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慰安婦に関するs_atom11のブックマーク (3)

  • ●ゴジラ映画の監督本多猪四郎元軍曹の武昌慰安所の証言(1) | 旧満州への朝鮮人「慰安婦」連行資料集

    武昌慰安所の管理を担当していた多猪四郎元軍曹 多猪四郎(1911 – 1993)はゴジラ(1954)や、空の大怪獣ラドン(1956)などの、東宝特撮映画の監督として有名である。特撮映画の監督としての多については、最近、切通理作氏と小林淳氏の詳細なが出て、再評価が進んでいるが、彼には足掛け8年の軍隊経験があり、1940年から1941年まで、中支の武昌で慰安所の管理を担当していたことがあると言う。 武昌の慰安所時代のエピソードは、切通氏と小林氏のの中にも引用されているのだが、もともとの出所は、「映画芸術(1966年6月号)」に掲載された多の文章である。今回は実際に雑誌にあたって記事を書こうと思っていたのだが、「映画芸術」は近隣の図書館で一部見られるものの、肝心の号が所蔵されていない。実際に現物をあたって内容を確認するのは後回しにして、今回はこちらのブログから内容紹介の部分を転載させ

    ●ゴジラ映画の監督本多猪四郎元軍曹の武昌慰安所の証言(1) | 旧満州への朝鮮人「慰安婦」連行資料集
    s_atom11
    s_atom11 2018/10/12
    強制連行は無かった派のゴジラは反日まであと何マイルかな
  • クマラスワミ報告書について

    軍性奴隷制(慰安婦問題)に関するラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告書」(1996年4月の国連人権委員会において全会一致で採択)について議論が続いている。 このところヘイト・スピーチ問題で多忙なため、この件についてあまり発言できなかったが、NGOの一員として国連人権委員会でのロビー活動に加わり、クマラスワミ報告書が会場を揺るがす盛大な拍手で採択された現場に立ち会い、その後、報告書を翻訳出版した責任者として、いくつかの事実を紹介しておきたい。 *ラディカ・クマラスワミ『女性に対する暴力』(明石書店、2000年)(ただし、日軍性奴隷制に関する部分は、日戦争責任資料センター訳と日弁連訳が出ていたので、了解を得て、それを基に若干補正したものを収録した) 昨日、岸田外相が衆議院で、クマラスワミ報告書に対する日政府反論書の公開を検討すると述べたと言う。朝日新聞11月16日付4面

    s_atom11
    s_atom11 2014/10/17
    世界よ、これが『恥の上塗り』だ!
  • 李容洙氏証言を否定する根拠は年齢のみ - 誰かの妄想・はてなブログ版

    歴史修正主義者や極右、嫌韓レイシストなどの慰安婦問題否定論者によって「嘘つき」などと誹謗中傷している元従軍慰安婦・李容洙氏証言ですが、誹謗中傷の根拠としているのは基的に、連行された際の年齢を正確に覚えていなかった、というただそれだけです。 李容洙氏は1928年12月13日生まれです*1。この日付が旧暦か新暦か不明ですが、旧暦12月13日であれば新暦1929年1月24日となります*2。 従って、李容洙氏が強制連行された1944年秋の時点での年齢は以下のようになります。 誕生日 1944年秋時点の数え年 1944年秋時点の満年齢 新暦1928年12月13日 17歳 15歳 旧暦1928年12月13日 16歳 15歳*3 つまり、誕生日である1928年12月13日が新暦か旧暦か、数え年か満年齢か、で強制連行当時の年齢は15歳〜17歳の幅を持つわけです。 さらに新暦1928年12月13日誕生日の

    李容洙氏証言を否定する根拠は年齢のみ - 誰かの妄想・はてなブログ版
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