1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の末期、7千人以上が殺害された「スレブレニツァの虐殺」から20年がたった11日、現地で追悼式典があった。遺族や米国のクリントン元大統領ら各国代表団が出席。当時、虐殺を起こした勢力を支援した隣国セルビアからもブチッチ首相が出席し、犠牲者を悼んだ。だが混乱もあり、関係改善の難しさが改めてあらわになった。 虐殺は1995年7月11日に始まった。ボスニア・ヘルツェゴビナに住む主要3民族の一つであるセルビア系の武装勢力が、国連の「安全地帯」に指定されていたスレブレニツァを制圧。町の7割を占めたボシュニャク系の男性を連行して射殺し、ほぼ10日の間に7千人以上を殺害した。 式典会場はスレブレニツァから約5キロ北にある元工場。当時、セルビア人勢力がボスニャク系住民を殺害する前に収容した建物だ。 11日、この1年にDNA鑑定で新たに身元が確認された136人の遺体