","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
冒険家の皆さん、今日も海洋惑星オク=トーのツリー・ライブラリーに忍び込んでジェダイの聖典を読んでいますか。 さて、実は年末に防水の Kindle ペーパーホワイトを購入しました。どうして購入したのかと言うと、僕が読書中に風呂場でうとうとしてしまって、2015年ぐらいに購入した Kindle を水没させてしまったからです。 本題からは外れますが、もうSonyリーダーの時代(10年ぐらい前)から電子書籍は使っています。しかし、これまでも風呂場で本を読むことは日常的に行っていたのに、水没させることは一度もありませんでした。一度も水没させることがなかったのは、これまでは海外の仰向けに寝るタイプの洋式の浴槽で読んでいたことが理由にあったのではないかと今では思っています。日本の風呂の湯船は仰向けに寝るのではなくて、どちらかと言うと体育座りのような感じになりますよね。洋式の浴槽ではうとうとすると本が顔の
冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか? さて、今年最初の記事は、やはり今年何をしたいかについて書いてみたいと思います。これを書くことによって自分の意識が整理されますし、自分に対しての縛りにもなるんですよね。その一方で、実現できなかったとしても僕以外には誰も覚えていませんから、恥ずかしいことは何もありません(^^) 【語学教育における経験学習】 で、今年何をやりたいかと言うと、一番重要なのは経験学習と語学教育の冒険です。というのもインドでは国家教育政策2020(NEP2020)という閣議決定された政策で「全ての科目を経験学習を基に行う」ことになっているからです。 ご存じの方も多いかと思いますが、経験学習はもともとアメリカのデューイが提唱したもので、それを1980年代にコルブという研究者が モデル化しました。インド政府の言う「経験学習」が 具体的にどのようなものか
冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか? さて、ただいま「冒険とつながり - むらログ2020」本文の編集を終えたところです。 こうして全体を振り返ってみると、個人的には今年の一番の大きな変化はやはり「#Zoomでハナキン」が始まったこと以外には考えられません。2018年には「 Twitter 日本語教育元年」として SNS 上の開かれた日本語教育関係者のネットワークがこれまでとは比較にならない規模で動き始めたということを書きましたが、2020年にはそれがリアルタイムの表情や声も聞こえるコミュニケーションへと大きく進化しました。 このようなことが可能になった背景には、言うまでもなく新型コロナウイルスの パンデミックがあります。 Zoom自体は「むらログ2019」にも書いたように多様な場面で既に活用されていました。 しかし、パンデミックによって、対面による授業や面
少し前の話だが、あるメーカーでCFO(最高財務責任者)をしていた時の話だ。 年商は50億円程度なのでそれほど大きな会社ではなかったが、業界初となる先進的な技術で売り出し中であり、知名度はとても高い。 未上場マーケットでもIPO本命銘柄などとおだてられ、資本金は5億円を超えるまで膨れ上がるほどの投資が集まっていた、人気企業だった。 筆者がその会社のCFOに招かれたのは、そんな注目を集める会社の数字が思わしくなくなっている時だった。 売上はそれほど悪くないのに、まったく損益分岐点を超えてくる様子がない。 投資で集めた、潤沢であった自己資金もこのままで行けばすべて溶かしてしまうかもしれない。 そんな危機感を持ったメインバンク系のVC(ベンチャーキャピタル)から打診され、就いたポジションだった。 「火中の栗を拾う難しい仕事だけど、驚かないでね」 馴染みの投資部長さんの言葉がやや気掛かりではあったが
冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか? 今日は自動採点の入り口として、まだ使ったことがない人にテンプレをご紹介します。 以下のような自動採点のできるGoogleフォームが簡単に作れます。 https://forms.gle/1SEETk46i2JX7CzL6 【テンプレ一覧】 テンプレはこちらです。 自動採点テンプレ01 https://docs.google.com/forms/d/1Cm2ysXwJMsUXJ1zAM6qgdMBoTasg7Y7Nat5f-xEKwzE/copy 自動採点テンプレ02 https://docs.google.com/forms/d/1_hb-jfl5UnwYX2GreCsxoL738EOc1pptg8NXa1E5lGE/copy 自動採点テンプレ03 https://docs.google.com/forms/d/1nbi7
冒険家の皆さん、今日も盗賊にさらわれた娘を救い出して恋に落ちていますか? さて、 先週のハナキンに ご参加になった皆様、 本当にありがとうございました。 最後のサプライズは本当に全く予期していませんでした。 また、129人の皆さんによる寄せ書きにも大変感動しました。 これは是非このブログにも記録しておきたいと思いますので、 忘れないうちに書いておきたいと思います。 書きたいことはたくさんあるのですが、一番強く印象に残ったことは こんなに多くの人が それぞれにとっての意味を感じてくれていたんだなということです。 一昨日の #Zoomでハナキン1218 の写真です。本当にまったく予期していなかったサプライズをありがとうございました! 本当は一人ひとりにお返事したいのですが、IDが分からない方などもいらっしゃいますので、こちらで改めて感謝を申し上げます。 pic.twitter.com/tfom
朝日新聞フォトアーカイブが12月18日、ツイッターに投稿した女子挺身隊の写真について、たくさんのご指摘をいただきました。 この写真について、弊社で検証した結果、構図などから、戦時中に撮影し合成された写真と判断しました。当時の様子を伝える写真としてこの写真を選び、以下のコメントをつけたことは極めて不適切なものでした。 「弊社には、1944年に増産のため工場へ出勤する女子挺身隊の写真が残っていました。『男たちは戦場に駆り出され、国内の労働力は不足していた』とありました。」 上記のコメントを取り消した上でお詫びいたします。 この写真は、週刊「アサヒグラフ1944年10月25日号」、朝日歴史写真ライブラリー「戦争と庶民 1940~49」(朝日新聞社・1995年)に掲載されたものです。戦時中に撮影されたものであり、撮影者や経緯は不明です。数多くのご指摘を頂いた通り、同じ顔や大きさが不自然な顔があるな
少し前に、こんな記事を読んだ。 僕はなぜトヨタの人事を3年で辞めたのか トヨタでの3年間は決して「歯を食いしばって耐える」ようなつらいだけのものではなかった。むしろ、たくさん鍛えてもらい、貴重な経験をさせていただいた先輩方を心から尊敬しているし、今でも仕事、プライベートを問わず関係を続けられるその懐の深さには感謝の気持ちしかない。 でもぼくは、結果だけ見ればトヨタを3年でやめた。 (中略) 3年目も後半に差し掛かってきて、ふと周りを見渡すと、10人いたはずの人事同期は既に半分以上が辞めていた。 「閉塞感に、耐えられなくなった」 そう言って辞めていく同期達に、ぼくは何も言えなかった。 上の記事には、著者がトヨタをやめるに至った苦悩が、延々とつづられている。 会社を辞めるも残るも自由だ、それはそれでよい。 だが、私はこれを読み、思った。 「会社が人生の中心であった時代は、本当に終わったのだな」
本物のジョブ型社会ではキャリアアップは難しい 前回、日本型の「無限定な働き方」とは、「易しい仕事から始めて、慣れたらだんだん難しくする」というものであることを説明しました。その結果、知らない間に習熟を重ね、給与も職位も上がっていくことになります。まさに無限階段が作られているわけです。 一方、欧米のジョブ型労働は、ジョブとジョブの間の敷居が高く、企業主導で無限階段を容易には作れません。キャリアアップの方法は、原則として ①やる気のある人がジョブとジョブの間の敷居をガッツで乗り越える ②一部のエリートが自分たちのために用意されたテニュアコースを超スピードで駆け上る の2つだけ。その他多くの一般人は、生涯に渡って職務内容も給与もあまり変わりません。 その結果、日本と欧米(とりわけ欧州)では、労働観が大きく変わってしまいます。日本では「誰でも階段を上って当たり前」という考え方が、働く人にも使用者に
「鬼滅の刃」が絶好調だ。 あえて説明する必要もないが、劇場版の興行収入がえらいことになっていたり、単行本の売り上げがドえらいことになっていたり、最終巻を求めて長蛇の列ができたり、めちゃくちゃ転売されたり、わけわからんコラボグッズが出たり、とんでもない状況だ。 見ると、町ゆく子どもたちのマスクまでどこかで見たような柄のものになっている。 これはもう社会現象と言っても過言ではないのだろう。 この「鬼滅の刃」はすごい。 たぶんどえらい作品だ。 そんなもの詳しくなくても分かる。 ただ、「たぶん」と表現しているのは、実はまだ観たことがないからだ。 そう、僕はこの作品に全く触れていないのだ。 原作も見てなければアニメも見ていない。もちろん劇場版も見るつもりはない。 やはり、たとえ末端といえども文章を書いたりして表現活動をしている者として、こういった作品は必ず抑えておく必要がある。 社会現象は多くの人に
冒険家の皆さん、今日も降りしきる雪の中でヒノカミ神楽円舞を舞っていますか? さて、今日は「日本語教育史においてオーディオリンガルは過去のものと認識されている」ということについて書きます。これは日本語教育の歴史の中ではかなり基本的なことですが、きちんと勉強する機会のなかった人が僕の予想よりかなり多いようです。 前の質問は答えにくいと複数の方がおっしゃるので、質問を変えますね。以下は正しいと思いますか。 A:日本語教育史においてオーディオリンガルは過去のものと認識されている B:「みんなの日本語」はオーディオリンガルの教科書である これも回答数がほしいので、RTを歓迎いたします。 — Yoshifumi Murakami 「ハナキン」の中の人 (@Midogonpapa) December 12, 2020 ご覧の通り、「みんなの日本語」がオーディオリンガルであることは7割程度の方が正しく認識
冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか? 日本国内の日本語学校では、12月のJLPTや大学入試が終わってしまうと「年度末まで何をやればいいか分からない」という声をときどき聞きます。今日は「そんなときこそ自律学習の出番だ」ということを書いてみたいと思います。 なぜこのような状況が起きるかというと、それまでは「受験」という全員に共通した目標があったのに、それがなくなってしまっているからです。そして二番目に大事な目標は学習者によってまったく違うのです。目標が違うのに、同じ授業をするのには無理があります。これを解決するのは実は簡単で、つまり、自分の目標のためにそれぞれが違ったことを勉強すればいいのです。 自律性が充分に育っているクラスの場合は、自由に学習者に考えてもらえばいいと思います。しかし、あまり民主的ではない国から来た学習者などは自分で決めることに慣れていないかも
冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか? 音声入力に関するよくある誤解について、今日は書きたいと思います。 最初に言ってしまうと、音声入力を講演会のように考えている人が多くいるように思うのです。というより僕自身が最初はそのように考えていました。ですから例えばブログを書くときに講演会で話すように流れるように音声入力で一気に記事を仕上げてしまうようなイメージを持っていたのです。 もしかすると本当にそのように一気に話したいことだけを話してブログの記事を仕上げてしまう人もいるかもしれません。台湾の阿部さんはもう話していることをそのまま記事にしているみたいですから、それに近いかもしれませんね。 僕自身も引用する資料がなかったり、短めでシンプルな構成の記事の場合は、音声入力で最初から順番に入力していって最後の段落まで書いておしまいということもあります。実を言うと、今日のこの
冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか? さて、昨日ズームで行われた「#Zoomでハナキン1211」について簡単に書いておきたいと思います。 このイベントではこれまで参加者全員を共同ホストにしてきました。なぜかと言うと、ブレイクアウトルームの間を参加者が自分の意志で自由に移動することができるようにしたかったからです。数週間前まではズームの仕様で共同ホストにならないと参加者は自分の意志でブレイクアウトルームの間を移動できなかったのです。しかしそれが数週間前のアップデートで共同ホストではない一般参加者も公的には自由に移動ができるようになっていました。しかし共同ホストに設定してもなぜか移動できない人が一定数いらっしゃったので、これまでも全員を共同ホストにする手続きをとっていました。 ところがおとといの新しいアップデートで、共同ホストはブレイクアウトルームの管理もできる
血塗られたカンバスの前に立つ「烏合麒麟」と思われる画家と遺体を覆い隠すモリソン豪首相を描き、微博で100万のいいね!を集めた画像 WUHE QILIN/WEIBO <新たな作品は「人殺し」を隠蔽するモリソン豪首相に、戦争犯罪を「謝罪せよ!」と迫るもの> オーストラリア軍の兵士がアフガニスタンの子供にナイフを突きつけている偽画像がツイートされて豪中間の外交問題に発展する一方、中国ではこの画像を作成したアーティストが国民的英雄として称賛を集めている。 Shocked by murder of Afghan civilians & prisoners by Australian soldiers. We strongly condemn such acts, &call for holding them accountable. pic.twitter.com/GYOaucoL5D — Liji
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