1日に死去した漫画家鳥山明さんは、集英社「週刊少年ジャンプ」に「Dr.スランプ」で連載デビューし、世界的な人気漫画となった「ドランゴンボール」でジャンプの絶頂期を支えました。鳥山さんの才能を見出し、作品を世に送り出したジャンプの元編集者、鳥嶋和彦さんの2017年のインタビューを再掲します。後半では、紙面には収まりきらなかったエピソードもあったインタビューを一問一答形式で紹介します。(記事は2017年10月1日東京新聞朝刊掲載、年齢・肩書はいずれも当時)
2023年夏、知り合いのすすめで あだち充さんの代表作『タッチ』を 人生ではじめて読み終えた糸井重里。 そのおもしろさに興奮し、目頭を熱くさせ、 そのまま『ラフ』『みゆき』を 一気読みするほどハマってしまいました。 そこから話はひろがり、ご縁はつながり、 運やタイミングもおおいに重なりまして、 なんとなんと、あだち充さんご本人との対談が 「ほぼ日の學校」で実現となったのです! マンガ界のレジェンドだというのに、 本人はとても冷静で、おちゃめで、 つかずはなれずの飄々とした雰囲気に、 あだち充マンガの原点を見たような気がします。 会うのも話すのもこの日がはじめてのふたり。 まずは『タッチ』の話からスタートです!
今期のアニメーション界の話題を席巻する作品になった、はまじあきの4コマ漫画『ぼっち・ざ・ろっく!』。 【写真】後藤ひとりのアイコン! ぼっちちゃんジャージが登場 「陰キャならロックをやれ!」というキャッチコピーはインパクト抜群であった。陰キャ女子の後藤ひとり(ぼっちちゃん)のネガティブっぷりが炸裂するギャグ漫画と思いきや、ぼっちちゃんの成長があり、バンドメンバーとの友情もあり……と、実は王道を行く成長物語であり、音楽漫画としても読みごたえ抜群の名作なのだ。 そんな注目作を生み出した、漫画家はまじあきに直撃インタビュー。12月24日にはアニメーションが最終回を迎えたばかりだが、気になる漫画の今後についてもお話を伺った。 『ぼっち・ざ・ろっく!』第1巻。「まんがタイムきららMAX」で連載中。はまじあき著、芳文社/刊 ぼっちちゃんは作者自身の投影!? ――『ぼっち・ざ・ろっく!』は今期のアニメで
2019.01.17 “750ライダー” 石井いさみ先生 レジェンドインタビュー あの時、日本中の少年がナナハンとツナギに憧れた。大ヒット長編バイク漫画の巨匠からの激励!! バイク漫画の金字塔。その作者、石井いさみ先生が当時の貴重な話と、今の週チャンに向けた熱い言葉を授けてくれたぞ!! 壁村編集長の要望を受けて、誕生した 「750ライダー」 昭和の高度経済成長時代真っ只中の1969年7月15日、秋田書店から『少年チャンピオン』(隔週発売)が創刊し、翌年6月24日『週刊少年チャンピオン』と改め毎週刊行。この記念すべき週刊少年漫画誌が誕生した年、マフラーを外してけたたましい爆音で公道を我がもの顔で走るオートバイ集団“暴走族”が社会問題としてマスコミを賑わせる。一般市民を巻き込む暴行・抗争事件が多発した75年、『750ライダー』が連載開始。後に大ヒット長編バイク漫画の金字塔となる作品だ。 「はじ
【インタビュー】『ぼっち・ざ・ろっく!』はまじあき「きららの女子高生だって、学校以外に居場所があっていい」 陰キャならロックをやれ!!! ガールズバンドのマンガと聞いて、どんな作品を思い浮かべますか? 『けいおん!』のような、ゆるふわな雰囲気の日常もの? コミック版『BanG Dream! バンドリ』のような、キラキラとドキドキが詰まった青春ストーリー? それらのどれとも違う、まったく新しいガールズバンドマンガがあります。はまじあき先生の『ぼっち・ざ・ろっく!』です。 衝撃の第1話 あらすじ:きららMAXの大人気バンド4コマ、待望の第1巻がついに登場!「ぼっちちゃん」こと後藤ひとりは、ギターを愛する孤独な少女。家で一人寂しく弾くだけの毎日でしたが、ひょんなことから伊地知虹夏が率いる「結束バンド」に加入することに。人前での演奏に不慣れな後藤は、立派なバンドマンになれるのか──!?全国のぼっち
『ぼっち・ざ・ろっく!』「ちゃお」から「きらら」に作者が移籍し大ヒット! なぜ萌え系4コマ漫画誌から話題作が生まれる? 現在、少女漫画界の最大の問題は、爆発的なヒット作が長らく出ていないことである。アニメーション全体の制作本数は増えているし、『鬼滅の刃』や『SPY×FAMILY』など、少年漫画からは絶え間なくヒット作が出ている。しかし、少女漫画を原作とするアニメがほとんど制作されていないのは寂しい限りだ。映画化される作品は時折あるが、社会現象になるほどのヒットには至っていないのが実情であろう。 2018年に放送が始まった『カードキャプターさくら クリアカード編』は、アニメファンの間では話題になった。しかし、あくまでも本作は20年以上前に始まった漫画の続編である。それに「なかよし」の連載陣を見ると、2000年前後に連載していた漫画の続編が多い。もはや少女がターゲットではなく、大人を意識した誌
『東京卍リベンジャーズ』が今日発売の週刊少年マガジン51号で、最終回を迎えた。原作のみならず実写映画・TVアニメも好評を博し、社会現象ともなった本作だが、5年半にわたった連載が遂に完結となる。 作者である和久井健氏と担当編集者土屋一幾氏に、いまの心境や作中で描き切れなかったことなどについて語ってもらった。 あらすじ/花垣タケミチは、中学時代に付き合っていた人生唯一の彼女・橘ヒナタが、悪党連合“東京卍會”に殺されたことをニュースで知る。壁の薄いボロアパートに住み、バイト先では6歳年下の店長からバカ扱い。極めつけはドーテー……。そんなどん底人生まっただ中のある日、12年前の中学時代にタイムリープする!!ヒナタを救うため、逃げ続けた人生を変えるため、ダメフリーター・タケミチが、関東最凶不良軍団の頂点を目指す!! やがて爆発的なヒットに 不良を題材に描かれた『東京卍リベンジャーズ』の連載は、201
もともと原作者志望でヤングジャンプに ーーTwitterで「作画をする漫画家」からは引退し、今後は原作者として漫画に関わっていくと宣言したことが大きなニュースとなりました。改めてその理由について教えてください。 実はもともとヤングジャンプには原作者志望で入っているんです。ただ、最初に出したいくつかの企画がボツになり、原作だけでなく絵も描くこととなり、始まったのが『かぐや様』でした。なんなら、自分で絵を描くことになったので、しぶしぶの連載だったんです(笑)。 絵に自信があるわけではなく不安もありましたが、ありがたいことに『かぐや様』の連載を7年半やらせていただいた。ここで改めて原作者としてやっていきたいという思いから、今回の宣言となりました。 ーー『かぐや様』のような作画も含めた漫画制作のどこに限界を感じていたのでしょうか。 僕は絵が得意ではないので、どうしても描けない絵がある。それにネーム
令和4(2022)年1月10日、『ドカベン』(’72年)や『あぶさん』(’73年)、『野球狂の詩(うた)』(’72年)などの、いわゆる“野球漫画”の大ヒットシリーズで有名な漫画家、水島新司先生が肺炎で亡くなった。享年82歳だった。 『ドカベン』では、高校どころか中学野球(しかも柔道部時代のエピソードから!)から始まり、キャラクターたちのプロ入り後以降まで。『あぶさん』では、主人公のあぶさんこと景浦安武選手の現役期間37年もの現役生活を、40年以上の長期連載で描いた。『野球狂の詩』では岩田鉄五郎選手を筆頭に“野球狂”たちの野球愛と人生を描き、こちらも長期連載に。“野球”というワンジャンルで幾つも長期連載を抱えた、世界的に見ても唯一無二の作家だった。
椎名作品は勢いとキャラクターのハーモニーが美しい(高橋) ──おふたりの交流について伺いたいのですが、まず互いの作品を読んだ際の第一印象はいかがでしたか? 椎名高志 僕は中学生のときに連載が始まったばかりの「うる星やつら」を読んで、「すごいものが始まっちゃったな」と驚きました。SFコメディというジャンルが大好物だというのももちろんありましたが、それ以上にキャラクターの生々しさみたいなものに衝撃を受けたんです。そこで「マンガって絵空事ではなく、これだけ存在感のあるキャラクターが描けるならなんでもできるんじゃないか」と思ったのがきっかけでマンガの世界に入ろうと決めたくらいで。高橋先生の作品にはそれくらいのインパクトがありました。 ──衝撃を受けたことについて、もう少し具体的に教えていただいていいですか。 椎名 例えばそれまで僕が読んでいたマンガのキャラクターは「俺はこう思ってるんだ」と言ったら
TVアニメが2021年4月から放送中、実写映画が7月9日に公開となる『東京リベンジャーズ』。原作である「週刊少年マガジン」連載の和久井健『東京卍リベンジャーズ』は、アニメ放映前の21巻発売時にはコミックスの発行部数が累計700万程度だったが現在約2300万と急激な伸びを見せている。 とはいえ『東リベ』はアニメの力で突然売れたわけでは決してない。ではいかにして今日の爆発的な人気獲得にまで至ったのか。作品立ち上げから担当編集者として携わる「週刊少年マガジン編集部」の土屋一幾に訊いた。 青年漫画誌から少年漫画誌へ 和久井健といえば「ヤングマガジン」連載の『新宿スワン』で知られるが、和久井は2015年に「ヤンマガ」から「週マガ」へと、つまり青年誌から少年誌へと連載媒体を移している。マンガ家のキャリア的に少年誌から青年誌へ移ることはあっても、その逆は珍しい。 2017年に始まった『東京卍リベンジャー
インタビューと文章: 前田久 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『炎の転校生』『逆境ナイン』『吼えろペン』『アオイホノオ』など、オタク心をくすぐる数々の燃える作品で知られる炎のマンガ家・島本和彦さん。 北海道で生まれ育ち、高校卒業後は大阪芸術大学に進学。在学中に商業マンガ家デビューを果たし、卒業を待たずに拠点を東京へ。90年代半ばに北海道にUターンし、以降は札幌で旺盛な創作活動を続けています。2014年からは家業の経営にも携わるようになり、2019年には社長に就任。 マンガ家と社長業の両輪で、多忙な
『鬼滅の刃』が今、空前のブームを呼んでいる。 シリーズ累計発行部数は、4000万部(電子版含む、2020年2月4日時点)を突破。2019年の大晦日には、歌手のLiSAがアニメ版のオープニングテーマである『紅蓮華』をひっさげ、第70回紅白歌合戦に出場。今年は劇場版『鬼滅の刃』無限列車編の公開が控えており、その人気はもはや社会現象だ。 しかし、連載開始に至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。いかにして『鬼滅の刃』は生まれたのか。 誕生ヒストリーを明かしてくれたのは、著者の吾峠呼世晴氏と二人三脚で走り続けた『鬼滅の刃』初代担当編集・片山達彦だ。『ブラッククローバー』『呪術廻戦』など「週刊少年ジャンプ」(以降、『ジャンプ』)の人気タイトルを担当してきた片山だけが知る“舞台裏”とは? 『鬼滅の刃』の骨肉となったであろう『ジョジョの奇妙な冒険』『HUNTER×HUNTER』『銀魂』『僕のヒーローア
初期の絵はなんとかして目立ちたいっていう気持ちが表れている ──15巻は「はねバド!」初の特装版が発売されるということで。どうしてミニ画集を付けることになったのでしょうか。 担当さんから提案してもらって作ることになったんですが、買ってもらえるかなっていう心配のほうが大きかったですね。でも喜んでくれる人もいるかなと思って……。絵もけっこう変わりましたし、これまでの歩みを見られるってことで(笑)。 ──こうしてまとめて見ると、絵柄の変化がわかりやすいですね。 初期の絵は、なんとかして目立ちたいっていう気持ちが表れているなと思います(笑)。僕、目線を向けている絵を描くのがすごく苦手なんですよ。表紙とかって、キャラクターにとってはグラビア撮影じゃないですか。そういうものに対する引き出しがないというか、インプットの量が足りないんですよね。だから9巻ぐらいから表紙の止め絵に限界を感じてきて、ちょうど全
1995〜2013年にかけて『ヤングマガジン』で連載されたしげの秀一作の『頭文字D』(イニシャルディー)。通称「AE86(ハチロク)」と呼ばれる車を操る主人公・藤原拓海が、「我こそが峠最速」と自負する車乗りたちと速さを競い、バトルを繰り広げる物語だ。豪快なドリフトシーンやリアリティ溢れるデッドヒートは多くの読者の心をつかみ、クルマ漫画の金字塔となった。今回は、平成を代表する名作漫画『頭文字D』の魅力に迫った。 エコカーブームのいまだからこそ読みたいクルマの魅力溢れる作品 フィクションだけど非現実ではない『頭文字D』の魅力 主人公の乗る車「AE86」は、1983〜1987年にトヨタ自動車で作られた1.6Lのエンジンを積む後輪駆動の小型スポーツクーペ。正式な車名は「スプリンタートレノ」。グレードは最上級の「GT-APEX」だ。車検証に書かれた車両型式番号の「AE86」から別名の「ハチロク」、黒
実社会にまで影響を与えた古き良きスポーツモデル 「三つ子の魂百まで」ということわざがあるけれど、幼少期の体験というのは大人になってからも趣味趣向におおいに影響する。子ども時代にふれたクルマが登場するコミックが、趣味の原点といえるクルマ好きも多いのではないだろうか。 趣味の原体験ともいえるクルマ漫画のおかげで、スーパーカーに憧れる大人になった人もいれば、チューニングにハマったという人もいるだろう。アニメや映画の影響で中古車相場まで変わってしまうほど、実社会にまで影響を与えたこともある。そんな伝説のコミックを、主人公の愛車とともに振り返りたい。 AE86スプリンタートレノ(頭文字D・しげの秀一) コミックの影響で中古車市場に影響を与えたクルマとして、最初に思いつくのはトヨタ・AE86スプリンタートレノだろう。中古車価格を上昇させただけでなく、メーカーであるトヨタ自身が「86」というモデルを復活
い....今でもマジ足を向けて寝られません!! 何のことかと申しますと、私の漫画を手伝ってくれた歴代のアシスタントの皆様に対してでございます。 今でこそアシスタントに任せていた作画部分の多くをコンピューターが描いてくれるようにはなりましたが、その昔未だスクリーントーンがレトラセットしかなく感覚的なバックを必死に削り加工していたあの時代、カケアミや点描がすべて手描きだったあの時代は、一人の作家に数人のアシスタントがいなければ作品を量産できなかったのです。 しかし....私も含めみんな手でちまちまと本当によく描いていたなあ.... 週刊誌に連載を持つことが多い男性漫画家の場合70年代から基本的に専属のアシスタントを数人つけて作画をこなすのが普通でしたが(まれにながやす巧先生のようにお一人で描かれるとんでもない方もいた!!)月刊誌が主な活躍の場である少女漫画家の場合は当時修羅場になると仲良しの同
コミックDAYSインタビューシリーズ 第1回 「幸村誠」(1) 取材:構成=木村俊介 幼少期、漫画家を目指すきっかけ、傑作の誕生秘話――。 なかなか表に出てこない漫画家の真の姿に、かかわりの深い担当編集と共に迫る。 漫画家――幸村誠 作品に『プラネテス』『ヴィンランド・サガ』など 編集者――金井暁 初代担当編集で現「アフタヌーン」編集長 第1回 『プラネテス』は「原稿をなくしたから」生まれた漫画? 20歳まで漫画を描いたことがなかった 幸村誠 僕が漫画を描きはじめたのは、20年前の夏ごろです。21歳でした。それまで、漫画を描いたことは1回もありませんでした。 それでも僕は、「漫画家」というものにはずっとなりたかったんです。中学2年生ぐらいになったら学校で急に「進路」って言葉が出てくるじゃないですか。 「……あれ、どうやら自分も、これから何十年間にもわたってやり続ける職業を、決めなきゃいけな
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