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ブックマーク / call-of-history.com (2)

  • 豊臣軍撤退後の朝鮮半島における明国軍駐留問題 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    1598年十一月、朝鮮半島から日軍は完全に撤退し、豊臣秀吉の朝鮮出兵(「文禄・慶長の役(壬辰倭乱・丁酉倭乱)」)は完全に失敗に終わった。日軍撤退後の戦後処理で朝鮮半島において懸案となったのが明国軍駐留問題であった。以下、中野等著「文禄・慶長の役 (戦争の日史16)」を参考にしつつ、簡単にまとめ。 ※以下西暦記述。1598年=日:慶長三年、朝鮮:宣祖三十一年、明:万暦二十六年 大きな被害を出して撤退を余儀なくされ講和締結が最優先課題となっていた豊臣政権だが、秀吉死後の集団指導体制に移行してもなお、外交上は強気な姿勢を崩していなかった。李氏朝鮮政府に対し講和条件として戦時中と同様の朝鮮の王子・廷臣の日派遣を提示し、日来訪があれば朝鮮人捕虜の解放、もし受け入れられなければ朝鮮再侵攻を伝えてくる。もちろん、当時の国内情勢を見れば、関ヶ原へと至る政権崩壊の過程にあり再侵攻の余裕など全く無

  • 「チーズと文明」ポール・キンステッド 著

    人類の歴史はチーズとともにあった。 紀元前七〇〇〇年頃、農耕牧畜の進展によって家畜から取れるミルクを豊富に生産できるようになり、さらにミルクを保存し、凝固させることが可能となる陶磁器製の容器が登場、西部アナトリアから肥沃な三日月地帯にかけての一帯でチーズ製造が始まった。 当時、ミルクに含まれるラクトース(乳糖)を消化するために必要なラクターゼを作ることができるのは乳幼児だけだったため、成人はミルクを飲むとお腹を壊してしまい飲むことが出来ない。一方でチーズは製造過程でラクトースが発酵し乳酸に変わるか、乳漿(ホェイ)とともに取り除かれるため、成人でもミルクの栄養を摂取することができる。そのような点でチーズ(とバター)は当時の人類にとって重要な栄養源であった。紀元前五五〇〇年頃以降、成人でもラクターゼを作る能力を遺伝的に持つようになり、現在では人類の多くがラクトース耐性を持っている。 チーズ製造

    「チーズと文明」ポール・キンステッド 著
    kuxttoba
    kuxttoba 2014/06/18
    セミハードで好きなのはチェダーとコンテかな
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