ふたりは2010年に結婚し、子どもが2人生まれた。どちらも目が見えない状態で子育てをするのは、それはそれは大変なはず、と思いきや......。
「障害そのものは、何も特別なことではありません。でもあなたの障害に対する意識について考えることは、あなたを特別な存在にします」 障害に対する意識――。みなさんは、この言葉の意味がわかるだろうか? 実はこれ、2014年12月に32歳で亡くなった、車椅子のジャーナリスト兼コメディアンのステラ・ヤングさんが、常に私たちに問うてきた有名なフレーズである。 ステラさんは生まれた時に、「骨形成不全症」という骨の成長障害であることがわかり、医師からは「1歳まで生きられないかも知れない」と宣告されたという。だが、その後、車椅子で走り回る元気な子にすくすくと育ち、オーストラリアのディーキン大学に進学。メディア論と教育学を学び、高校の教師になった。 亡くなる数年前からは、障害アクティビストとして活躍し、「気の毒な障害者」という従来の概念を打ち破る率直な発言で人気を集めた。ときにシニカルに、ときに非情なまでに冷
神奈川県相模原市で起こったひどい事件について、ようやくその概要を把握しつつある。 第一報は知っていたのだが、続報は追っていなかった。 避けていたと言った方が正確かもしれない。 ツイッターのタイムラインに流れてくる断片的な感想を除けば、ついさきほどまで、私はマスメディアの情報を遮断していた。 理由は、当初の段階での扇情的な伝え方が不快で、事件の詳細にアクセスする気持ちになれなかったからだ。 なので、私は、事件の細部にはあまり詳しくない。概要を正しく把握しているのかについても自信がない。 有り体に言えば、事件発生以来、いくつかのチャンネルから偶然に流入してきた情報と、この原稿を書くために、ついさきほどからニュース検索をした結果たどりついた記事以外には、情報を持っていない。 ただ、正確な情報はつかんでいないものの、事件に誘発されてもやもやと考えていることはいくつかある。 こういう事件が起こると、
「体が不自由だとか、年寄りだからという理由でここに座りなさいって書かれてあっても、誰がそんなとこに座りたいか。この国には幸いにも、年寄りや体の不自由な人に手を差し伸べる文化がある」 って。 日本の社会というのは、体に不自由な人が、誰の手も借りないで椅子に座れるのが便利だって思ってるけど、それって冷たいんじゃないか。何が優しさだろうって思う。いろんな人と社会の中で一緒にいるってことは、難しいですね。ほんとに難しいですよ。誰の手も借りないってことは、誰も助けませんよっていう意味じゃないですかね。 * 次男が生まれるまでの稲川氏は、それまで障害者との出会いがなかったという。あったかもしれないが、意識にとどめることはなかったのだろう。私が取材した障害者は、福祉制度がいまほどない30年以上も前、介助者を自力で集めて自立を果たした人たちだった。 私には子供はいないが、もし障害児が生まれ、にっちもさっち
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