卒業式、お花見、入学式。何かと「写真」を撮る機会の多い時期ですが、 「はい、チーズ!」 と言われたら、皆さん、どんなポーズをとりますか? ピースサイン、しちゃいませんか? でも、それって、なんでなん? (なんでなん取材班 大阪放送局 今村香織 藤島新也) ピースサイン、しちゃいますよね
卒業式、お花見、入学式。何かと「写真」を撮る機会の多い時期ですが、 「はい、チーズ!」 と言われたら、皆さん、どんなポーズをとりますか? ピースサイン、しちゃいませんか? でも、それって、なんでなん? (なんでなん取材班 大阪放送局 今村香織 藤島新也) ピースサイン、しちゃいますよね
鳥取県が誇る中国地方最高峰、大山。この山の読み方、もちろん「だいせん」ですよね。でも全国的には、同じ漢字でも「おおやま」と読まれる名前が多いそう。 「なぜ鳥取ではだいせんと読むのか」。調べてみると、大山の奥深い歴史が見えてきました。 (鳥取放送局 保田一成アナウンサー、鶴颯人カメラマン) 「なぜだいせん?」 大山町で聞いてみると…… 鳥取県大山町、大山の登山口にやってきました。 「なぜ大山と読むのか」疑問をさっそく登山客たちにリサーチ。 登山客にインタビューする保田アナ(右端) 「昔から”だいせん”と読み続けているので、何の違和感もないです」(岡山県 男性) 「千年万年の千年の”せん”かな」(兵庫県 女性) 「仙人の”せん”とか。このあたりは大山寺もあるし」(広島県 男性) 旅館を経営する男性 地元で旅館を営む男性にも話を聞きました。すると、こんな答えが。
突然ですが! これから「江戸時代までの日本は『性におおらかな社会』だったが、西洋的/キリスト教的価値観の輸入がそれを潰した」とかいうなぜか世間にはびこる謎幻想、およびその手の害毒史観のもとで作られた『春画先生』という映画の問題点についてキッチリ語らせていただきます。 ……つーかとっくに上映終了している映画について今さらウダウダ指摘するのもなんだと思ったけど、やっぱ今年のムカつきは今年のうちに全部吐き出しておかねば気が済まぬ。 かなり長くなるだろうけど、しばしお付き合いいただければ幸い。 そもそも。 「おおらか論」に与する人たちってのは、当時に春画・春本の類が何の制約もなく出版され、大衆がそれを白昼堂々と買うことができたと思ってるんだろうか? 例えば明和年間に京都の書店組合が発行した『禁書目録』には好色本が多く掲載されているし、為永春水ほどの才気ある戯作者も、たかが『春色梅児誉美』程度のハー
当方はウクライナやスラブ研究者では無く、米国大学にてホスピタリテイ・観光経営分野で研究系博士教員をしている日本人学者・米国永住者です。ウクライナには縁があって旧ソ連崩壊後数年であった1995年から往訪しており、渡航回数は30回程度です。過去5年は年に数回のペースで渡航していました。 自分の研究領域専門分野ではありませんが、比較的現地情勢に詳しいので、約一か月前に掲題の雑学メモを書きました。現地に行かずに欧米メデイアを分析・評論するような日本語メデイア、或いは親ロシア派の自称コンサルタントのロシア寄りのメデイアの意見や見解が日本ではより目立つようで、ウクライナ側から見た見解に比較的に各種反応を頂いたので、侵略が始まった直後の現時点で追加・補足をしようと思います。なお、当方はロシアにも5回程度渡航しており、現在もロシア語を趣味で勉強しており、大学院生にロシア人学生も居るので、ロシア人・ロシア文
当方はウクライナやスラブ研究者では無く、米国大学にてホスピタリテイ・観光経営分野で研究系博士教員をしている日本人米国永住者です。ウクライナには縁があって旧ソ連崩壊後数年であった1995年から往訪しており、渡航回数は30回程度です。過去5年は年に数回のペースで渡航していました。 普段ウクライナの名前が出るのはチェルノブイリ原発事故に関連した話程度で、ここ数か月のロシア軍国境集結と侵攻のニュースで突然によく名前を聞くようになった人が多いのではと思います。 ウクライナとロシアの関係を理解するには、歴史文化の背景を知っておくと深く理解が出来ると思いますので、それがこのメモを書く動機です。気軽にご笑納頂ければと幸いです。 1. スラブ文化の発祥ロシア語、ウクライナ語は似ていますし、教会の外観や聖職者の服装も似ています。プーチン大統領は同じ民族だと言っています。果たしてどうなのか、歴史俯瞰が役立ちます
純喫茶と呼ばれる古い喫茶店が好きだ。 かつて最先端だったモダンな空間にそのままタイムスリップできる店や、歳月の分だけ店主の人柄が滲み出たような味わい深い店。そんな、いい歳の取り方をした名優のような喫茶店にロマンを感じる。 1975年出版の古い喫茶店本を読んでいたら、当時の新宿にあった喫茶店を網羅した貴重な記事を見つけた。 それらを昔の住宅地図と照らし合わせながらGoogleマイマップ上にマッピングし、45年以上を経て今も残る喫茶店を巡ってみた。 その先で素敵な店に出会い、マスターから当時の貴重なお話をうかがうことができた。 『喫茶・スナックのすべて 企画・設計・運営のチェックポイント』商店建築社、1975年 これがその古書だ。当時のプロ向けの本で、最先端の内装デザインや営業スタイル、今後の業界動向などが載っている。 過去の未来予想図としてこれ自体も大変面白いのだが、史料的価値がある!と特に
女児の足を縛って、人為的にその発達を抑える中華民族特有の風習「纏足(てんそく)」。女性の性的魅力を高めるとして、20世紀中頃までおこなわれていた習慣だが、今、「最後の纏足世代」が急速に姿を消しつつある。高齢となった彼女たちが、自らの生涯と纏足について語り始めた。 そもそも纏足とは何か? 中国では一般に「小脚(シァオジァオ)」とも呼ばれる纏足は、幼女の足首から先を布できつく縛って足の成長を阻害し、故意に小さく変形させる奇習だ。纏足をされた女性は、生涯にわたり歩行困難を強いられる。 纏足するには、女児が4~5歳になると長さ約3mの帯状綿布で両足の足首から先をそれぞれきつく縛り、発育を故意に抑える。施術中の女児は高熱を発するため、纏足は秋におこなわれた。女児は麻酔代わりにアヘンを吸わされた上で寝台に固定され、親指を除く8本の足指を内側に強く折り曲げられ、時には舟状骨や距骨など足の甲の骨を石で砕い
この記事は松尾公也さんの「HHKBのControlキーはなぜAの左なんだぜ」のフォローアップ記事である、というか、フォローアップしてくれと松尾さんに頼まれて書いたら斜め上に行ってしまった記事である。ちなみに筆者はあまりキーボードに造詣が深くないので、間違った記載などあったらTwitterなどでご指摘いただければ幸いだ。 まず事実確認を さて本題、「Aの左にControlがあるのはなぜなんだぜ?」で松尾さんはIBMの101キーボードとかDECのVT100をその例に挙げているが、実は両方とも間違いである。まずはこのあたりの正誤関係を明らかにしておきたい。 そもそもSunのType-3キーボードでCtrl(Control)がAの横にあるのは、ある意味先祖返りである。Type-2もかなり近い(なにせこの世代はCapsLockがない)が、その前のType-1は後述するVT100にキーボード配置が合わ
アメリカで寿司はどのように受容されていったか 海外旅行に行くと、大都市はおろか小都市でも簡単に寿司レストランが見つかります。好奇心で行ったことある方もいらっしゃるかもしれません。味は、まあ、ピンキリでしょう。 アメリカでも小さなほうの町のスーパーでも寿司が売っていて、その浸透ぶりが伺えます。しかし必ずしも日本の伝統方式とは限らず、カリフォルニアロールだったりキャタピラーロールだったり、独自のローカライズがなされていて、「江戸前鮨至上主義」の人は怒り出すかもしれません。今回はアメリカでいかに寿司が紹介され、受容されたかをまとめていきます。 1. 日系人が持ち込んだ寿司 アメリカに寿司が初めて上陸した月日は明確に分かっていませんが、1900年代前半には日系移民によって西海岸に持ち込まれていたと考えられています。 初めて寿司を食べたアメリカ人の記録は、1904年8月18日、ロサンゼルス・ヘラルド
明治時代から昭和初期にかけて、日本の主要輸出品目は絹であった。国策によって養蚕が盛んに行われ、蚕の飼育に特化した養蚕農家が全国に数多く建てられた。 戦後に化学繊維が普及したことによって養蚕はみるみるうちに廃れたものの、日本の各地には今もなお昔ながらの養蚕農家が存在する。 その様式は地域によって様々ではあるものの、総じてデカく、ユニークで、カッコ良いのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:旧奈良監獄の“監獄としての最後の姿”を見に行った > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 三階建て養蚕農家が超密集!兵
【最古の学生自治寮】 ※本日の企画は株式会社メルカリの提供でお送りします こんにちは。ヨッピーです。 突然ですがこちらの画像群をご覧ください。 はい。 「なにこれ?どこの廃墟?」っ思う人がいらっしゃるかもしれませんが、ここは廃墟ではありません。バリバリ現役の学生寮、京都大学の吉田寮です。 京都大学の吉田寮は築105年の歴史を持つ、日本最古の学生自治寮。 自治寮とはつまり学生の自治によって運営されている寮で、大学当局と寮自治会の間で話し合いをしながら、学生の手によって管理・運営がなされております。入寮選考なんかも全て学生によって行われているらしい。 中庭なんてほぼジャングル! 「これ、いつの時代だよ」っていう張り紙も残る。 そんな吉田寮ですが、現在でも100名ほどの学生が暮らしており、留学生も含めて日本各地、世界各国から集まった学生たちが共同生活を送っております。 寮費は水道光熱費込みで月あ
私は「ネットロア」という語をかなり広義に捉えていて、噂や風説といったもの、そこまではっきりしなくても、「なんとなくぼやっと信じられてそうなこと」までも含んでおります。最近は世の流れで時事ネタを多めに取り扱いますが、私自身は「なんとなくぼやっと」のネタの方が、いつもワクワクしながら取り組めています。 というわけで、今回はその「ぼやっと」ネタの、「現代のむかしばなし、昔よりマイルドになってる説」です。 バアちゃん殺されないとか歴史修正主義者の暗躍がひどい pic.twitter.com/EfpqAPpY5Z — 新米先達mayan (@mayan1969) May 8, 2018 ずいぶん前のツイートですが、最近TLに回ってきたので、へえ、と思った内容です。最近の「かちかち山」は、おばあさんは殺されず、しかも改心したっぽいタヌキと和気あいあいと打ち上げパーティーのように終わるんだとか、そういう
僕は千葉県出身なのだが、そんな地元民の間でも地味な扱いの「君津市」。しかし、この君津は全国まれに見る大移住があった。 1960年代後半に八幡製鉄(のちの新日鉄)が君津に大規模な新工場を完成、工員やその家族などおよそ2万人もの北九州人がやってきた、日本史上にも残る「民族大移動」。 君津ではもっぱら北九州の方言が使われ、九州料理が出すお店がたくさん登場し、九州カルチャーが街を占拠した。当時、君津は九州だったのだ。 しかし、今は移住が本格化したときから50年も経った。そんな「リトル福岡」の今はどうなっているのかをこの目で確かめたい。 僕はバスタ新宿から1470円の高速バスで、アクアラインから房総半島を目指した。 ライター、番組リサーチャー。過去に秘密のケンミンSHOWを7年担当し、ローカルネタにそこそこくわしい。「幻の○○」など、夢の跡を調べて歩くことがライフワークのひとつ。ほか卓球、カップラー
周りのみんながやっているから、乗り遅れないように私もやる――誰しも一度はこうした経験をしたことがあるのではないか。仲間外れは怖いものだ。多少ヘンな流行であっても、ついつい乗ってしまうのが人間の性である。 だが、そうして広まったブームも、時間が経つにつれて1つの風習・行事として根付く場合がある。「伝統」だなんて言葉がついていれば、説得力倍増だ。「古くから伝わるものなんだ、絶やしちゃいけない」という義務感すら覚えさせられる。 「古くから」「昔から」とは一体いつごろのこと? 著者はここで疑問を抱く。その伝統、本当に古くからあるのか? だいたい「古くから」「昔から」とは一体いつごろのことなのか? いつからなら「伝統」と呼べるのか? 本書『「日本の伝統」の正体』はそうしたモヤモヤを感じる日本の伝統の数々を検証する1冊である。著者は1979年に「星新一ショートショート・コンテスト」入賞を機に数多くのラ
エストニアのオビニツァ村で、伝統的な衣装を身にまとって祖父母の庭に立つセトゥ人の少女、リーシ・ルイヴさん。セトゥの女性は皆、古い衣装と新しい衣装の両方を持っている。写真の衣装は比較的古いもので、白が多めに使われ、まくり上げて着る長い袖が付いている。服装からわかることはそれだけではない。既婚女性は髪をすべて覆わなくてはならないが、未婚の若い女性やリーシさんのような少女は、花輪かヘッドスカーフだけをかぶって長く編んだ髪を外に垂らす。今では、伝統的な衣装を着るのは特別な機会だけだ。この衣装の刺繍はリーシさんが自分で施したものだという。「私はセトゥ人であることを誇りに思います」と彼女は言う。「ここは私が生まれた場所、育った場所なのです」(PHOTOGRAPH BY JEREMIE JUNG) 係争中のふたつの国に、国境線をまたぐように存在する“王国”がある。そこで暮らすのはセトゥ人。エストニア南東
研究者の目に歴史ゲームはどのように映っているのか。ドイツで行われた軍事史研究会をレポート ライター:山室 良 2015年11月26日から28日にかけて,ドイツ東部の都市ケムニッツで「軍事史研究会」の年次大会が開催された。この軍事史研究会は,軍事史と社会,文化との関わりについて毎年興味深い報告を行っていることで有名で,とくに今年のテーマは「コンピュータゲームにおける戦争と組織化された暴力」という,筆者を含めたストラテジーゲームファンにとっては興味深いものになっていた。これはぜひ行かねばなるまい,ということではるばるケムニッツまで取材に行ってきた。 研究会の開催されたケムニッツ工科大学の建物。1836年に設立された職業学校を起源とする由緒ある大学だ ドイツ「軍事史研究会」公式サイト(ドイツ語) カール・マルクスの頭像。さるアニメのように飛び跳ねたりはしない,たぶん 残念ながら初日のパネルディス
九月から東京都文京区の永青文庫で開催されている春画展(2015年9月23日~12月23日)が大盛況なのだという。猥褻か芸術かという議論を巻き起こしつつ春画の再評価が進んできて、江戸時代の性文化の多様性を示すものとして一定の地位を確立してきたのだろう、僕も江戸時代の文化を調べる上で非常に興味をもっていた。 本書は、2014年に亡くなられた、春画の再評価を牽引した春画研究の第一人者である白倉敬彦氏による、春画の二大先駆者菱川師宣と西川祐信の作品から見る春画の変遷と特徴を通して江戸の性愛ならぬ「色恋」の姿を浮き彫りにした春画入門書である。 本書の第一部では浮世絵の始祖にして春画の父である菱川師宣(?~1694)の代表作の集大成「恋のむつごと四十八手」を一枚一枚丁寧に解説しつつ、春画草創期の特徴を、第二部では菱川師宣に続いて春画中期の隆盛を牽引した西川祐信(1671~1750)の作品から第一部を補
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