タグ

仏教と戦争に関するryussoのブックマーク (4)

  • 幸福も不幸も自分が決める/戦争と仏教 - Theravada Online ゴータミー精舎日記

    A.スマナサーラ長老の法話(説法)をポッドキャスト配信中。 [RSS feed]※このリンクをiTunesなどにドラッグして下さい。 現代の諸問題にブッダの智慧で答えます。 提供: 日テーラワーダ仏教協会 2008年10月25日ゴータミー精舎で開催されたスマナサーラ長老「ヴィパッサナー瞑想と法話の会」初心者の方との質疑応答より。 幸福も不幸も自分が決める Q 仕事をしていて過去のことを思い出したり、嫌なこと、失敗を思い出したり、将来を心配してしまったりして、目の前の仕事に集中できないことがあります。どうすれば、いまに集中できるでしょうか? A 瞑想で最初に解決するのはそういう問題です。瞑想実践で悪い癖を直せば、ほとんど、人間にとっての問題は解決すると思います。私たちは自分の運命のことを、自分で考えているのです。別にどこかの誰も自分の運命、幸福、将来性、誰も管理しているわけではない。自分で

    ryusso
    ryusso 2010/06/02
    >>鉄砲よりは精神の方が強いんですけど。
  • 原始仏典に学び朝鮮戦争に学ぶ - 社説:中外日報

  • 武田邦彦 (中部大学): 普天間問題に関する私の見解

    60年前の戦争で、沖縄の多くの人が犠牲になった。それはもっぱら、沖縄が日列島の南にあるという地理的関係だったが、事実として沖縄が被害を受けた。 もちろん、沖縄が被害を受けて良いということではない。そうなってしまったという事実があると言うことだ。なんでも事実からスタートしなければ話はこじれる。 一番、南にあるということは、それ自体でなかなか難しいことだ。 戦争に負けて日が占領された後、しばらくして日土は独立したが、沖縄はアメリカが占領していた。 北方では、南千島がいまだにロシアに占領されていると同じように、戦争に敗れると領土は狭くなる。人間の歴史が始まって以来、戦争に勝てば領土を取り、戦争に負ければ領土を取られる。それも仕方がない。 これほど発展した人間だが、まだ「力(暴力)」以外に正義がないのだから、戦争が全てなのだ。 そして暴力が発揮される場合、取られたり取ったりする領土は、その

    ryusso
    ryusso 2010/02/07
    これほど発展した人間だが、まだ「力(暴力)」以外に正義がないのだから、戦争が全てなのだ=世間の正義
  • Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 禅と戦争: 禅仏教は戦争に協力したか

    勇気あるだと思う。 戦前、戦時下の日において、禅界に指導的な影響力をもっていた著名な禅者たちが、いかにして軍国主義に加担するような言説を生み出していったかを厖大な資料にあたって丹念に論証している。禅者である著者の態度は、その点で、とても真摯だ。 日の倫理思想、特に仏教の倫理思想について、それが歴史的にどのような問題をはらんでいたのかを考えさせるである。 星3つとしたのは、アメリカの禅者である著者の、日の禅者たちの戦争責任を追及する厳しい視線の中に「それでは禅とは何か」という問いが浮かんでくる前に書が終わっているからだ。著者は、戦争協力へと向かった日の禅者たちが時流に合わせて教義をねじまげる付和雷同的な態度を告発しているのか、あるいは時流にかかわらず禅の教義そのものが戦争を肯定するものなのかをじゅうぶん明らかにしていない。 「戦争と禅」というテーマで、戦後の日の禅者と著者が対

  • 1