元・乃木坂46の高山一実が雑誌「ダ・ヴィンチ」で連載した長編小説『トラペジウム』。現役アイドルが綴った「アイドルを目指す少女の青春物語」が、『ぼっち・ざ・ろっく!』『SPY×FAMILY』などを手掛けるスタジオ・CloverWorksによってアニメ映画化を果たした。
元・乃木坂46の高山一実が雑誌「ダ・ヴィンチ」で連載した長編小説『トラペジウム』。現役アイドルが綴った「アイドルを目指す少女の青春物語」が、『ぼっち・ざ・ろっく!』『SPY×FAMILY』などを手掛けるスタジオ・CloverWorksによってアニメ映画化を果たした。
『千と千尋の神隠し』で一番要となるシーンは、ラスト間際、主人公・千尋が、湯屋“油屋”のある世界からトンネルを通って帰っていく場面だ。このシーンの見せ方が、『千と千尋』という作品の持つ意味合いを決定づけているといってもいい。 『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)は2001年公開。興行収入316億8,000万円(当時の日本歴代興行収入第1位)を記録した大ヒット作というだけでなく、第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞、第75回アカデミー賞でアカデミー長編アニメ映画賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けた作品である。 物語は10歳の少女・荻野千尋が、引っ越しの途中で怪しい町へと迷い込んでしまうところから始まる。そこにあったのは神々が通う湯屋“油屋”。両親が豚になってしまった千尋は、湯屋の主である湯婆婆に名前を奪われ、千(せん)として湯屋で働くことになる。 千はそこで、湯屋で働く謎の少年ハク、お客の
アニメ評論家・藤津亮太が会田誠の「戦争画」に見出したもの。なぜ『アニメと戦争』の装丁は「戦争画RETURNS」になったのか3月2日に発売されたアニメ評論家・藤津亮太の著書『アニメと戦争』(日本評論社)。アニメに登場する様々な戦争の系譜をたどり、社会との関係を問い直す同書の装丁には会田誠《ザク(戦争画RETURNS 番外編)》(2005)が選ばれている。なぜ、会田誠の「戦争画」が同書に必要だったのか、その理由を藤津が綴る。 文=藤津亮太 藤津亮太『アニメと戦争』(日本評論社) 2月末に『アニメと戦争』(日本評論社)を上梓した。戦中から21世紀に至るまで、架空・現実を問わず「戦争」を取り扱ったアニメを取り上げ、そのアプローチの変遷を俯瞰した内容だ。 アニメについて語る書籍のカバーをどうするかはいつも難しい。特定の作品の図版を借りる方法はあるが、費用の問題もあるし、複数作品を扱っている本の場合は
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MAEJIMA Satoshi @MAEZIMAS ジャンルがきちんと自前で評論家を育ててほしいと思うのは、そうでないと、どうしても他ジャンルの評論家が、自分のところの視点から見た歴史を語り(その意図はなくても、どうしても)「歴史的植民地化」(という言い方が正しいのかわからないが)が行われてしまうからである……。 2020-09-21 14:12:57 MAEJIMA Satoshi @MAEZIMAS 中津さんの一連のツイートとか、間違っているわけではないが、一方で、ある主の典型的な「SF者から見たライトノベル史」だと思う。ライトノベルの内側からなら、別の歴史を書くことはもちろん可能だし、そうした複数の歴史観があって、摺り合わせが行われるのが一番だと思う twitter.com/nakatsu_s/stat… 2020-09-21 14:16:21 中津宗一郎 @nakatsu_s 《サ
日本のアニメーションは多様化と細分化が進み、国内のファンでも全体像や作品の構造が見渡しにくくなっている。海外でも本来の価値が十分伝わっているとは言えない状況だ。そうした現状において、アニメの表現や文化を豊かにするための「共通の理解」の場を作るーー。それが「評論」の役割の一つと言えるだろう。 商業・個人を問わず、多くの書き手による多種多様な評論が共有され、豊かな作品が生まれるための空間を成立させるにはどうすれば良いのか? この答えを探るべく、『ぼくらがアニメを見る理由』などの著作があり、アニメ評論の第一線で活躍する藤津亮太氏との対談を行った。 アニメ評論は「無い」のではなく、そう見えるだけ藤津(以下、藤):まず「アニメの評論が少ない」と言われるわけですが、何と比べているのか、ということが気になります。恐らくなんですが、映画とか小説となんですよね。 まつもと(以下、松):わたしの認識もそれに近
※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています アニメ関連の記事を眺めていると、新作情報やクリエイターインタビュー、メイキングなどはちまたにあふれているのに、「評論やレビューはあまり見かけない気がする」――そう疑問に思ったことはないだろうか。 SNSでは感想ツイートが日々飛び交い、配信全盛となった現在でも放送時刻の前後にはTwitterトレンドがアニメ関連ワードに染まるのも珍しくない。作品を自分とは違う(あるいは同じ)角度で論じた情報へのニーズは確かに存在するのに、なぜ評論記事は「少ない」のだろうか? そんな疑問を解消すべく、ねとらぼでは3月21日に「なぜ商業媒体で“アニメ批評”は難しいのか?」をテーマにした特集記事を掲載。メディア各社へのアンケートを実施し、回答のあった5媒体の意見を紹介した。ところが意外にも、各編集部からはいずれも(温度感の違いはあるものの)「作りにくい実感は
細田守と新海誠は、“国民的作家”として対照的な方向へ 2010年代のアニメ映画を振り返る評論家座談会【前編】 年が明け2020年に突入。同時に2010年代という時代も終わりを迎えた。リアルサウンド映画部では、この10年間のアニメーション映画を振り返るために、レギュラー執筆陣より、アニメ評論家の藤津亮太氏、映画ライターの杉本穂高氏、批評家・跡見学園女子大学文学部専任講師の渡邉大輔氏を迎えて、座談会を開催。 前編では、細田守や新海誠など、今や国民的作家となったアニメーション監督に注目。なお、後日公開予定の後編では、「ポスト宮崎駿」をめぐる議論の変容や女性作家の躍進、SNSとアニメーションの関係性について語り合っている。(編集部) 最初の地殻変動は2012年 ーー2014年に『アナと雪の女王』と2016年に『君の名は。』と、2010年代に入ってから、興行収入が200億を超える作品が出てくるように
これは異議ありですね。野球部の女子マネージャー企画にテレビ局が「南ちゃんを探せ」と名付けたあたりから「浅倉南=女子マネージャー」というイメージが定着した気がしますが、『タッチ』を最終巻まで読むと実は南ちゃんは自分の体操選手権に優先出場して達也の甲子園は客席に応援にすら行っていない https://t.co/zc7Zlg2yL2 — CDB (@C4Dbeginner) November 26, 2019 一応言っておくと、元ツイのにゃにゃこさんは僕と以前から相互フォローの方で(まあ相互フォローったって4万人くらいいるのだが)特に僕としては「フェミの表現規制だ!」とか「ヴォルテールいわく」とか「それはどういう意味でしょうか?(メガネピコピコ)」とかそういう話をしたかったのではなく、「そういえばタッチの南ちゃんって昔からなぜか人によってイメージがバラバラだよね」という話を軽くしたつもりが、これ
「アニメを言葉でつかまえる」。 アニメ評論家の藤津亮太氏はそんな課題に挑み続けている。2010年代のその実践をまとめた『ぼくらがアニメを見る理由ーー2010年代アニメ時評』が8月24日に刊行されて以来、好評だ。発売2週間で重版が決定、今年の話題作『天気の子』や『プロメア』『海獣の子供』などもさっそく収録されており、『魔法少女まどか☆マギカ』などの2010年代初期の話題作から、海外アニメーションについてまで網羅的に語り尽くしている。国際的にも注目される日本のアニメだが、アニメを主戦場にした評論家は実写映画に比べて圧倒的に少ない。長年一貫した姿勢でアニメを批評し続けてきた氏の言葉の集積は、現代の日本アニメを理解する上でのヒントに満ちている。 そんな藤津氏に改めてアニメを評論することの難しさや楽しさ、自身の評論のスタイルについて話を聞いた。(杉本穂高) アニメが心を震わせる秘密を書くのが仕事 ―
CULTURE | 2018/07/26 この夏必見!『未来のミライ』【連載】添野知生の新作映画を見て考えた(1) ©2018 スタジオ地図 『未来のミライ』はまちがいなくこの夏の話題作のひとつであり、今この瞬間にも多くの人... ©2018 スタジオ地図 『未来のミライ』はまちがいなくこの夏の話題作のひとつであり、今この瞬間にも多くの人が期待を胸に劇場を訪れていることだろう。 監督の細田守は、日本において、オリジナルの長篇アニメーション映画で勝負できる数少ない映画作家であり、この12年間、きっちり3年ごとに新作を世に問い続けてきた。オリジナルの、というのは、マンガや小説などの原作に依らない、既存のシリーズや映画の続篇でもない、という意味だが、実のところ、実写であれアニメーションであれ、オリジナル企画にこだわって映画を作り続けることは、世界的に見ても、どんどん難しくなっている。 添野知生(
町山智浩は〈今世紀最初の映画評論家〉である。 2002年に最初の映画評論集──本書の前作にあたる『〈映画の見方〉がわかる本─『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで』(洋泉社)を上梓し、このとき初めて町山さんは映画評論家を名乗った。映画について書く映画ライターは大量に輩出されても、映画評論家を新たに名乗る者など皆無だった時期に、である。そこにはどんな意味があるのだろうか。 映画評論家なんて誰でもなれると言われる。実際、おすぎさんは『映画芸術』(1996年秋号)の映画批評特集で「映画評論家になりたかったら、自分で名乗ればいい」と言われて名乗るようになったと明かしている。しかし、続けて「評論とか批評とか言うにはおこがましい仕事ばかりしているように思えます」と省みて、だから自身を「劇場勧誘員」と称しているのだと語る。〈映画評論家〉を名乗ることへの畏れは、過去の優れた映画評論を読んでいなけれ
映画評論・入門! (映画秘宝セレクション) 作者: モルモット吉田 出版社/メーカー: 洋泉社 発売日: 2017/05/09 メディア: 単行本(ソフトカバー) この商品を含むブログ (2件) を見る 目次 映画の感想を書きたい人にお勧め 映画の感想は何を書けばいいのか 自分にしか書けない差別化されたものにする 書くためにしっかり準備をする 映画評論の目指すもの 取り上げられた映画を見たくなった まとめ 映画の感想を書きたい人にお勧め 映画の感想を書こうと思っても、思うように書けない。そんな経験はありませんか? 私はよくあります。 映画を見てその感想をブログ記事にしようとしても、何をどう書いていいか分からなくて書かずじまいのことがよくあります。それに、ようやくウンウン唸ってブログを書いても、なかなか注目されない・・・情けなくなってしまいます。 そんなとき、JR市川駅ショッピングセンターの
表現の自由から批判の自由が話題になる時、よく『エスパー魔美』から引用される頁がある。「くたばれ評論家」で、主人公と父親が会話する場面だ*1。 公表した表現が批判されることを覚悟すべきこと。批判することも反発しかえすことも自由であること。 そうした表現の自由にまつわる主張が、表現者である父親の人格とともに描かれ、この頁だけでも普遍性をもっている。 しかし、この頁だけがひとりあるきしていることは残念だ*2。 物語が知られていないのはしかたないとしても、書かれていない主張が読みとられることまでいいとは思えない。描かれているのは絵画への批判なのに、政府や司法への抗議と同一視する主張すらある。 誰が靖国に英霊を公表したのか - 法華狼の日記 そのように批判を自由にさせることと抗議を放置することを混同してしまえば、とるべき責任まで消されてしまう。 まず、父親は「おしまい!!」といっているが、批判を単純
(コメ欄等の指摘で「アダルトチルドレン」という単語について完全な勘違いの元に盛大に誤用していたことを教えて頂いたので訂正しました) どうも。ブログでは久方ぶりのあでのいです。ドラゴンボールで何編が一番好きか聞かれたらノータイムでブウ編と即答するあでのいです。 そうブウ編なんですよ。最終章ですよ。ブウ編も好き、ではありません。ブウ編「が」一番好きです。 「○○編で終わってれば名作だった」と言われがちなジャンプ長期連載漫画で最終章を一番好きになってしまうとなかなか肩身が狭い思いをするものですが、ドラゴンボールなんてのはその最たる例の1つでしょう。 日々そんな肩身の狭い思いをしている私ですが、先日こんなニュース記事を見かけましてね。 ついにトリシマ編集長が認めた!「ドラゴンボールはフリーザ編で終わるべきだった」 何たることかと。怒髪天を衝くとはこのことかと。 件の番組そのものに関しては実際に見た
2013年11月23日18:09 カテゴリ 『かぐや姫の物語』に震撼する理由 某雑誌のために書いたコラムですが、長すぎるのと、分量に対して内容が不適切ということで没になりましたので、『かぐや姫の物語』公開記念ということでこちらに置かせていただきますね。 (タイトル) 『かぐや姫の物語』に震撼する理由 (本文) 9月から早稲田エクステンションセンターというカルチャーセンターで『アニメ史―再入門―』という講座を連続5回行った。この講座は、ヒット作中心に語られがちなアニメの歴史を、「迫真性」の発展という観点で追い直すというコンセプトだったのだが、この講座の最終回で高畑勲監督の最新作『かぐや姫の物語』に触れた。まだ公開前だったが、アニメの歴史という観点からして、触れないわけにはいかない恐るべき作品だったからだ。 『かぐや姫の物語』のキャラクターは、ラフなタッチの線に水彩画調の塗りという、通常のアニ
(はてブが理由は分かりませんが分離してしまいました http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/gryphon/20080822%23p3 がメイン ) 【書評十番勝負】 ひさびさに「書評十番勝負」に挑もう。 「バクマン。」≒「まんが道」+「サルまん」+???・・・・ まず「バクマン」。まだ連載一回目で、話が始まったばかりなのだが、漫画家としての成功を目指す二人の若者の青春譜、そしてそれを狂言回しとして漫画界のバックステージに辛辣な批評をし、光と影を読者に教える−という点では、当然ふたつの先行作品が頭に浮かぶ。 まんが道 (1) (中公文庫―コミック版) 作者: 藤子不二雄A出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 1996/06/18メディア: 文庫購入: 7人 クリック: 115回この商品を含むブログ (83件) を見るサルまん 上―サルでも描
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