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増田と介護に関するhiruhikoandoのブックマーク (8)

  • 身寄りのない高齢者

    都内の話。私が住む築50年のマンションの向かいの部屋に93歳のおばあちゃんが住んでいる。小学校の先生で、生涯独身。頑固でプライドが高く孤高の人だった。私は彼女には子供のころからかわいがってもらったのだが、他の近隣住民には気を許さず、いわゆる嫌われ者だ。近所では「先生」と呼ばれている。 先生はプライドが高く、下町の住人を下に見ている。教養と生活レベルが違うのだろう。そんな態度で何十年もこの地域で暮らしてきた。おのれの金と生活力で生きていけるうちはさしたる問題はなかった。近隣と騒音やなんかでもめるくらいのものだった。しかし昨年くらいから、足腰も弱くなり、自力で生活するのは難しくなってきた。そうなると先生は知り合いや近所の者に片っ端から電話をかけ、おまえは年寄りの面倒を見るべきだと呼び出し、買い物やらなんやらをいいつけ小遣いを渡していたのだが、そんな生活が成り立つわけはなく、高齢者の公的介護を利

    身寄りのない高齢者
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2023/03/30
    この年代年金だけかと思ったら生保も満期。さらに遺族年金まであるからお金だけはあるんだよなあ…。使えないんで貯まってくるし。
  • 父親の再婚についてのクズな自分

    数年前、私の親が離婚した。原因はよくある不倫であった。それは母親の方であり、聞いた私(当時20を超えていた)には相当なショックであり今なお少しトラウマ気味でさえある。そんな中で今年の年末年始の帰省の際に、父親と夕に行った際に急にこう切り出された。 「実は再婚しようと思っているんだ」 ここで私は母親となのかと思っていたが全く違った。名前を聞くと、それは全く別の女性とであった。そして、歳について父親の年齢より私の年齢から数えた方が近いというでは無いか。青天の霹靂であった。 ただ、私の表面は至って冷静であった。 「へー、そうなんだ」 それだけ返した。肯定も否定もしない。ただし生理的には受け付けない。しかし、人間感情的には肯定できる。だからこその曖昧な返答だった。 そしてそれ以上は父親は何も言ってこなかった。ただ、私の頭の中では直ぐにそろばんが弾かれていた。 まず考えたのは相続のことである。父親

    父親の再婚についてのクズな自分
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2022/01/11
    こういう時は「こういう思考回路にした日本の制度が悪い」ぐらいで良いんじゃないの?相続されるものが借金の場合もあるから良い方向に行ったんだと思う。/まあ介護も相続も現行はクソだよ。
  • 迷子のおばあちゃんをご自宅に送る ※トラバに追記しました

    家の前の道路に、明らかに様子のおかしいおばあちゃんがいた。 身なりはとてもきれいで、小旅行みたいな大荷物。下着類の入った透明のポリ袋を持ってたのだけがちょっと変わった感じだった。 こんにちは、と声をかけてみたら、こんにちは、と返してくれたけど、なんだか不安げにおろおろしている。 どうかされましたか? ときいたら「家に帰ろうと思うのに、わからなくなってしまいました」とはっきりした口調で言って、泣き出してしまった。 詳しく聞いたら、ちかくに団地があって、確かにそこに住んでるんだけど、何棟の何号か全然わからない、どうしても思い出せないと言う。 心細くてしかたないんだろう、それだけ言うととにかくしくしく泣くので、わあ、どうしようと思って、とっさに「大丈夫ですよ、おうちは絶対わかりますよ。おうちがわかるまで一緒にいますからね、必ず送っていきますからね」と言って、ちょっとだけハグした。(同性だからいい

    迷子のおばあちゃんをご自宅に送る ※トラバに追記しました
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2020/01/09
    ただただ、ありがとうありがとう。
  • 介護嫌で死にたくなってくる

    親父が倒れてから20年近くになろうとしてる。 うちの親は昭和時代でいうチンピラだった。ムカついたら人を殴り、家族だろうがおかまいなし。 その短期な性格で暴力・物を壊すなどやりたい放題。 子供の頃は、窓から外に投げ捨てられたこともある。外は砂利道で尖った石とかあって、体中傷だらけになった。 そういう親だったので、我が家の財政事情も借金まみれ。俺がバイトできる年齢になった途端に俺に金をたかるようになった。 クレカが作れるようになってからは、俺のカードを満額まで引き出すような親だ。 そんな親が嫌で実家を20代になってから早々に出ようと計画していたが、俺がいなくなると矛先は他の家族になる。 出るに出られず、毎日のストレスで胃潰瘍になったりしていた。 いつだったか、まだ夏に入る前に家族が「将来があるのにこんな家でごめんね」って謝られた後に一人暮らししなさいと言われた。 出てったら、暴力は一人だけに向

    介護嫌で死にたくなってくる
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2019/06/11
    多分こういう爺ほど悪知恵だけは長けている。家族が共依存状態なうえ福祉・施設がどうやら丸め込まれている印象が強い。逃げた方がいいのだが逃げられない程周辺も埋められている可能性が高い。
  • 介護ってね…

    いつ報われるのかな?と思うことが日々ある。 というのも、現在42歳のオッサンなワシ… 介護を始めたのが、24歳からで18年目になる。 親が倒れる直前まで、結婚も決まっておりあと数ヶ月後には家庭持ちになるはずだった。 が、親が倒れ介護が必要になってしまい、その事をお相手に伝えたところ「20代なのにもう介護の事を考えなければいけないのはツラい」と言われてしまった。 何度も話し合ったが、結局お互いの気持ちが納得のいくものにならず別れることになり、式の予約もキャンセル。 そして独身のまま、現在まで介護しながら生活している。 デイサービスを利用したりして、なんとかやりくりしてたのだが…それでも突然呼び出しがあったりして、仕事を早退したりすることも多くなった。 結局、仕事もそこそこ融通の利く職を選ばなければならなくなり、収入も減った。 でも、仕事を早退したりしなければいけないのは日はあり、その都度収入

    介護ってね…
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2019/02/21
    あんた、すごいよ。尊敬する。/介護問題も高齢出産に躊躇する理由だと思う。もし自分がダメになったとき子どもの人生も一緒にダメにしそうで。
  • 介護の派遣をやりたい人へ

    ・都内や横浜で介護福祉士持ちだと時給1600円で働ける派遣会社がいくつもある。 最近は時給1650円以上出している派遣会社も少しずつ出てきている。地方だとそれ より多少時給が下がる ・「時給1800円」とか書いてある求人は、初回契約2か月間のみの場合が多いので派 遣会社に電話を掛けて確認したほうがいい ・ネット上にある時給の高い求人に釣られて電話すると、他の求人を案内される「釣 り求人」もあるので注意 ・「介護 派遣」と検索すると、はたらこねっとやリクナビ派遣などのサイトがヒット するので、初めて介護の派遣をする人は、まずはそれらのサイトを見まくって時給の 高い5社位に登録して比較する。登録しに行かないと教えてくれない就業条件などもあ るので注意 ・なぜ複数登録するかと言うと、派遣会社や担当に付く営業さんにも当たり外れがあ り、変な対応されたらすぐに他の派遣会社に乗り換えられるようにリスク

    介護の派遣をやりたい人へ
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2018/06/09
    これはぜひ福祉系の学校は必修で。スマホは横にしてから読んで下さい。
  • 父は72歳の5歳児になった

    父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護の認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。 2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。 母は介護と家事と仕事で疲弊していた。介護士の人に母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中をカバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。 父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理と日曜大工と植物の世話が好きで、グルメでワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこな

    父は72歳の5歳児になった
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2018/05/24
    重いエントリー。去年亡くなった祖母は最後には会話も表情も無くなっていたよ。
  • 祖母が施設に入る事が決まった

    今、入所後に使う私物に貼る名札シール作ってる所なんだけど、涙が止まらず明日に響きそうなので吐き出しておく。 今週の水曜日、同居してた要介護3のばあちゃんがグループホームに入所する事になった。足が悪く半分寝たきりで、認知症も進んできたばあちゃんを俺と父親で1年くらい騙し騙し介護してきたんだけど、入所の順番待ちをしていたグループホームから先週「急遽空きができたんですが、入所されますか」と連絡が来たのだ。先方からは以前、申し訳ないが空きができるにはまだ半年以上かかると思う、と言われていたので寝耳に水だったが、予期せず、介護生活からの解放と70年以上実家に住んでたばーちゃんとの別れがやってきてしまった。いつか来るとは思ってたけど、もっと先だとばかり思っていたので、まったく心の準備ができていなかった。ことの決定権は父親と叔母(父の姉)にあった。毎日主に世話をしているのはお前だからと、俺の意思も訊いて

    祖母が施設に入る事が決まった
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2018/04/24
    俺のときはいろいろあって一組の親戚と疎遠になったな。何よりお疲れ様でした。
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