タグ

日本赤軍に関するcha16のブックマーク (3)

  • 【主張】重信房子氏の出所 彼女はヒロインではない

    昭島市内の公園での記者会見を終え、公園を出る重信房子元最高幹部(右から2人目)=28日午前、東京都昭島市(桐原正道撮影) 世界各地でテロ事件を繰り返した「日赤軍」の重信房子元最高幹部が20年の刑期を終え、出所した。いわゆる全共闘世代には郷愁を誘われる存在なのだろう。出所を扱う多くのニュースが「時代の象徴の生還」といった趣で報じた。 だが、彼女は決して時代のヒロインではない。改めて彼女が率いたテロリスト集団による、血塗られた凄惨な歴史を記憶すべきである。 しかも出所に当たって配布した文書には「自分が『テロリスト』と考えたことはありません」「過ちはありつつも、世の中をよりよく変えたいという願い通りに生きてこられたことをありがたいと思っております」とつづっており、真の反省はみられない。 1972年5月30日、テルアビブのロッド国際空港(現ベングリオン国際空港)で共産主義者同盟赤軍派の活動家だっ

    【主張】重信房子氏の出所 彼女はヒロインではない
    cha16
    cha16 2022/05/31
    昨日、テロサーの姫という言葉を知りました。青木理さんとか金平茂紀さんが重信房子の出所を目に涙を浮かべて見守っている様子を見て、あぁ、なるほどと思いました。
  • 日本赤軍の重信房子元最高幹部 20年の刑期を終えて出所 | NHK

    数々の国際テロ事件を起こした日赤軍の重信房子元最高幹部が20年の刑期を終えて出所し「見ず知らずの人たちに被害を与えたことをおわびします」などと述べました。日赤軍については解散を宣言していますが、現在もメンバー7人が逃亡していて警察当局が警戒を続けています。 出所したのは日赤軍の重信房子元最高幹部(76)です。 1974年にオランダで大使館が占拠された事件に関わったとして、殺人未遂などの罪で懲役20年の実刑判決を受けて服役していましたが、刑期を終えて、午前8時前に東京 昭島市にある東日成人矯正医療センターから迎えの車に乗って出ました。施設の前には20人余りの支援者が集まったほか、近くには抗議する団体もみられました。 服役中に4回がんの手術をしたということで、出所後の取材に対して「生きて出てきたなと実感しています。50年前、人質を取るなどして見ず知らずの人たちに被害を与えたことをおわび

    日本赤軍の重信房子元最高幹部 20年の刑期を終えて出所 | NHK
    cha16
    cha16 2022/05/28
    刑期を終えたのなら残りの人生を謳歌して欲しい。
  • 「自分が『テロリスト』と考えたことない」重信元最高幹部の質問回答全文

    赤軍が1974(昭和49)年、オランダ・ハーグの仏大使館を占拠した「ハーグ事件」などで、殺人未遂罪などで服役していた日赤軍の重信房子元最高幹部(76)が28日午前、懲役20年の刑期を終えて出所した。重信元最高幹部は同日、出所にあたり、「再出発にあたって」と題した手記と、メディアから受けた質問に対する回答を発表した。 質問に対する回答の全文は以下の通り。 ◇ 重信房子元幹部がマスコミにあてた「質問について」の写し(松井英幸撮影)質問について 様々なメディアの方々から、直接、あるいは大谷弁護士を通して、いくつもの質問を頂いております。 共通する質問のいくつかについて、大谷弁護士に答えを託します。 --逮捕から21年以上の獄生活から自由の身になって、現在の心境について 「すでに、プレスリリースに記しました通りです。更に言えば、海外での様々な活動の中で喜びも苦労も味わって来ましたので、日

    「自分が『テロリスト』と考えたことない」重信元最高幹部の質問回答全文
    cha16
    cha16 2022/05/28
    「私はテロリストでした。反省しました。すみませんでした。」なんて言われたらむしろビックリして公安が余計に監視してしまうよ。
  • 1