集し、その数は瞬く間に3万を数えるまでになった。 唐の将軍、蘇定方は兵を派遣して任存城を包囲した。黒歯常之は配下の軍兵の中から精鋭を選び、包囲す

  • 「教科書の記述変わるかも」 山城国一揆の古文書124通発見 | 毎日新聞

    古文書からは一揆後も国人たちがやり取りを続け、つながりが残っていたことがうかがえる=京都府庁で2024年4月2日午後3時3分、中島怜子撮影 戦国時代、自治に初めて成功したとされる「山城国一揆(やましろのくにいっき)」(1485~93年)に関する古文書が大量に見つかった。一揆の原動力となった国人(地方在住の武士)らのやり取りが克明に記された新出史料。詳しい分析はこれからだが、専門家は「将来、教科書の記述が変わる可能性もある」とみている。 見つかったのは一揆で中心的役割を担った椿井(つばい)家に伝わる書状の写し124通。馬部隆弘・中京大教授が2021年、奈良県平群町教育委員会に所蔵されていた大量の古文書を見つけた。3年かけて調査し、椿井家の関連文書と特定した。室町・戦国期の書状を江戸時代の子孫が写したものとみられ、京都市東山区の八坂神社に残る原7通と内容が共通していることから、物と確認した

    「教科書の記述変わるかも」 山城国一揆の古文書124通発見 | 毎日新聞
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    mfluder 2024/04/09
    “馬部教授は過去の研究で、江戸後期の椿井家の子孫が残した「椿井文書」が偽書だと明らかにしたこともある。ただならぬ縁で「本物」と出会った馬部教授は”
  • 2000年以上失われていた儒教経典『楽経』を発見か

    中国中部にある湖北省荊州市では2019年から現在まで、戦国時代(紀元前476~前221年)の簡牘(かんどく、木簡や竹簡を指す)が1万枚以上も次々に出土し、その修復や整理、研究なども各国の注目を集めています。荊州博物館の王明欽館長はこのほど中国中央電視台(中央テレビ、CCTV)の番組の「簡牘でわかる中国」に出演し、これらの簡牘に関する最新の研究成果を紹介しました。 王館長によると、考古学者は2021年、荊州市荊州区洪聖村にある王家嘴楚墓で3200枚以上の戦国時代の簡牘を発見しました。うち160枚ほどに記載されていた内容は、すでに失われてしまった儒教で重視される戦国六経の一つの「楽経(がっけい)」である可能性が高いとされています。『楽譜』と暫定的に命名されたこれらの簡牘は二行で書かれ、主に十干や数字、一部の簡潔な記号があり、豊かなリズムが示されており、2000年以上前の輝かしい儀礼音楽文化

  • 王の武威示す蛇行剣、ついに全容あらわに まだ続く「類例なき発見」:朝日新聞デジタル

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    王の武威示す蛇行剣、ついに全容あらわに まだ続く「類例なき発見」:朝日新聞デジタル
  • 【弥生~古墳時代の鍛冶技術の画期:NHKに依頼された本当のこと】  / 人類・鉄創世記 ―宇宙の賜物・隕鉄を素材とする、原始鍛冶の復活へ― - クラウドファンディング READYFOR

    【弥生~古墳時代の鍛冶技術の画期:NHKに依頼された当のこと】 3月24日に放映されたNHKスペシャル - 古代史ミステリー 第2集 ヤマト王権 空白の世紀 -は残念な内容でしたね。おもしろい、つまらないは別として、間違い、誤りは考古学ファン、古代史ファンに対して許されることではないと思います。 私がNHKに託されたタスクは、弥生時代から古墳時代にかけての鍛冶技術の発展を披露する、というものでした。そのため弥生時代の鍛冶工房を復元し、鍛冶実験をいくども体験している淡路市の国史跡五斗長垣内遺跡に赴きました。そしてその工房のなかに、弥生時代の九州外部に広く波及したⅣ類鍛冶炉と古墳時代のはじまりとともに現れる大型羽口(博多型羽口)を使用した(弥生時代でいうところの)Ⅱ類鍛冶炉を復元し、炉内温度や鉄の熔融状況の違いを示すことに努めました。Ⅳ類鍛冶炉とは、炉穴を掘り込まず、床面にそのまま木炭を敷い

    【弥生~古墳時代の鍛冶技術の画期:NHKに依頼された本当のこと】  / 人類・鉄創世記 ―宇宙の賜物・隕鉄を素材とする、原始鍛冶の復活へ― - クラウドファンディング READYFOR
    mfluder
    mfluder 2024/03/27
    “弥生時代の九州と九州外部との間の大きな技術差を、淡路市教育委員会、五斗応援団の皆様と共有することができました。NHKの皆さんもその場にいたんですけどね”
  • 『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』まえがきに代えて|Pençdiraht

    2024年3月18日、ロシアによるクリミア半島の「併合」から10年が過ぎました。この10年間にクリミア半島とその周辺で起こってきたことを考えると暗澹たる気持ちしか浮かびません。国際社会の平和と安定、地域住民の幸福に少しでもつながる未来があることを祈るのみです。 10年前、クリミア情勢をめぐってクリミア・ハン国とクリミア・タタールという存在が日語の言説空間で認知される中で、かつて無謀にもクリミア・ハン国史を専攻しようとした大学院生であった私は、日語でクリミア・ハン国について書かれた資料がほとんどなく、イメージのみで語られていることに失望を感じていました。幸いにもTwitterなどでクリミア・ハン国史の話題を振ると、その実像についてそこそこ関心を持ってくれる人がいるようでした。そこで突如思い立ち、1か月ほどの短期間で一気に書き上げた原稿が『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』と題した小史で

    『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』まえがきに代えて|Pençdiraht
  • 【速報】奈良・平城宮跡で木簡1000点発見  1300年前の聖武天皇即位の儀式「大嘗祭」の記録も|YTV NEWS NNN

    奈良市にある平城京の跡地から、ちょうど1300年前の聖武天皇即位の儀式を記した記録・木簡が発見されました。 奈良市の平城宮跡の穴から見つかったのは、奈良時代に書かれた木簡、約1000点です。奈良文化財研究所が、去年10月から穴の発掘を始め、木簡を発見。土を洗い流していたところ、「大嘗分」と書かれた木簡が複数見つかりました。 「大嘗祭」とは、天皇の皇位継承にまつわる儀式で、いまの天皇陛下ご即位の際も執り行われました。国や民の安寧や農作物が豊かに実るよう祈る儀式ですが「秘儀」として、その全貌は皇室の外には明かされていません。 今回見つかった木簡は、今からちょうど1300年前、724年に聖武天皇が即位した際の「大嘗祭」に関する記録です。木簡には、聖武天皇の「大嘗祭」の為に運ばれた品々、「炭」や「魚」などの文字が確認できました。 今回の発見は、1300年前も今と同じく「大嘗祭」が執り行われていた考

    【速報】奈良・平城宮跡で木簡1000点発見  1300年前の聖武天皇即位の儀式「大嘗祭」の記録も|YTV NEWS NNN
    mfluder
    mfluder 2024/03/19
    “今回見つかった木簡は、今からちょうど1300年前、724年に聖武天皇が即位した際の「大嘗祭」に関する記録です。木簡には、聖武天皇の「大嘗祭」の為に運ばれた品々、「炭」や「魚」などの文字が確認できました”
  • 葬られたのは女性? 奈良・富雄丸山古墳の木棺から銅鏡3枚など出土:朝日新聞デジタル

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    葬られたのは女性? 奈良・富雄丸山古墳の木棺から銅鏡3枚など出土:朝日新聞デジタル
    mfluder
    mfluder 2024/03/13
    “木棺の中から3枚の銅鏡や髪に挿す竪櫛などが見つかった。市教育委員会が13日、発表した。副葬されることが多い刀剣や甲冑などの武器が木棺内にはなく、女性が葬られていた可能性”
  • 「小林多喜二の拷問死は嘘」ーそこまで権力無謬性を妄信するのか。ならば、その時代背景の一端を伝えよう。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)

    2024年からみて91年前の1933(昭和8)年2月20日正午ごろ、プロレタリア作家の小林多喜二が築地署の特高課員に逮捕されます。そしてその日、午後7時45分に死亡し、その夜のうちに遺体は自宅に戻されました。「内出血で紫褐色に膨れ上がった両方の股(もも)、これもで蹴り上げられた痣のある睾丸、焼き火箸を突き刺したらしい二の腕とこめかみの赤茶けた凹み。ー警察は心臓麻痺だといいはり、あらゆる手を使って司法解剖を妨害した」(講談社・昭和2万日の記録、千田是也「もうひとつの新劇史ー千田是也自伝」より)とあります。 逮捕から半日で突然心臓麻痺になったことを警察側で検視し、遺族はそれを受け取ったのだから拷問死ではないーという発想の幼稚さにも、執拗にそうした発言を繰り返す権力に対する絶対の信頼性と何かへの憎悪にも似た発言に驚くほかなく、つぶやいたのが、表題写真のX(旧ツイッター)です。 「お前が小林多喜

    「小林多喜二の拷問死は嘘」ーそこまで権力無謬性を妄信するのか。ならば、その時代背景の一端を伝えよう。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
  • ローズマリー・サリヴァン『スターリンの娘 「クレムリンの皇女」スヴェトラーナの生涯』 - 紙屋研究所

    スターリンの娘、スヴェトラーナ・スターリナあるいはスヴェトラーナ・アリルーエワの生涯を知ったとき、その激しさと寂しさに、複雑な思いがこみ上げてくる。 スターリンの娘(上):「クレムリンの皇女」スヴェトラーナの生涯 作者:ローズマリー・サリヴァン 白水社 Amazon 前半生は、ソ連体制下で母親をはじめ、親しい人々が自殺や迫害など次々と横死する。後半生は、ソ連の抑圧体制から逃れて亡命し、アメリカ移住するが、結婚離婚を繰り返し、著作によって手に入れた財産を失ってしまう。 後半生は必ずしも抑圧政治のもとでの不幸ではない。しかし、ソ連崩壊まではソ連当局やKGBの魔の手が絶えず彼女の行く手に現れ、そのことに怯える。 やがて、彼女は西側に幻滅し、ソ連に戻ってしまう。アメリカで生まれた娘・オルガとともに。しかし、そこでもまた彼女の望んだ幸福は得られない。彼女は再びソ連を出国し、アメリカの老人ホームで

    ローズマリー・サリヴァン『スターリンの娘 「クレムリンの皇女」スヴェトラーナの生涯』 - 紙屋研究所
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    mfluder 2024/02/22
    “スターリンの娘、スヴェトラーナ・スターリナあるいはスヴェトラーナ・アリルーエワ”
  • ウルフィラ - Wikipedia

    ウルフィラまたはウルフィラス(Ulfilas, ゴート語:Wulfila(Ulphilas, Orphilaとも)[1]、311年頃 - 383年[2])は、4世紀のゴート人司教。聖書翻訳家で、聖書の布教のためにゴート文字を発案した[3]。彼によるゲルマン語の金字塔であるゴートの聖書の重要な断片は今日も残っている[4]。 彼が布教を始めた時代はアリウス派の全盛期にあたり、ニコメディアのエウセビオスによって司教に叙階された彼は、自然にアリウス派の神学を受け入れた。彼と彼によるゴート人の教会は、360年のコンスタンティノープルの相似質説的教会会議によって決定された意味におけるアリウス説を公言し続けた。[4] 脚注[編集] ^ Bennett, William H. An Introduction to the Gothic Language, p. 23. ^ Van Kerckvoorde

    ウルフィラ - Wikipedia
  • 錦の御旗は「秘密中の秘密」 山口で製作、戊辰戦争で新政府軍が使用 経緯記した維新志士の手紙見つかる(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

    明治維新の際の戊辰戦争で新政府軍が錦の御旗(錦旗)を使い始めた経緯を維新の志士品川弥二郎が振り返った書簡が、旗の切れ端とともに京都市内の施設から見つかった。品川が自ら運んだ生地を使って山口市で秘密裏に製作されたことなどをつづっている。 【写真】書簡の一部や錦旗の切れ端 書簡は縦17・2センチ、横111・8センチで、岩倉具視の秘書を務めていた山復一(またかず)宛て。錦旗は「右府公(岩倉具視)が秘密中の秘密にて製作させた」と明かし、製造場所は「山口の後ろ河原町」の土蔵2階だと記している。 旗の生地は、京都から「やじ(品川弥二郎自身)が山口に持ち帰った」と回顧している。京都市にある京都府立京都学・歴彩館へ2015年に寄託された史料から、同市の歴史研究家原田良子さん(56)が発見した。書簡と一緒に寄託された旗の切れ端は縦36・5センチ、横50・7センチで紅色をしている。 錦旗は新政府軍が掲げて旧

    錦の御旗は「秘密中の秘密」 山口で製作、戊辰戦争で新政府軍が使用 経緯記した維新志士の手紙見つかる(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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    mfluder 2024/02/13
    "品川の手紙は知られていたが、現存するかどうかなどは分かっていなかった""佛教大の青山忠正名誉教授は「筆跡から品川の書と断定できた。山口市で錦旗を製造した史実を裏付ける貴重な一次史料だ」としている"
  • 「源泉徴収はナチスの発明」というウソ(田野 大輔) @gendai_biz

    ナチスの政策のなかにも「良いもの」はあった。ネット上を中心にしばしばそんな主張を見かける。 しかし実はそうした主張の多くは少なからぬ事実誤認を含んでいたり、政策の全体を見ずに一部だけを切り取っていたりする――そうした巷間の「ナチス擁護論」の杜撰さと危うさを指摘した『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也・田野大輔)がベストセラーとなっている。 「ナチスは良いこともした」という主張の根拠の一つとしてしばしば持ち出されるのが、「源泉徴収はナチスが発明した」という説だ。同書の著者の一人である甲南大学教授の田野大輔氏が、この説の虚実、そして、なぜこの説が広まったのかを検証する(文中敬称略)。 当に「ナチスの発明」か? 日の税制のことが話題になるとき、しばしば紹介される俗説がある。「源泉徴収はナチスの発明」――給料から税金を天引きする制度を作ったのはナチスだという説である。SNS

    「源泉徴収はナチスの発明」というウソ(田野 大輔) @gendai_biz