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太平洋戦争に関するyomikのブックマーク (25)

  • “日本人を殲滅せよ” アメリカ従軍記者は何を見たのか | NHK | WEB特集

    80年前の太平洋戦争で、戦場に身を置きながら日米の戦いを記録した人物がいる。タイム誌の記者、ロバート・シャーロッド。彼は、日兵が命をかえりみずにアメリカ軍に突撃する様子や、勝てないと悟ったときにみずから命を絶つ姿に衝撃を受けた。 シャーロッドが伝えた日兵の姿は、アメリカ国民にも衝撃を与え、やがて容赦のない激しい攻撃へとつながっていく。当時、アメリカ人ジャーナリストの目から、日兵はどう見えていたのか。シャーロッドが残した膨大な文書からたどる。 (NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班 村山世奈) ※文では戦時中の事実を忠実に伝えるため、当時使われていた差別的な表現を原文のまま掲載しています

    “日本人を殲滅せよ” アメリカ従軍記者は何を見たのか | NHK | WEB特集
  • 8割が餓死・病死、倒れたら自決を “地獄”を生きた104歳元兵士の怒り「検証していない」(毎日新聞)

    104歳の中野清香(なかの・きよか)さんは「地獄」を知っている。約80年前、そこにいたからだ。 水たまりに頭を突っ込んで倒れている兵士がいた。まだ生きているのに、誰も助け起こさない。 蛆(うじ)がわく死体の隣で眠っても、死臭が気にならなくなっていた――。 「戦争が終わった時、喜怒哀楽の感情がすっかり抜けていた。今考えると、とても恐ろしい」 子犬の肉球までった 太平洋戦争で最も悲惨な戦場の1つといわれる東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)の戦い。日に戻ることができた兵士は1割もいないとされる。 「い物のことしか頭にない。敵の攻撃も恐ろしくなかった」 イナゴを捕まえて羽をむしり、そのままべた。10センチぐらいのトカゲを火の中に放り込んで口にいれた。山中でちょろちょろと歩いてきた子犬を殺し、足裏の肉球までらいついた。 降伏は許されず、突入して潔く死ぬよう玉砕命令が出た時、銃1丁

    8割が餓死・病死、倒れたら自決を “地獄”を生きた104歳元兵士の怒り「検証していない」(毎日新聞)
  • 最後の指揮官命令は島民の虐殺だった…元日本兵が書き残した敗戦直後のオーシャン島で起きたこと:東京新聞 TOKYO Web

     太平洋戦争の敗戦直後、太平洋中西部に浮かぶサンゴの島・オーシャン島で日兵が行った住民虐殺について、元日兵が書き残していた手記を紙が入手した。これまで、虐殺事件の具体的経緯は不明な部分もあったが、上官の命令を受け自分が銃を撃つまでの一部始終を苦悩とともにつづっている。専門家は「太平洋地域で起きた紛れもない事実。ただ、この分野の研究者は少なく、一般的にはほとんど知られていない。大変貴重な資料だ」と語る。(山哲正)

    最後の指揮官命令は島民の虐殺だった…元日本兵が書き残した敗戦直後のオーシャン島で起きたこと:東京新聞 TOKYO Web
  • https://twitter.com/yu77799/status/1573781597970919427

    https://twitter.com/yu77799/status/1573781597970919427
  • [PDF]『焼き場に立つ少年』の写真

  • 大東亜戦争従軍記 | 東南アジアを転戦した祖父の私的な従軍記です。

    先日、実家に帰った際に亡くなった祖父の残した戦争時の手記を父が書き起こしたものを見せてもらいました。父がその手記をまとめた時に私はまだ小学生で、全く興味を持たなかったんですが、今見てみるととても面白く、手記の主人公である「俺(祖父)」(昭和十六年当時二十八歳)に感情移入して一気に読み終えてしまいました。 内容は祖父が戦争で大活躍をするわけでもなければ映画で描かれるような戦場に居合わせるわけでもありませんが、(だからこそ孫である私が存在しているわけですが)現地の意外といい加減な雰囲気やべ物の美味さや匂い、仲間との失敗談などがとても身近に感じられ、それと同時に戦争時の過酷な状況にも驚きました。 祖父は筆まめな人で戦争から戻ってからこれを書いたそうですが、元々他人に見せるものではなかったのか、今読んでも軽い文体で読み易く、このまま消えてしまうのは勿体無いので、たいした量ではないんですが、少しず

  • いま明かされる、戦中日本軍の「あまりに愚かな」逸話の数々(井上寿一×鴻上尚史) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

    2017年11月に同時刊行した講談社現代新書、井上寿一『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』と鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』。 多くの人に知られていない文書に光をあてた前著は7刷、後著は10刷と版を重ねています。10万部を突破した『不死身の特攻兵』では、「必ず死んでこい!」と命令されながら、9回生還した特攻兵に迫り、合理性を欠いた日軍について考察しました。 敗戦へと突き進んでしまったのは何故だったのか。今回は、著者お二人が、太平洋戦争当時の日のあり方や、歴史を語り継ぐ意義について対談しました。 日人自らの手で戦争を検証する 鴻上: 井上先生が今回の著作のテーマに選んだ「戦争調査会」は、終戦間もない頃、幣原喜重郎首相の強い意向によって、日が敗戦に至った理由を調査するために設置された機関なんですね。 井上: ええ、東京裁判が連合国による戦争責任追及の場であったと

    いま明かされる、戦中日本軍の「あまりに愚かな」逸話の数々(井上寿一×鴻上尚史) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
  • 「空襲から逃げたら食糧停止」エリート官僚が発した恐るべき命令(大前 治) @gendai_biz

    戦時中の日政府は「逃げるな、火を消せ」という防空法と、「空襲は怖くない」という情報操作を実施した。その全体像は前回記事(「空襲から絶対逃げるな」トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした)で紹介した。 この体制下で人々はどのように追い詰められたか。県知事が「逃げる者は処罰する」と布告した青森の実例をみることにする。ここでは、第一次と第二次の空襲の間に恐るべき命令が出されて市民が犠牲となった。 恐怖で逃げ始めた市民 大戦末期の1945年(昭和20年)7月14日午前から15日午後にかけて、洋上の米空母13隻から飛び立った艦載機2000機が北海道の根室から岩手県の釜石まで各地の港湾や飛行場を攻撃。 青函航路を擁する輸送拠点の青森市では、船舶・港湾・鉄道施設が狙われた。青函連絡船は沖合の船を含めて10隻が沈没、2隻が損傷して輸送が断ち切られたのである。 目の前で起きた空爆に、青森市民は震えあがった。

    「空襲から逃げたら食糧停止」エリート官僚が発した恐るべき命令(大前 治) @gendai_biz
  • 反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く

    反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 史実とは大きく違う『かわいそうなぞう』のストーリー 猛獣虐殺は空襲のせいではなく戦意高揚のため 『かわいそうなぞう』は戦後平和教育失敗の象徴 反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 児童文学作家土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』。1951年に発表された後、1970年に絵として出版されて200万部を超える大ヒットを記録、小学校の教科書にも採用され、代表的な「反戦童話」「平和教材」となった。戦後生まれの日人なら、子どもとして、またはその親として、一度は読んで涙したことがあるのではないだろうか[1]。 そのころ、日は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、

    反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く
  • 義理の祖父に、特攻隊「伏龍」について聞いてきた - 荻上式BLOG

    今年の8月15日、16日に帰省しまして。その際、義理の祖父に、戦争中の話を色々聞かせてもらいました。帰る前から、「レコーダー持っていくから、戦争のことを聞かせてほしい」と伝えていたら、色々と資料も用意してくれていました。ありがたや。 義理の祖父は、「伏龍」の隊員でした。「伏龍」を簡単に表現すると、潜水服を着て、爆雷のついた竹槍を持ち、水中に潜って、近づいてきた敵に自爆攻撃をするというものです。「水際特攻隊」「幻の特攻兵器」「人間機雷」等、様々な異名がついています。その時に聞いた話は、TBSラジオで「人間機雷『伏龍』隊員だった義理の祖父との対話」と題して放送したのですが、貴重な証言だと思うので、放送したインタビュー部分の文字起こしを掲載したいと思います。 以下、文字起こしと、ごく簡単な補足のみ掲載。 1944年に予科練に入った チキ:TBSラジオでですね、家族に戦争体験を聴くという企画をやっ

    義理の祖父に、特攻隊「伏龍」について聞いてきた - 荻上式BLOG
  • NHK NEWS WEB 「受忍論」 新資料が語る国の方針

    「受忍論」 新資料が語る国の方針 8月12日 19時14分 太平洋戦争の末期、アメリカ軍の空襲によって日の各地が大きな被害を受けました。このうち原爆によって被害を受けた人には一部医療の面などで国の援護がありますが、東京大空襲など原爆以外の空襲の被害者には国による救済はありません。 どうしてこうした違いが出たのでしょうか。その鍵となる新たな資料が見つかりました。その資料とは、昭和54年から非公開で開かれた国の懇談会の議論を記録した文書です。ここでの議論がその後の戦後補償に大きな影響を与えたと言われています。 広島放送局の中村友聡記者が取材しました。 救済ない空襲被害者 大阪・堺市に住む安野輝子さん(76)は、6歳のとき鹿児島県で空襲に遭い左足を失いました。 空襲による被害を救済してほしいと国家補償を求め、平成20年に訴えを起こしましたが退けられました。控訴・上告したものの訴えは認められ

    NHK NEWS WEB 「受忍論」 新資料が語る国の方針
  • 米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求(一ノ瀬 俊也)

    兵は味方兵士の「遺体」回収にものすごく熱心だった。しかし、その一方で、苦しんでいる傷病者の扱いは劣悪で、撤退時には敵の捕虜にならないよう「自決」を強要した。このような態度を米軍はどう見ていたか? 一ノ瀬俊也『日軍と日兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日兵の精神」を特別公開します。 個人とその生命を安易に見捨てた過去の姿勢を、現代の日社会は脱却できたと言えるのだろうか……。 葬送と宗教 日兵の宗教観と死生観について、米軍はどのように観察していたのだろうか。 書にたびたび登場する元捕虜の米軍軍曹は、日軍将兵の死者に対する弔い方、宗教精神のあり方を次のように詳しく描写している(IB*1945年1月号「日のG.I.」)。 *米陸軍軍事情報部が1942-46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』)。日軍とその将兵、装備

    米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求(一ノ瀬 俊也)
  • 遺骨収集の今 - Yahoo! JAPAN

    戦後70年。土以外の戦没者は約240万人。今も半数近い113万柱の遺骨が海外で眠ったままとなっています。未だに、土帰還できていない遺骨について、ロシアの収容作業の様子、収容事業に取り組む東京の遺族や若者の声を取材しました。1945年8月15日、太平洋戦争の集結から今年70年の節目を迎える。土以外の戦没者は約240万人。そのうち、半数近い113万柱の遺骨が海外で眠ったままとなっている。 70年経ってなお土に帰還できていない遺骨の現状について、ロシアの収容作業の様子、収容事業に取り組んでいる東京の遺族や若者の声を取材した。 取材・撮影:dragoner 東京の中心、霞ヶ関のビルの中に、1万を超える遺骨が人知れず眠っている。 厚生労働省が入居する中央合同庁舎第5号館。1万を超える遺骨はひとつの部屋に収まりきらないため、複数の部屋に分散され保管されている。それらの部屋に公式な名称は与

    遺骨収集の今 - Yahoo! JAPAN
  • (座談会)70年談話、学者の危機感 三谷太一郎さん、大沼保昭さん、藤原帰一さん:朝日新聞デジタル

    戦後70年の安倍首相談話が内外の注目を集める中、日を代表する国際法学者、歴史家、国際政治学者ら74人が、侵略や植民地支配を反省した過去の首相談話を継承するよう求める共同声明を出した。戦後70年を迎え、今なお歴史認識が争点となるのはなぜか。発起人を務めた3氏に聞いた。(司会は編集委員・三浦俊章) … この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。

    (座談会)70年談話、学者の危機感 三谷太一郎さん、大沼保昭さん、藤原帰一さん:朝日新聞デジタル
  • 戦争末期のアメリカの空襲計画他徒然

    ユキカゼ @NAVY_ICHIHO 京都を目標とするのにスチムソン長官がめっちゃ反対して一度は外したものの、グローブス准将が京都への原爆投下に拘っていて復活させたとか、横浜も原爆投下候補地だったけどルメイがほぼ独断で通常爆撃で焼き払ったとかなかなか怖いなおい 2015-07-16 15:14:19 ユキカゼ @NAVY_ICHIHO あと8月14日・15日空襲、実施部隊が日の降伏を知っていたかどうかというと、8月10日に日との和平交渉に伴うリーフレット作戦の中止というのが出ているのでおそらく…… 2015-07-16 15:30:13 ユキカゼ @NAVY_ICHIHO あと8月15日空襲、最初の標的が東京だったみたい。アーノルド大将がマリアナと沖縄のB-29を1000機動員して東京を空襲したいとか言ってる。これに対して第20航空軍のスパーツ大将が「三発目の原子爆弾なら東京に落としても

    戦争末期のアメリカの空襲計画他徒然
  • ”大艦巨砲主義”のまぼろし(dragoner) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    否定表現としての”大艦巨砲主義”日海軍の戦艦大和が沈んでから、今年の4月7日で70年を迎えました。その節目とあってか、いくつかのメディアで大和を題材にした記事を見かけましたが、その一つにこんなのがありました。 世界最大の46センチ主砲が敵戦艦に火を噴くことはなく、この最後の艦隊出撃で、撃墜したとされる敵機はわずか3機だった。大艦巨砲主義の誇大妄想が生んだ不沈戦艦への“信仰”に対し、宗教家の山折哲雄さん(83)は「大和とは、いびつな時代のいびつな象徴だった」と指摘する。 出典:大和撃沈70年:最後の特攻、敵機撃墜たった3機(毎日新聞) 毎日新聞の記事では、宗教家の言葉を引く形で「大艦巨砲主義の誇大妄想」とそれが生んだ「浮沈戦艦への信仰」と、批判的・否定的なトーンで伝えています。NHKでも過去に歴史ドキュメンタリー番組「その時歴史が動いた」で『戦艦大和沈没 大艦巨砲主義の悲劇』を放映していま

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  • 毎日新聞デジタルご購読・お申し込み - 毎日新聞

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  • 「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制/大前治 - SYNODOS

    空襲の安全神話 1枚の写真をご覧いただきたい。 畳の上に炎があり、男女3人が水をまいている。昭和13年に東部軍司令部の監修で作られた12枚組ポスターの一つで、今でいう政府広報である。表題には「落下した焼夷弾の処理」とある。 それにしても不思議な光景である。屋根を突き破って落ちてきた割には弱々しい炎。天井や畳は燃えていない。焼夷弾の間近に迫って怖くないのか。アメリカ軍の焼夷弾はその程度のものなのか。一杯目のバケツで水をかけた後は、一体どうするのか。この一つの炎のために次々とバケツリレーをするのか。謎が深まる。 もう1枚。同じ12枚組の1つである。 ショベルの先に小さな「焼夷弾」らしき物体があり、「折よくば戸外に投出せ」と書かれている。こちらも、畳や障子はまったく無傷である。 こんな対処法が可能とは思えない。実戦で使用された焼夷弾は、発火装置と燃焼剤が一体となっており、投下されると数十メートル

    「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制/大前治 - SYNODOS
  • 東京大空襲をとらえた写真見つかる NHKニュース

    およそ10万人が犠牲となった昭和20年3月10日の東京大空襲で、燃え盛る町を記録した写真が見つかりました。 戦後70年がたとうとするなか、空襲のさなかに地上から撮影された写真が見つかったのはこれが初めてで、専門家は「空襲が、人々が住む町を標的にしていたことを改めて裏付ける非常に貴重な資料だ」としています。 太平洋戦争中、東京には昭和19年11月から翌年8月まで空襲が繰り返されました。 なかでも、昭和20年3月10日未明の東京大空襲では、およそ10万人が犠牲となりましたが、これまで、空襲のさなかの町を地上から写した写真は見つかっていませんでした。 ことしになって東京・江東区の東京大空襲・戦災資料センターの研究員たちが、当時、海外向けの宣伝雑誌を作っていた団体のカメラマンが撮影したネガを遺族から借り受け分析したところ、大空襲のさなかに撮影された貴重な写真7枚が初めて見つかりました。 このうち、

    東京大空襲をとらえた写真見つかる NHKニュース
  • 花子とアンと戦争協力

    中島岳志 @nakajima1975 1938年1月1日の『婦人新聞』誌上に掲載された座談会「事変下に於ける子供の導き方」で、村岡花子は「戦争は国家の意思」であり、「個人的心理的な観方」を滅却せよと訴えています。同時代のナチスに対しても好意的。「花子とアン」は、この辺りをしっかり描いてほしいと思っています。 2014-08-03 16:46:07 リンク twitter.com 中島岳志 (nakajima1975) on Twitter The latest from 中島岳志 (@nakajima1975). 北海道大学大学院法学研究科准教授。インド政治や近代日の思想史を研究しています。. 北海道札幌市 中島岳志 @nakajima1975 村岡花子「児童読物の浄化」(『婦人新聞』1938年1月20日号)では、「今度政府が幼少年の読物の浄化運動に乗り出したことは大変結構なことだと思い

    花子とアンと戦争協力