トップ 移住・求人 笠岡市の古民家に移住。1年暮らしてわかっ...
たぬき2号さんTOP 旅行記1804冊 クチコミ59件 Q&A回答18件 9,656,214アクセス フォロワー453人 全国には、マイナーともメジャーとも言えない「ディープ」な 地域がいくつかあります。 今回は、通算13年間程過ごしていた大阪のディープな場所をご紹介します。 なお、通常は写真撮影も難しい地区が多く、早朝に散策しています。 それでも、撮影はかなり限定的となっています。ご了承ください。 関西出張のついでに訪れました。 ★ディープな場所シリーズ 釜ヶ崎&飛田新地(大阪) http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10464129/ http://4travel.jp/travelogue/11147308 五条楽園(京都) http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10481833/ http:
広島県東部の福山市は昔の遊郭を起源にする県内屈指の盛り場があると聞いた。福山市の住吉町、松浜町、入船町あたりがそうであると聞いて、ひとまず福山駅前のアーケード商店街を抜けた所まで来た。 立派なアーケード街なのに寂れまくりで残念な感じの本通船町商店街だが福山名物のバラの花を象ったアーケードの看板も錆びまくりでこれまた残念。国道2号はさすがに一桁国道の幹線道路だけあって交通量が非常に多い。 既にアーケードを出た所から怪しい空気が漂い始めている。角のカレーショップ象牙の軒先に置かれた大量の無料風俗雑誌に注目ですよ。地元福山のナイトライフ雑誌「アットイスト」である。隣には同じく福山ローカルの「レボリューション」。 どうやらこの先が福山の本領発揮らしい。これだけ大量に風俗情報雑誌がポスティングされているのだから客の需要はたいそう多いのだろう。しかも二誌もあるんだから。さっきまでの寂れた商店街は何だっ
ヒールのある靴の着用に異議を唱える「#KuToo」を拡散させる運動を行った女性に対し、SNSでひぼう中傷する内容を投稿したとして徳島県の職員が減給の懲戒処分を受けました。 処分を受けたのは県立海部病院の主任を務める37歳の男性職員です。 県によりますと、この職員は道路整備課に勤務していた4年前の令和2年2月、旧ツイッターで、職場や就職活動で女性がヒールのある靴の着用を強制されることに異議を唱え、「#KuToo」をネット上で拡散させた俳優の石川優実さんに対し、名誉毀損や侮辱にあたる内容を投稿したということです。 職員は旧ツイッター上で、「青識亜論」というアカウント名で活動し、石川さんから損害賠償を求める訴えを起こされ、東京地方裁判所から慰謝料など33万円の支払いを命じる判決を言い渡され、去年12月、東京高等裁判所で1審の判決を受け入れることで、和解が成立したということです。 県の聞き取りに対
田中富三郎氏みずから弾除けを経験する 神様に呼ばれた人だけがたどり着けると言われていた、津山市加茂町中原のサムハラ神社奥の宮だが、近年力を与えられるとして多くの人が訪れるようになっている。 写真をご覧いただければわかると思うが「サムハラ」という文字はとても難しく不思議な字だ。パソコンで字を出すことが容易にできない。 そのサムハラ神社、1868(昭和10)年に苫田郡西加茂村(現在は津山市加茂町)で田中富三郎が中に石の祀られた祠を拝んでいたことが起源とされる。 田中氏は加茂地内の小学校に図書館を造ったり、児童に奨学資金を送るなど児童の育成に力を入れた当時の万年筆業界の先駆者であり、その功績は紺綬褒章を受章したほどであった。 その田中氏自ら日清・日露戦争などで戦地に行った時にはサムハラの護符を身に着けていたことから、無事生還。 第二次世界大戦に出征する兵士にお守りを持たせ、そのおかげで救われたり
少子化に伴う学校の統廃合が進んでいる。岡山県内の小中学校は本年度538校で、この10年間で50校余り減った。この春も総社市と美咲町の6校が新しい学校に移行して廃止となる。 廃校を含む真庭市内の小中学校の校歌について、市立図書館が地域おこし協力隊との協働事業として情報を収集、整理、発信している。「真庭校歌研究室」と名付けた活動はユニークだ。 市民に情報提供を呼びかけ、学校の思い出などを聞き取るとともに校歌を歌ってもらう。それを記録し、許諾を得て動画投稿サイト・ユーチューブの市立図書館公式チャンネルで公開している。 33校目となる有隣中学校の校歌が先日、収録された。1949年開校し、70年に落合中学校に統合され閉校となった学校である。跡地のグラウンドに、約30人のかつての生徒と教員が集まり、歌詞の掲示を見ながら歌った=写真。 作曲者でもあり、卒業し60年余になる山本和子さん=同市=と日笠伸子さ
悪しき因習としてネット上で有名な“おじろく・おばさ”について、長野県民が実際に論文を取り寄せて調べてみました。 なぜ調べようとしたのか、その動機や、長野県の地理的特色などをまとめたものが、前回の記事となります。 この記事は最後まで無料で読めます。 1. “おじろく・おばさ”は誇張されているのではないか?1.1. 調べることになった発端ネットロア(インターネットの都市伝説)やオカルト系サイトで有名な「おじろく・おばさ」ですが、それについてのしっかりとした論文があるということから、“実在した忌まわしい因習”として時々ネットにて話題になります。 正直、長野県民として微妙な気持ちでしたが、論文があるのだから本当なのだろうとぼんやり思っていました。しかし、最近その論文自体に疑問を呈する動画を発見しました。 簡単に動画の内容を要約します。 ・「おじろく・おばさ」は1960年代に書かれた2つの論文、①水
JR三江線の最終運行日に江津駅に到着した上り最終列車=島根県江津市で2018年3月31日午後9時54分、根岸愛実撮影 鉄路なき地域はどうなっていくのか。JRや沿線自治体などがローカル線の存廃を話し合う新たな仕組み「再構築協議会」が2023年、国主導で設けられ、各地で赤字路線のさらなる廃止も視野に入る。数年前にローカル線がなくなった沿線を訪ねると、衰退加速への懸念が広がっていた。 「年を取って車が運転できなくなったらどうしよう。病院に行けなくなれば、町を去るしかないのか」 島根県邑南(おおなん)町で生まれ育った笠井英雄さん(73)は日々の交通手段を心配する。 町内を走っていたJR三江(さんこう)線がなくなってすでに6年近く。中学時代は雪のため自転車を使えない冬場、約10キロを列車で通学した。広島県内の高校を卒業後、大学進学を機に移り住んだ大阪で会社員生活を送り、実家の農業を継ぐため16年ごろ
2024年01月27日16:10 カテゴリ デキ12図鑑(3) No.13 ● No.13 形態:一般型・キャブ窓2枚 草軽デビュー:1924 (大正13) 年 部分廃止後の残存:あり 写真のレア度:☆☆☆☆☆ ※ 部分廃止以前が基準 No.13 牽引の下り草津温泉行き混合列車 北軽井沢 撮影:黒岩 謙(提供:北軽井沢観光協会) 1924 (大正13) 年の電化に際して用意された6台のうちの1両。 1960(昭和35)年の部分廃止後も生き残り、全線廃止の際の最終お別れ列車を牽引、またその後軽井沢町で保存され、今や草軽に存在した唯一の現存車両になっています。 また、下記の記事はこのNo.13のものがたりです。あらかじめ目を通して頂ければ、この機関車に対するイメージも変わると思いますし、現在JR軽井沢駅前に保存されている同機に対する感慨も一層深くなると思います。ぜひ
最初に言っておくと、僕は山奥ニートを辞めますが、山奥のシェアハウス共生舎は引き継いでもらって残ります。 現在、住人募集中ですので、まずは見学にどうぞ。 *** 時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 このたび、葉梨はじめこと石井あらたは2024年2月1日をもちまして、山奥ニートを辞めることとなりました。 このブログやツイッターを見てくださった方、『山奥ニートやってます』を読んでくださった方、ほしいものリストを買ってくださった方、共生舎を訪れてくれた方、みなさんには大変お世話になりました。 僕が山奥に来たのは2014年ですので、ちょうど10年山奥ニートをやっていたことになります。 急に山奥ニートを辞めると聞いて、驚かれた方が多いと思います。 こんな日がいつか来るような気がしていたような、この山奥に骨を埋めるつもりだったような。 「なぜ?」と訝しむ方もいらっしゃるかと思いますので、簡単
第一目標達成の御礼 モハ103のさらなる未来に向けて、ネクストゴールに挑戦します! 1月15日に開始しました本プロジェクト「100歳を迎える奇跡の木造単車、モハ103を未来へ|山形交通三山線」は、おかげ様で2月16日目標金額に掲げる850万円を達成いたしました。ご支援いただいた皆様には、この場を借りて改めて心からの御礼を申し上げます。 東北の小さな町でポツンと佇み、今まさに朽ちようとしているモハ103のことを、どれぐらいの方が心配してくださるのだろうという大きな不安の中での挑戦でした。しかしながら山形県内だけでなく、全国から温かいご支援と応援メッセージを頂戴することができたこと、保存会メンバー一同感謝の念に堪えません。 皆様からいただいたご支援によって、「モハ103」の命を未来に繋ぐことができます。歪んでしまった車体の修繕や歪みから割れてしまった窓ガラスの入れ替え、車体外装の塗装などに充
斎藤環 対談集『臨床のフリコラージュ——心の支援の現在地』青土社 @pentaxxx 精神科医。被災期間限定で参入しています。リプライ、メンション、DMは読んでいますが反応はしないと思います。あしからず。 bit.ly/2vZ9q6E 斎藤環 対談集『臨床のフリコラージュ——心の支援の現在地』青土社 @pentaxxx 東日本大震災の経験から学んだのは、多くの人が「その土地を離れたら、自分が自分でいられなくなる」という感情を共有していることだった。それは人間存在の根幹にかかわる感情で、ときに生命よりも優先される。彼らに「危険な土地を捨てて移住せよ」と勧めることが、いかに残酷な提案でありうるか。 2024-01-10 18:23:47
1月1日に発生した能登半島地震は、今のところ200名を超える死者を出している。 今回の地震は、能登半島においては数千年に1度の規模と言われている。 その1度が2024年1月1日だったのだから、これは不運としか言いようがない。 平地には大きな段差・隆起・陥没が生じ、港は海底隆起によって海岸線が海へ伸びたことで使えなくなる。 被災者が「もうここには住めない」と嘆くのも当然である。 ところで今回の大地震の特徴の一つと言えば、能登半島というのが日本有数の高齢化率(65歳以上の率)が高い地域だった、ということだろう。 被害の酷かった珠洲市などは、市全体で高齢化率51%。 集落や地域ごとに見れば、高齢化率70%台というのも珍しくないらしい。 日本は既に「超高齢化社会」(高齢化率21%超)に入っているのは誰でも知っているが、それが70%とかになると、私としては「重度高齢化社会」とでも呼びたいところだ。
JBpressで掲載した人気記事から、もう一度読みたい記事を選びました。(初出:2023年5月4日)※内容は掲載当時のものです。 赤字ローカル線の存廃をめぐる動きが加速している。4月21日には、国会で改正地域公共交通活性化再生法が成立。今後進展する国・沿線自治体・鉄道事業者による再編協議の末に、廃線に至る路線が出てくるのは避けられない状況だ。では、実際に廃線を迎えた地域は、その後どうなっていくのか。「人々を駆り立てるロマンが廃線にはある」。そう締めくくられる事例研究のリポートをまとめた、日本政策金融公庫総合研究所の桑本香梨・主席研究員に聞いた。(聞き手:河合達郎、フリーライター) ※参考:『調査月報』(2023年4月号)研究リポート「廃線を町おこしのインフラに ―三つの地域の事例から学ぶ―」 【前編から読む】 ◎ローカル線「廃線後」をどう生かす?危機を好機に変えた地域に学ぶべきこと 【激変
観光庁はコロナ禍で傷んだ観光産業を立て直すため、2020年度第3次補正予算で「負の遺産」である廃屋撤去の支援に乗り出し、これまでに補助金を使って167件の撤去が完了した。 バブル崩壊後にホテルが相次ぎ倒産し、長らく低迷していた長野県・白樺湖でも、景観を損ねていた廃墟状態の大型ホテルが撤去され、滞在型リゾートとして再生の道を歩み始めた。関係者が「一筋縄ではいかない」と声をそろえる道のりを追った。 廃墟探訪コンテンツとして発信される 白樺湖は茅野市と立科町の境界、標高約1400メートルに位置し、夏は避暑地、冬はスキーの旅行客を中心に、コロナ禍前は年間200万人が訪れていた。 だが近年は招かざる客にも悩まされてきたという。検索サイトやYouTubeで「白樺湖」と入力すると、予測変換に「廃墟」が表示される。バブル崩壊後に営業停止したホテルや民宿が放置され、YouTuberやブロガーが現地を訪れては
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