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historyに関するmfluderのブックマーク (2,427)

  • 余録:雑誌「歴史と人物」… | 毎日新聞

    雑誌「歴史と人物」(中央公論社、1986年休刊)は、太平洋戦争の軍人証言録が売り物だった。証言を集めた若手研究者が、ベストセラー「独ソ戦」の著者・大木毅氏と戸高一成呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長だ▲2人が当時の見聞を語った対談「帝国軍人」(角川新書)は、今に通じる含蓄に富む。旧軍将兵らが戦時中、いや戦後でさえも、いかに報告、公文書、日記、回想録、証言などで改ざんとウソと誇張を重ねたか。苦々しい秘話満載である▲日軍が女性や子供を含む島民400人以上を虐殺したインドネシア・ババル島事件。広島第5師団の報告書は3回作り直され、赤裸々な事実描写が、最後はやむを得なかったという釈明に変えられていた▲元陸軍将校の親睦団体「偕行(かいこう)社」が戦後、南京事件の証言集をまとめたら、悪いことをしたという告白が多すぎた。ところが、「謝罪するしかない」と筋を通した編集責任者は辞めさせられ、当た

    余録:雑誌「歴史と人物」… | 毎日新聞
    mfluder
    mfluder 2020/07/19
    “対談本「帝国軍人」(角川新書)は、今に通じる含蓄に富む。旧軍将兵らが戦時中、いや戦後でさえも、いかに報告、公文書、日記、回想録、証言などで改ざんとウソと誇張を重ねたか。苦々しい秘話満載である”
  • 明治の女性、髪を切るのに「断髪届」 千葉の民家で発見:朝日新聞デジタル

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    明治の女性、髪を切るのに「断髪届」 千葉の民家で発見:朝日新聞デジタル
  • 秀吉側近の武将 駒井重勝の日記 自筆原本見つかる | NHKニュース

    豊臣秀吉や養子の秀次の言動などを、そばで仕えた武将が記した「駒井日記」の自筆原の一部が見つかり、調査にあたった専門家は「当時の武将の日記の原が出てくることはほとんどなく、重要文化財クラスの価値がある」と指摘しています。 江戸時代の写しが数巻分残されているだけで原は失われていると考えられていましたが、東京大学史料編纂所がその一部とみられる日記をインターネットオークションで購入し、内容などを調べた結果、写しがある部分の自筆の原そのものと判断されました。 調査にあたった村井祐樹准教授によりますと、見つかったのは17巻以上あるとされる日記のうち第6巻の7割程度に相当し、西暦1594年にあたる文禄3年2月の出来事が記されています。 このうち22日には、秀吉の天下統一を支えた黒田官兵衛が体調を崩した際に、秀次が出した見舞いの手紙の内容が記されているほか、27日には秀吉と秀次が今の奈良県の吉野で

    秀吉側近の武将 駒井重勝の日記 自筆原本見つかる | NHKニュース
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    mfluder 2020/06/15
    “見つかったのは17巻以上あるとされる日記のうち第6巻の7割程度に相当し、西暦1594年にあたる文禄3年2月の出来事が記されています”
  • 軍艦島元島民「徴用工差別、聞いたことない」施設で紹介:朝日新聞デジタル

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    軍艦島元島民「徴用工差別、聞いたことない」施設で紹介:朝日新聞デジタル
    mfluder
    mfluder 2020/06/14
    “加藤康子センター長は「政治的な意図はない。約70人の島民へのインタビューで、虐待を受けたという証言はなかった」と説明”
  • 大化の改新ゆかりの広場ほぼ断定|NHK 関西のニュース

    大化の改新を行った中大兄皇子と、中臣鎌足は、神木が立つ「槻の樹の広場」と呼ばれる場所で出会ったと伝えられています。 この神木があった可能性を示す遺構が、奈良県明日香村の遺跡で初めて見つかり、村の教育委員会は、この遺跡を大化の改新ゆかりの広場の跡とほぼ断定しました。 奈良県明日香村の「飛鳥寺西方遺跡」は、大化の改新を行った中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所として、日書紀に記されている「槻の樹の広場」ではないかとされています。 「槻の樹」は、いまでいう「ケヤキの木」で、古代には神木とされていました。 村の教育委員会がこのほどまとめた発掘調査の報告書によりますと、遺跡の広さは少なくとも、南北が200メートル、東西が140メートルで、一面に石が敷かれていました。 この場所では井戸の跡が見つかったほか、近くの飛鳥寺からみてちょうど西の方角には6メートルから7メートル四方にわたって石敷きがない場所が

    大化の改新ゆかりの広場ほぼ断定|NHK 関西のニュース
    mfluder
    mfluder 2020/06/11
    “神木が立つ「槻の樹の広場」と呼ばれる場所で出会った”古代、神木の近くには井戸があったとされることや、日本書紀には「槻の樹」が飛鳥寺の西に位置しているとの記述があること"
  • 福岡県、人権啓発番組に削除要請 手紙1通のクレームで:朝日新聞デジタル

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    福岡県、人権啓発番組に削除要請 手紙1通のクレームで:朝日新聞デジタル
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    mfluder 2020/05/20
    まず、県の“戦時中の炭鉱での強制労働という政治的に敏感な話題”という捉え方からして酷い。歴史的事実として存在するのに「敏感な話題」とは何なのか
  • 中世のペストに関する3つの誤解 – 大貫俊夫研究室

    この記事は、中国、モンゴルから中東を経て、1347年から1352年にかけてヨーロッパで蔓延したペスト(黒死病)、いわゆる大ペストについて、3つの誤解を解こうとするものである。いや、そんな誤解はしていないという人もいるかもしれないが、COVID-19にともないこの中世のペストが引かれることが多くなったので、あえてこのタイミングでまとめておきたいと思う。 題に入る前に、この記事の内容を調べることになった経緯を説明しておきたい。 僕が所属する東京都立大学では、3月後半に予定されていた多くの卒業イベントが中止、ないし大幅に縮小して実施となり、卒業生と名残を惜しむ時間もほとんどなかった。さらに、オリンピックの延期が決まった頃、新学期の授業開始もゴールデンウィーク明けに延期となった。この間学生はほったらかしとなり、とくに新入生は1度もキャンパスに足を踏み入れることもできず、東京都の方針を受けて、引っ

    中世のペストに関する3つの誤解 – 大貫俊夫研究室
  • 「3密」が集落を滅ぼした 100年前の災禍 今に警鐘 福井・大野にスペイン風邪の碑:東京新聞 TOKYO Web

    一九一八(大正七)年に世界でまん延した「スペイン風邪」が広がり、その後、離村へと追い込まれた集落が福井県大野市の山奥にあった。集落跡に立つ石碑には、住民の一割近くが死亡し、壊滅的な被害を受けたと克明に記されている。新型コロナウイルスの感染が広がる今、約百年前の惨状を繰り返してはいけないと、不住の地から訴えかけている。 (山内道朗) 集落は、大野市和泉地区の九頭竜湖南側に位置する面谷(おもだに)。同市教委文化財課によると、かつて、良質な銅を産出する鉱山町だった。幕末は大野藩の財政改革に寄与し、明治に入ると財閥の合資会社が鉱山経営を引き継ぎ隆盛を極めた。当時の大野市街地にはなかった電気も通り、「穴馬の銀座」と称されたほど。海外から安価な銅が輸入されるようになっていたところにスペイン風邪のまん延が追い打ちをかけ、鉱山は二二年に閉鎖。集落も解散した。 石碑はいつ、誰が建てたかはっきりしないが、集落

    「3密」が集落を滅ぼした 100年前の災禍 今に警鐘 福井・大野にスペイン風邪の碑:東京新聞 TOKYO Web
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    mfluder 2020/04/29
    “石碑はいつ、誰が建てたかはっきりしないが、集落の関係者らが後年、火葬場跡につくったとみられる。記述は「南無阿弥陀仏」で始まる”当時の資料は他になく、山奥の集落への感染ルートは分からない"
  • ヴァチカン、第2次世界大戦中の教皇の関連文書を公開 ホロコースト黙認か - BBCニュース

    キリスト教カトリック教会のローマ教皇庁(ヴァチカン)は2日、何十年も非公開にしていた第2次世界大戦中の教皇ピウス12世時代の資料公開を、研究者に対して開始した。ピウス12世は、ナチス・ドイツによるホロコースト(大虐殺)に目を閉ざしていたと批判されている。 ピウス12世は1939~1958年に在位していた。ナチス・ドイツがユダヤ教徒を殺害していたことを知りながら対策を講じなかったとして、「ヒトラーの教皇」と呼ばれることもある。

    ヴァチカン、第2次世界大戦中の教皇の関連文書を公開 ホロコースト黙認か - BBCニュース
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    mfluder 2020/03/04
    “ピウス12世は、ナチス・ドイツによるホロコースト(大虐殺)に目を閉ざしていたと批判されている”
  • 織田信長軍が改築した「付城」が出現!  消滅が惜しまれる神戸・松原城 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

    の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回も、姿を消す戦国時代の山城を紹介します。神戸市北区の松原城です。2020年1月で、宅地開発工事に伴う約1年間の発掘調査が終了しました。2019年の9月20日と12月26日に取材した調査概要をリポートします。(トップ写真は2019年12月26日撮影) 【消滅する城の記事はこちらも】 ・消滅を前に現れた山城! 障子堀めぐる圧巻の河村新城 ・440年の眠りから覚め、まもなく消える山城 岡山県・南山城 ・攻め上る気がなえる恐怖の城 続・まもなく山ごと消滅する南山城 織田信長軍の改変、発掘でほぼ確実に 松原城は、神戸電鉄の神鉄道場駅前にある、比高25メートルほどの独立した丘陵に築かれた小さな山城だ。地元では蒲公英(たんぽぽ)城と呼ばれ、「信長公記(しんち

    織田信長軍が改築した「付城」が出現!  消滅が惜しまれる神戸・松原城 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
  • 「この世界の片隅に」で主人公が振るっていた竹槍が意味するもの(一ノ瀬 俊也)

    軍や政府の「一億総特攻」のかけ声のなか、そのシンボルとなったのが、 特攻隊員、そして「竹槍」だった。現在公開中の映画『この世界の(さらに いくつもの)片隅に』にも登場する竹槍訓練を、人々はどのような思いで おこなっていたのか。話題作『特攻隊員の現実』の著者一ノ瀬俊也氏が 銃後の一億総特攻を描き出す。*以下の文章には、作品の内容に関する紹介が 含まれていますので、ご注意ください。 こうの史代の漫画『この世界の片隅に』はアニメ映画化され、現在その延長版『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が上映中である。漫画には、主人公の北條すずが昭和19年、町内で行われた竹槍訓練に参加する場面が出てくる。女性たちは防空ずきんにもんぺ姿で下駄を履き、竹槍をかまえて敵兵に見立てたわら人形をかわるがわる突く。しかしすずは、夫の周作が当に自分を愛しているのかについて思い悩んでいるため、訓練にちっとも身が入らない

    「この世界の片隅に」で主人公が振るっていた竹槍が意味するもの(一ノ瀬 俊也)
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    mfluder 2020/02/11
    "戦時中の竹槍は戦争の狂気や非合理性、そして陳腐さのシンボルであり、誰も本心では相手にしていなかったのだろうか。私はそうは思わない"技術力に対する精神力の拮抗もしくは優位を本気で信じていた"
  • どこにあった?「天草コレジオ」の謎に決着か 論争60年超、英国に古文書

    県天草地方に1591~97年にあったとされるキリシタンの最高学府「天草コレジオ」の所在地について、現在の同県天草市河浦町にあったことを示す古文書が、英国の大英図書館に所蔵されていることが分かった。具体的な地名に言及した文書が確認されたのは初めて。天草コレジオの場所は、キリシタンへの迫害から逃れるために当時の宣教師の書簡にも残っておらず、市町合併で天草市になる前の旧河浦町と旧渡市のどちらにあったか論争が続いていた。 古文書は、イエズス会のフランシスコ・ロドリゲス神父が書いた1601年9月30日付の同会年報。同会日管区代表を務めた人物で、地元の郷土史家らでつくる天草キリシタン研究会(浜崎献作会長)が昨年11月、大英図書館所蔵の年報の存在を知り、東京大学史料編纂(へんさん)所から画像を入手。キリシタン史に詳しい慶応大の高瀬弘一郎名誉教授に解読を依頼した。 高瀬氏によると、年報にはラテン語

    どこにあった?「天草コレジオ」の謎に決着か 論争60年超、英国に古文書
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    mfluder 2020/02/09
    "イエズス会のフランシスコ・ロドリゲス神父が書いた1601年9月30日付の同会年報""大英図書館所蔵の年報の存在を知り東京大学史料編纂所から画像を入手。キリシタン史に詳しい慶応大の高瀬弘一郎名誉教授に解読を依頼"
  • “江戸時代のイメージを塗り替えた男”速水融を歴史家・磯田道史が語る。|文藝春秋digital

    昨年12月4日に90歳で逝去した速水融さんは、日に「歴史人口学」を導入した人物だ。歴史家・磯田道史さんは彼を師と仰ぐ。映画化されたことでも知られる著書『武士の家計簿』は、速水さんの手法に倣ったものだという。そんな磯田さんが、速水さんとの思い出を振り返る。/文・磯田道史(国際日文化研究センター准教授)高校時代に訪れた大学図書館 速水融(あきら)先生との出会いがなければ、私の学問人生はありませんでした。私の歴史家としての方向性を決める上で、最も影響を受けた人物です。 先生のことを知ったのは、私がまだ高校生の頃のこと。今でも鮮明に覚えています。 高校3年の3月、高校の制服を着て、地元の岡山大学の図書館を訪れました。当時、私は歴史を専攻することははっきりしていても、どの時代にするかは決めかねていて、受験を終えたところで早速、大学の図書館を訪れたんです。 ところが、入口で「高校生の利用は許可して

    “江戸時代のイメージを塗り替えた男”速水融を歴史家・磯田道史が語る。|文藝春秋digital
  • WEB特集 そっくり! 浮世絵と中国版画 その意外な関係とは | NHKニュース

    を代表する芸術の1つ、浮世絵。その成立過程に一石を投じる研究結果が明らかになりました。鍵を握っているのは、同じころに中国・清で制作されていた「中国版画」。その知られざるコレクションを手がかりに、国内外の研究者が3年に及ぶ調査を進めた結果、深いつながりが見えてきました。 (科学文化部 記者 富田良)

    WEB特集 そっくり! 浮世絵と中国版画 その意外な関係とは | NHKニュース
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    mfluder 2020/02/06
    版画界の国際的な影響しあい
  • 優秀な遣唐僧が東大寺の僧に怒られた意外な理由(JBpress) - Yahoo!ニュース

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    mfluder 2020/01/28
    “行賀”
  • シリギの乱 - Wikipedia

    シリギの乱(シリギのらん)は、1276年から1282年にかけてシリギやトク・テムルらトルイ系諸王が大元ウルス皇帝のクビライに対して起こした叛乱である。叛乱自体はクビライの迅速な対応と叛乱勢力の内部対立によって早期に鎮圧されたものの、この叛乱によって中央アジアにおける大元ウルスの威信の低下とカイドゥ・ウルスの拡大が決定的となり、その後の中央アジア情勢に多大な影響を残した。 背景[編集] 帝位継承戦争における怨恨[編集] シリギの乱の原因は1259年のモンケ・カアンの死に始まる帝位継承戦争に遡る。モンケの死を切っ掛けにその弟のクビライとアリクブケの間で帝位継承戦争が勃発すると、クビライが帝国の左翼部(東道諸王や「左手の五投下」)の支持を得ていたのに対し、アリクブケはカラコルムに残留していた旧モンケ政権の幹部層(アラムダール、ブルガイら)、トルイ系諸王を主要な支持層としていた。 両軍は当初互角に

    シリギの乱 - Wikipedia
  • チンギス・ハーン息子一族の宮殿か…遺跡発掘調査で「帝国期最大級」大型建物跡を確認(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

    モンゴル帝国がユーラシア大陸を席巻できた理由を探る新潟大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の今年の合同考古学調査が行われ、モンゴル東部のハンザト遺跡で、初代皇帝チンギス・ハーン(在位1206~27年)の息子一族の宮殿と推定される大型建物跡が確認された。史料にない拠点で、帝国拡大期の権力構造を示す遺跡として注目される。 調査は2001年に始まり、現首都のウランバートル南東約200キロのアウラガ遺跡をチンギスの大オルド(拠地)と確定し、発掘を重ねてきた。昨年、その東北東約250キロにあるハンザト遺跡の調査にも着手し、昨年5~6月の2週間、格的な発掘を行った。 チンギスは即位後、「国」にあたるモンゴル高原から、中国北西部の西夏、中国東北部の金、中央アジアなどに勢力圏を拡大。三男の2代皇帝オゴデイ(同29~41年)の代に東ヨーロッパまで進出した。孫の5代皇帝フビライ(同60~94年)は元朝

    チンギス・ハーン息子一族の宮殿か…遺跡発掘調査で「帝国期最大級」大型建物跡を確認(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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    mfluder 2020/01/07
    “モンゴル東部のハンザト遺跡で、初代皇帝チンギス・ハーン(在位1206~27年)の息子一族の宮殿と推定される大型建物跡が確認”
  • 遊女、髪結い…近世長崎の暮らし、生き生きと 江戸時代の古文書発見 | 西日本新聞me

    江戸時代の長崎・出島に出入りした職人や、江戸の吉原と並び称された丸山遊郭の遊女が市中で引き起こしたトラブルの公的記録が、長崎市の古書店で見つかった。町政を担う地役人「町乙名(まちおとな)」の山家が残した史料群の一端。国内の貿易拠点だった長崎の市井の暮らしが表され、専門家は「都市研究の裾野が広がる」と期待する。 近世長崎では、江戸から来る長崎奉行が貿易や裁き(裁判)を、町年寄を筆頭とする地役人が町政を担っていた。町乙名は市中80町にそれぞれ置かれ、各町を取りまとめる役職。山家は代々、繁華街の石灰(もとしっくい)町を管轄し、出島の管理や市中全体の争い事の仲裁も任された。 長崎市長崎学研究所が昨年3月、1800年代前半の業務記録や給与明細などを記した約50点を古書店で見つけた。記録には、裁判沙汰に至らない軽微なもめ事が事細かに書き残され、幕末に当主を務めた山騰之丞(とうのじょう)の名が記

    遊女、髪結い…近世長崎の暮らし、生き生きと 江戸時代の古文書発見 | 西日本新聞me
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    mfluder 2020/01/04
    “町政を担う地役人「町乙名」の本山家が残した史料群”裁判沙汰に至らない軽微なもめ事が事細かに書き残され”丸山遊郭に関する記録が多いのも特徴”
  • なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?(フレデリック・クレインス)

    いよいよ年の瀬。皆様にとって今年はどんな1年でしたでしょうか? 来年はオリパラもあり、大変にぎやかな年になりそうです。講談社現代新書も、変わらず「おもしろくて、ためになる」新書作りに邁進して参ります。 2019年最後の記事は『江戸の災害』を上梓されたフレデリック・クレインス氏による「江戸と消火ポンプ」についての解説です。消火ポンプは17世紀にオランダで開発され、江戸幕府に持ち込まれました。しかし、幕府はこれを拒みます。その理由とは? さあ、年末年始は火の用心! 私が日で経験した火事 2017年冬のある日曜日の早朝、私は自転車で出かけた。自宅は京都の路地街にある。大きな通りに出るまではいくつかの狭い小道を通り抜けなければならない。進むにつれて、次第に濃い煙りに囲まれるようになり、目の前がまったく見えなくなった。 「これは霧ではない。火事かもしれない」。そう考えて、来た道を折り返した。しばら

    なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?(フレデリック・クレインス)
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    mfluder 2019/12/31
    面白かった
  • 吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性:朝日新聞デジタル

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    吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性:朝日新聞デジタル
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    mfluder 2019/12/26
    “唐王朝で外国使節の接待などをつかさどる「鴻臚寺(こうろじ)」という役所の中級官僚だった李訓(りくん)の墓誌で、開元22(734)年6月20日に死去し、同年6月25日に埋葬されたと記される”