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warに関するume-yのブックマーク (233)

  • バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事

    例の件に関して、当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもない人間がどうこう、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。 俺は長崎の生まれで被爆三世で当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。 俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者はほとんど残っていないから俺が言う。 長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーどころか扇風機もない真夏の小学校の体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺はとにかくそれが辛かった。 話をする年寄りはもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。 もうひとう、この時期になると廊下にはずらりと、他所の地域ならPTAが発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出され

    バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事
  • 海中から車輪のような金属の物体 正体めぐり書き込み相次ぐ | NHKニュース

    千葉県木更津市の沖合で漁船の底引き網に航空機の車輪や脚のような形をした金属製の物体がかかり、引き上げられました。長年、海中にあったとみられ、インターネットのSNSではその正体をめぐり、書き込みが相次いでいます。 引き上げられたのは長さ1メートル50センチほどの支柱の先に円形のホイールのようなものが3つついた金属製の物体で、表面のほとんどは貝殻やさびに覆われています。 ゴム製のタイヤとみられるものと合わせて今月4日、引き上げられました。 この物体を引き上げた地元の漁業者の小原勝美さん(57)によりますと、千葉県木更津市牛込からおよそ5キロメートルの沖合で太刀魚漁をしていたところ、底引き網が重くなり、突然、船が止まったということです。 友人の漁業者の助けを借りて網を2隻で引っ張って漁港まで持ち帰り、重機を使って陸に引き上げたところ、この物体が姿を現したということです。 小原さんは、「正体はわか

    海中から車輪のような金属の物体 正体めぐり書き込み相次ぐ | NHKニュース
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    ume-y 2020/12/12
    これ、網がだめになっちゃいそう。
  • 「地球最後の日」に使われる軍用機2機が、トランプ大統領の感染判明後に飛び立った理由

    ume-y
    ume-y 2020/10/04
    これはいつものことで、つまり米国はいつも「命令後数分で1,000発以上の核兵器を使用する態勢を整えている」らしい。
  • ドイツの戦争責任についての雑感: 極東ブログ

    共産党委員長の志位和夫さんが、共同の記事『独首相アウシュビッツで過去謝罪「この責任に終わりはない」』を引用して、8日に次のようにTweetしていた。 加害国として「この責任に終わりはない」とのべる独首相。 加害国として「性奴隷という言葉を使うな」と被害国を恫喝する安倍首相。 この落差を、対米英開戦78周年の日に痛感する。加害国が、戦争責任・植民地責任に向き合う姿勢をとり続けてこそ、当の和解が訪れる。 午前10:17 · 2019年12月8日·Twitter Web Client 『加害国として「この責任に終わりはない」とのべる独首相』の『加害国として』という部分だが、共同の報道にそのような内容が含まれているのだろうか、と気になった。該当の報道は次のようになっていた。 【ベルリン共同】ドイツのメルケル首相は6日、第2次大戦中にナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の舞台と

  • 祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず | 西日本新聞me

    10月初旬、秋晴れの長崎市・平和公園は、さながら修学旅行生ラッシュの様相だった。平和祈念像前で写真撮影を終えた小学生たちに、女性ガイドが像の由来を説明していた。 台座と合わせ高さ約13メートル。青銅製の巨大な祈念像は南島原市出身の彫刻の大家、故北村西望が長崎市から制作の委託を受け、被爆10周年に当たる1955年8月に完成させた。以後、8月9日の平和祈念式典は毎年、祈念像前で開催。像は被爆地「祈りのナガサキ」の代表的なイメージとして世界的にも知られる。 ただ、11月に長崎を訪問するローマ法王フランシスコは、81年2月に来崎した当時の法王ヨハネ・パウロ2世に続き、祈念像には立ち寄らない。 偶像崇拝禁止? ヨハネ・パウロ2世の来崎時の長崎市長でカトリック信徒でもあった故島等氏は、キリスト教が偶像崇拝を禁止していることなどを根拠に、法王が平和公園を訪問しなかった原因は祈念像にあるとの見方を示して

    祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず | 西日本新聞me
  • 「堤不夾貴(つつみふさき)」の項目が日本語版のWikipediaになかったので: 極東ブログ

    さすがに8月に戦争を顧みるというのも飽きていたはきたが、関連する世の中の話題にそって連想することはあり、たまたまた、「堤不夾貴(つつみふさき)」の項目が、英語版とイタリア語版とロシア語版にあるのに、なぜか日語版のWikipediaになかったことに気がついた。 私は、以前、Wikipediaを使った嫌がらせで困惑したことがあり、このプロジェクトに関わりたくないのだが、さすがに日語版のWikipediaに「堤不夾貴」の項目がないのも、なんだろう、奇妙な感じがする。 奇特な人がいたら、日語版Wikipediaになんとかするとよいのではないか。最近はgoogle翻訳も精度が上がっているが、とりあえず、参考までに、英版を以下に仮訳しておく。 堤不夾貴 堤不夾貴(つつみ ふさき、1890年(明治23年)3月3日-1959年(昭和34年)7月21日)は、第二次世界大戦時の日陸軍中将である[1]。

  • 「桜を見る会」開催要領 | 平成24年2月28日(火)午前 | 平成24年 | 官房長官記者会見 | 記者会見 | 首相官邸ホームページ

    過去の官邸ホームページ上で公開していたコンテンツは、国立国会図書館の「インターネット資料収集保存事業(WARP)」ホームページでご紹介します。過去のコンテンツは下記のリンクからもご覧いただけます。 ※掲載されている情報は収集当時のものであり、表示崩れやリンク切れが発生している場合があります。ご注意ください。 内閣総理大臣 アーカイブ

    「桜を見る会」開催要領 | 平成24年2月28日(火)午前 | 平成24年 | 官房長官記者会見 | 記者会見 | 首相官邸ホームページ
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    ume-y 2019/05/03
    終戦70年の内閣総理大臣談話
  • スリランカ連続テロは新しい時代のテロだろうか?: 極東ブログ

    スリランカで大規模なテロの一報があったとき、まず思ったのは、奇妙なある矛盾した思いだった。矛盾というのは、2つの方向がある。一つは、スリランカの近年の歴史を振り返ると大規模な内戦があり、その余波が連想されることだ。しかし狙われたのは、キリスト教会でありまた欧風の高級ホテルであった。内戦の延長の文脈は自然には考えにくい。もう一つは、もし、その爆破テロの手口から自爆テロであるなら、死を賭してもかまわない狂信が背景にあるはずだ……とすれば、そうした狂信を持つことができるのは、過激なイスラム教だろうか……という矛盾した思いである。そして、それがイスラム教だろうかという疑問が浮かんだところで私は思考を止めた。自分の心なかでイスラム教に対する差別意識のようなものがないだろうかと不安になったのである。 報道を追ってみた。恐らく日のメディアは被害者に邦人が含まれるか、外務省がどのような対応するかというこ

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    ume-y 2019/04/24
    『夕凪の街 桜の国』に「私たちは誰かから死んでもいいと思われたのだ」(だったかな)とあったのを思い出す。
  • イラクの紛争地域で撮られたとある「GoPro動画」がYouTubeで話題に、その理由とは【やじうまWatch】

    イラクの紛争地域で撮られたとある「GoPro動画」がYouTubeで話題に、その理由とは【やじうまWatch】
    ume-y
    ume-y 2017/05/19
    「GoProが無ければ即死だった」
  • 原爆投下「正しい」「誤り」米英で対照的に | NHKニュース

    アメリカによる広島と長崎への原爆投下が正しい決定だったのかどうかを問う世論調査を行ったところ、アメリカでは「正しい決定だった」と答えた人が多かった一方、イギリスでは「誤った決定だった」と答えた人のほうが多く、対照的なものとなりました。 それによりますと、2000人余りが回答したアメリカでは、45%の人が「正しい決定だった」と答え、「誤った決定だった」という答えの25%を上回りました。 これに対し、イギリスでは、回答した1600人余りのうち、「誤った決定だった」と答えた人が41%と、「正しい決定だった」と答えた28%を上回り、原爆投下の決定に対するアメリカとイギリス両国市民の考え方は対照的なものとなりました。 ただイギリスでも65歳以上の世代では、原爆投下について「正しい決定だった」と答えた人のほうが多く、半数近くに上りました。 一方、アメリカ、イギリスとも、核兵器が開発されたことを「好まし

  • Webサービスで日米海軍の戦闘詳報にアクセスする

    戦闘部隊の当事者が作成した硝煙香る戦闘報告書がWebページで見放題 2015年は太平洋戦争が終わって70年。ということで、この夏は戦争に関連した特集記事や特集番組が新聞雑誌テレビで連日掲載、または、放送している。終戦70周年という“節目”に加えて、このところ政治的な事情もあってか、マスコミ、SNSを含めて戦争が話題になることが多い。 太平洋戦争が話題になるとき、戦中戦後の悲惨な体験を紹介する場合が多いが、作戦的なことを紹介する機会は少ない。ただ、Webブラウザゲーム「艦隊これくしょん」などの“ミリタリーサブカル”の影響もあってか、“もろもろ”の検証のために軍事的史実に対する興味を持つ人も増えている。兵器のスペック的な資料は、長年にわたって出版されてきた膨大な文献や、その文献をベースにしたWebページ資料で詳しく細かく知ることができる。 一方で、作戦経過に関する資料は、ほぼ公刊戦史といえる「

    Webサービスで日米海軍の戦闘詳報にアクセスする
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    ume-y 2015/08/21
    「ウィキペディアではなく、日米の公式戦闘記録にアクセスしてみようか」
  • 一番大切なものが欠落していた戦後70年談話: 極東ブログ

    予定通り、昨日の14日、安倍晋三首相は戦後70年の談話を発表した(参照)。私も定刻にNHKを付けてみたら、おじゃる丸がやっていていた。首相の代わりにおじゃる丸とは、ああ、日も平和になったものだな、と思った。が、気がついたが、NHKといってもいつも私が見ているそのチャネルだけではなかった。 同時刻ツイッターを覗くと他局でもCMを挟んでやっていたらしい。なかには、センター試験の論述問題よろしくキーワードのチェック項目も掲載していたところがあったようだ。ご冗談でしょう? 戦後70年談話について、安倍首相を攻撃できる部分があるかとワクテカして聞いている人たちもいたようだった。しかし、突発事態でもなければそんなネタが出るはずもないのは、すでに有識者会議「日の役割を構想するための有識者懇談会」の報告書(参照)が出ていて、首相談話もこれに逸脱することがないことからもわかるはずだ。というか、この報告書

    ume-y
    ume-y 2015/08/17
    「戦後とは、講和条約である。日本が戦争をした国と講和条約を結ぶことである。講和条約とは、平和条約である。平和とは、講和の上に成り立つものである」
  • 太平洋戦争で特攻兵器として使われた潜水艇「海龍」が下田沖で見つかる

    静岡県下田市の下田港灯台沖約250メートル、深さ約35メートルの海底で潜水艇「海龍」とみられる船体が見つかったと、海洋調査会社「ウインディーネットワーク」が10日に発表しました。 下田沖海底に沈む「海龍」とみられる船体 「海龍」は旧海軍が太平洋戦争中にアメリカ軍の土上陸を阻止するため開発した2人乗りの潜水艇。2の魚雷が積める構造になっていましたが、物資不足のために魚雷は装備されず、先端に爆薬を積んだ特攻兵器として使われました。 長さ約17メートル、直径約1メートルという特徴や、船体の状況から、座礁した「海龍」である可能性が高いということです。 同社の杉社長は、水中で70年が経過したことを考えれば保存状態は良い、と述べており、今後、引き揚げ可能か検討するとのことです。 画像提供:ウインディーネットワーク (笹原新之介) advertisement 関連記事 英巡洋戦艦フッドの船鐘を回収

    太平洋戦争で特攻兵器として使われた潜水艇「海龍」が下田沖で見つかる
  • 「戦争を知らない子供たち」という曲があったけど………: 極東ブログ

    ツイッターを眺めていて、おやっ?と思うツイートを見かけた。なんというのか、隔世の感というのか、時代は変わるなあと思ったのである。まあ、僕もけっこう年を取ったなということでもある。ちょっとそんな感慨を書いてみたい。 該当のツイートなのだが、そのままベタに引用してもよいのだけど、発言者に特に思い入れはないし、ましてバッシングの意図はさらさらないので、そうした不用意な誤解を避けるという意味で、該当のツイートの内容だけを引用したい。そういう主旨なので引用先のリンクもあえて外しておきますよ。 さて、このツイート、どう思われるだろうか。 「戦争を知らない子供たち」という曲があったけど…戦争を知らずに育つとこういう政治家になるのかと安倍首相やその取巻き政治家を見て思う。戦争を知らなくても想像力があれば…と思っていたところにSEALDsを始めとする若者達が出てきた。想像力に創造力を持った新しい世代に期待す

    ume-y
    ume-y 2015/08/10
    「戦争というものの悲惨さを想像力で知る平和主義よりも、「青空が好きで花びらが好きでいつでも笑顔のすてきな人」であるほうがよいと思ってきたし、そうした人が増えることが平和につながるだろうと思ってきた」
  • 【AFP記者コラム】「イスラム国」の斬首動画が報道機関に突きつけた課題

    イラク北部のキルクーク(Kirkuk)と中部ティクリート(Tikrit)の間の橋に立てられたイスラム教スンニ派(Sunni)過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」の旗(2014年9月11日撮影)。(c)AFP/JM LOPEZ 【9月23日 AFP】シリアやイラク、アフリカでジャーナリストが誘拐、殺害され、イスラム教スンニ派(Sunni)の過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」とその分派によるプロパガンダのためのおぞましい動画が公開されるなか、私たちAFPも編集倫理の原則を再確認する必要に迫られている。 私たちに突き付けられた課題は、報道する義務と、記者たちの安全を担保することのバランスをどう取るか。さらには暴力のプロパガンダに利用されないように、そして犠牲になった人の威厳も守りながら、過激派が公開する写真や動画をどこまで報じるかという問題だ。

    【AFP記者コラム】「イスラム国」の斬首動画が報道機関に突きつけた課題
  • 今朝、なんとなく思ったこと: 極東ブログ

    ブログを10年もやっていて、最初の数年は、8月になると戦争の話題を書いたものだった。だが、数年前から意識的にやめた。もう言いたいことは書いちゃったし、自分の思いのあり方もだいぶ変わったからだ。 これを言うと批判されるだろうと思うけど、率直に言うと、もう戦争のことは忘れたほうがいいんじゃないか、と考えるようになった。 もちろん、戦争の史実を忘却せよというのではない。それは明確に反対。だけど、日の敗戦からもう長い年月が経ち、世代が代わり、戦争の直接経験者も亡くなっていくのだから、若い世代は、戦争を民族の加害・被害という観点から見るのは、減らしてもいいだろうということだ。もう少し言うと、これからは民族が互いに赦し合えるほうがいい。数年前から、そんな思いで8月を迎えるようになった。 そんな8月の日、昨日のことだが、「花アン」を見てたら、明日は放映が遅れますというアナウンスがあって、そうか、8月6

  • 朝日新聞による慰安婦強制連行証言記事の一部取り消し、雑感: 極東ブログ

    なぜ今日なのかという疑問がふんわりと心に残ったままだが、いずれにせよ今日付けで、朝日新聞が、過去の同紙の慰安婦強制連行証言記事の一部取り消しを発表した(参照)。具体的には、吉田清治証言を報道機関として明確に虚偽だとした。 ■読者のみなさまへ 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。 この発表に触れたとき、私は意外な感じがした。意外というのは、吉田清治証言に信憑性がないことは、今回の取り消し発表の関連記事にも言及があるが、すでに1993年の時点で吉見義明・中央大教授などから指摘されていた。そこで私は、1990年代に朝日新聞では事実上、吉田清治証言に関連した記事は取り消されて

    朝日新聞による慰安婦強制連行証言記事の一部取り消し、雑感: 極東ブログ
  • 「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタル

    〈疑問〉日の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。 90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。 92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言

    「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタル
    ume-y
    ume-y 2014/08/05
    「 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」
  • スレブレニツァ虐殺での300人の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた: 極東ブログ

    スレブレニツァ虐殺での300人分の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた。ZDFのニュースで見かけた話題である。これは、日にとっても大きな意味をもつなあという印象を持った。だが同時に、日国内では、案外話題になっていないかもしれないと思い、ざっと調べたら、NHKとAFPが扱っていた。 NHK「蘭裁判所 ボスニア虐殺の責任認める」(参照)から引用しておく。 ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦中の1995年に、8000人以上の住民が殺害された大量虐殺を巡り、オランダの裁判所は「当時国連の平和維持部隊として駐留していたオランダ軍が一部の住民を保護していれば生き残ったと考えられる」として、オランダ政府の責任を認める判決を言い渡しました。 これは、内戦が続いていた1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァで、イスラム系の住民ら8000人以上がセルビア人勢力に虐殺されたことについて遺族らが

  • 原爆:投下の日「煙幕」…八幡製鉄所の元従業員が証言 - 毎日新聞