漫画家の松本零士が亡くなった。今回は“松本アニメ”のあり方について考えてみたい。 1977年から1984年いっぱいまで続いたアニメブームを振り返ると、映画『宇宙戦艦ヤマト』(1977)→『機動戦士ガンダム』(1979)→『超時空要塞マクロス』(1984)という流れで取り上げられることが多いが、この流れと並行して2つの潮流があり、ひとつが松本零士が原作・関与した“松本アニメ”の流れだった。ちなみにもうひとつは団塊ジュニアを中心に盛り上がった、『ドラえもん』(1979)を皮切りとする“藤子アニメ”の流れだった。 当時、“松本アニメ”がどれだけハイペースでリリースされていたのかを確認してみよう。 1977年 『宇宙戦艦ヤマト』(映画)、『惑星ロボ ダンガードA』 1978年 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(映画)、『宇宙戦艦ヤマト2』、『SF西遊記スタージンガー』、『宇宙海賊キャプテンハ
アニメ評論家・藤津亮太が2022年のアニメ映画を振り返る。キーワードは「大波のような映画」と「石のような映画」。激しいアクション、キャラクターの感情といった魅力の横溢する「大波のような映画」が趨勢であるように見えるが、確実に「石のような映画」が増えつつある。たとえば『かがみの孤城』のような……。進化しつづけるアニメ表現を考察。 期待されている「大波のような映画」 「大波のような映画があり、石のような映画がある。石のような映画をつくったのは、たぶん小津とブレッソンだ。一方、大波のように映画をうねらせるのはスピルバーグだ。セルジオ・レオーネだ。ベルトリッチだ。」 映画評論家の畑中佳樹は著書『夢のあとで映画が始まる』の中でこんなふうに記している。多分に感覚的な言葉ではあるのだけれど、だからこそ実感に訴えてくる部分がある。 2022年のアニメ映画を振り返ると当然ながら「大波のような映画」が注目を集
節目は2012年。この年がどういう年かといえば、細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』があり、庵野秀明総監督の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』があり、長峯達也監督の『ONE PIECE FILM Z』があった――と固有名詞を並べれば、おおよその想像がつくのではないだろうか。 この年、スタジオジブリ作品が不在でありながら、アニメ映画の興行収入合計が初めて400億円を超えたのである。そしてそれ以降、アニメ映画の興行収入は400億円を下回ったことがなく、多い年では600億円を超えることもある。 この背景にシネコンの定着、アニメ映画の制作本数の増加といったビジネス状況の変化があることは間違いないが、それをここで論じるのは止めておこう。 ここでまず目を向けたいのは「スタジオジブリの90年代」「活況の10年代」の間に挟まれたゼロ年代であり、この時期は10年代を担う作り手たち、10年代を牽引するシリーズ
『千と千尋の神隠し』で一番要となるシーンは、ラスト間際、主人公・千尋が、湯屋“油屋”のある世界からトンネルを通って帰っていく場面だ。このシーンの見せ方が、『千と千尋』という作品の持つ意味合いを決定づけているといってもいい。 『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)は2001年公開。興行収入316億8,000万円(当時の日本歴代興行収入第1位)を記録した大ヒット作というだけでなく、第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞、第75回アカデミー賞でアカデミー長編アニメ映画賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けた作品である。 物語は10歳の少女・荻野千尋が、引っ越しの途中で怪しい町へと迷い込んでしまうところから始まる。そこにあったのは神々が通う湯屋“油屋”。両親が豚になってしまった千尋は、湯屋の主である湯婆婆に名前を奪われ、千(せん)として湯屋で働くことになる。 千はそこで、湯屋で働く謎の少年ハク、お客の
1997年に公開された映画『タイタニック』は全世界で約22億ドル(約2400億円)もの興行成績を上げた大ヒット作である。 ©️世界中で大ヒットした映画『タイタニック』。物語のテーマになったタイタニック号の沈没は、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の中にも描かれている ©️getty この『タイタニック』と奇妙な縁がある作品が、1985年に公開されたアニメ映画『銀河鉄道の夜』だ。この縁は“偶然の産物”でしかないのだけれど、そこを意識しながら2つの映画を見ると、それぞれの作品がより立体的に楽しめるようになる。では2つの映画が、どんな縁で結ばれているか順番に紐解いていこう。 1912年4月10日、タイタニック出港の日 全ての始まりは1912年4月10日。豪華客船タイタニック号は、アメリカ・ニューヨークを目指して、イギリスのサウサンプトン港から初航海に出発した。航海は順調に進むかに思えたが、出発して4日後
3月1日に新刊『アニメと戦争』が日本評論社から発売された。本書は、戦中から21世紀までの、現実・架空を問わず戦争を取り扱ったアニメを取り上げ、そのアプローチの変遷を俯瞰した1冊だ。本書第1章の「『ゲゲゲの鬼太郎』という“定点”」は、当連載の「『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズにおける“戦争”の描かれ方の変遷」を加筆・リライトしたもので、本全体の序章的な位置付けを担っている。 今回はこの『アニメと戦争』の「追補」ということで、物量の問題や話題の流れが理由で本書の中に組み込めなかった話題をひとつ取り上げたい。取り上げるのは『今、そこにいる僕』。同作は1999年10月からWOWOWで全13話が放送された作品だ。 平凡な中学生・シュウは、学校の帰り道に不思議な少女、ララ・ルゥと出会う。そこに竜のような奇妙な機械に乗った兵士が現れたかと思うと、シュウは突然見たこともない世界に立っていた。 その世界では、要塞
アニメ評論家・藤津亮太が会田誠の「戦争画」に見出したもの。なぜ『アニメと戦争』の装丁は「戦争画RETURNS」になったのか3月2日に発売されたアニメ評論家・藤津亮太の著書『アニメと戦争』(日本評論社)。アニメに登場する様々な戦争の系譜をたどり、社会との関係を問い直す同書の装丁には会田誠《ザク(戦争画RETURNS 番外編)》(2005)が選ばれている。なぜ、会田誠の「戦争画」が同書に必要だったのか、その理由を藤津が綴る。 文=藤津亮太 藤津亮太『アニメと戦争』(日本評論社) 2月末に『アニメと戦争』(日本評論社)を上梓した。戦中から21世紀に至るまで、架空・現実を問わず「戦争」を取り扱ったアニメを取り上げ、そのアプローチの変遷を俯瞰した内容だ。 アニメについて語る書籍のカバーをどうするかはいつも難しい。特定の作品の図版を借りる方法はあるが、費用の問題もあるし、複数作品を扱っている本の場合は
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日本のアニメーションは多様化と細分化が進み、国内のファンでも全体像や作品の構造が見渡しにくくなっている。海外でも本来の価値が十分伝わっているとは言えない状況だ。そうした現状において、アニメの表現や文化を豊かにするための「共通の理解」の場を作るーー。それが「評論」の役割の一つと言えるだろう。 商業・個人を問わず、多くの書き手による多種多様な評論が共有され、豊かな作品が生まれるための空間を成立させるにはどうすれば良いのか? この答えを探るべく、『ぼくらがアニメを見る理由』などの著作があり、アニメ評論の第一線で活躍する藤津亮太氏との対談を行った。 アニメ評論は「無い」のではなく、そう見えるだけ藤津(以下、藤):まず「アニメの評論が少ない」と言われるわけですが、何と比べているのか、ということが気になります。恐らくなんですが、映画とか小説となんですよね。 まつもと(以下、松):わたしの認識もそれに近
リアルサウンド映画部のレギュラー執筆陣が、年末まで日替わりで発表する2019年の年間ベスト企画。映画、国内ドラマ、海外ドラマ、アニメの4つのカテゴリーに加え、今年輝いた俳優たちも紹介。アニメの場合は2019年に日本で劇場公開された映画、放送・配信されたアニメの作品から、執筆者が独自の観点で10本をセレクト。第13回の選者は、アニメ評論家の藤津亮太。(編集部) もうひとりの自分 ・『えいがのおそ松さん』 ・『HELLO WORLD』 ・『空の青さを知る人よ』 原作の再構築 ・『どろろ』 ・『海獣の子供』 ・『ぼくらの7日間戦争』 オリジナルの挑戦 ・『きみと、波にのれたら』 ・『さらざんまい』 ・『星合の空』 海外 ・『失くした体』 番外 ・NHK連続テレビ小説『なつぞら』 ・BS1スペシャル『ガンダム誕生秘話 完全保存版』 ほかの年間回顧等で取り上げられなかった作品を3つのテーマ別にできる
「アニメを言葉でつかまえる」。 アニメ評論家の藤津亮太氏はそんな課題に挑み続けている。2010年代のその実践をまとめた『ぼくらがアニメを見る理由ーー2010年代アニメ時評』が8月24日に刊行されて以来、好評だ。発売2週間で重版が決定、今年の話題作『天気の子』や『プロメア』『海獣の子供』などもさっそく収録されており、『魔法少女まどか☆マギカ』などの2010年代初期の話題作から、海外アニメーションについてまで網羅的に語り尽くしている。国際的にも注目される日本のアニメだが、アニメを主戦場にした評論家は実写映画に比べて圧倒的に少ない。長年一貫した姿勢でアニメを批評し続けてきた氏の言葉の集積は、現代の日本アニメを理解する上でのヒントに満ちている。 そんな藤津氏に改めてアニメを評論することの難しさや楽しさ、自身の評論のスタイルについて話を聞いた。(杉本穂高) アニメが心を震わせる秘密を書くのが仕事 ―
21世紀はあっさりやってきた。2000年問題が世間をざわつかせもしたが、幸い大事は起きないまま2000年が到来し、2001年を迎えることになった。21世紀は未来の象徴として長らく語られてきたが、到来してみればそれは昨日と地続きの"今日"だった。 イラスト:jimao ▼子どもの中にある、未来という思想 2001年に公開された『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は劇場版第10作。『映画クレヨンしんちゃん』の多くは、少々奇妙な悪役や悪のの組織が登場し、野原一家がの陰謀に巻き込まれるという趣向で展開する。『オトナ帝国』にも「イエスタデイ・ワンスモア」という組織が登場する。 イエスタデイ・ワンスモアは、ようやく訪れた21世紀がかつて夢見られた21世紀ではないことを憂い、大人たちを懐かしい時代(主に昭和30年~40年代)の虜にしてしまおうという組織だ。この作戦の一環として
現在公開中の『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』はアニメ化の20周年記念作品。物語の原点である主人公サトシとピカチュウの出会いと旅立ちを改めて描きなおした内容となっており、ここ10年の劇場版ポケモンの中でも特筆してドラマチックな1作となっている。どうしてこのような作品が生まれたのか。『ポケモン』の置かれた位置を概観することで考えてみたい。 『劇場版ポケモン』はこの10年ほど、新ポケモンの魅力と映画ならではのスペクタクル・シーンを軸に映画を構成してきた。アニメ『ポケモン』のコアな視聴者は(ゲームよりも低く)未就学児から小学校3年生ぐらいまでなので、こうした内容は観客のニーズに十分応えるものだった。2007年の『ディアルガVSパルキアVSダークライ』の興行収入50.2億円を筆頭に、2003年から2011年まで毎年興行収入40億円以上をキープしていた大ヒットシリーズである。 ところが近年
昨年公開された『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』はTVシリーズの序盤をベースに、サトシとピカチュウの絆ができるまでを描いた。それによって『ポケモン』の原点を見つめ直す作品だった。 そして、現在公開中の『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』は、そこを踏まえた上で、老若男女がポケモンとともにそれぞれの課題を乗り越えていく姿を描いた。そこではサトシとピカチュウは、理想的な関係を築いている一種の“象徴”であり、ドラマはサブタイトルの通り「みんなの物語」として出来上がっている。 舞台は、人々が風と共に暮らす街・フウラシティ。フウラシティでは年に1回の風祭りが始まろうとしていた。昔から、祭りの最終日にはルギアが現れ、人々はルギアから恵みの風をもらうという“約束”が続いていた。 このようにポケモンと人間の共存を体現したような街・フラウシティだが、そこには公に語られることのない暗部もあった。
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