日本ピラミッド「第1号」 日本のピラミッド論の開祖である酒井勝軍さかいかつときが、第1号ピラミッドとして昭和9(1934)年に「発見・認定」したのが、広島県庄原市の葦嶽あしたけ山だ。 山形県に生まれた酒井は15歳で洗礼を受けて牧師となったが、やがて超古代史の研究に没頭。中東使節団の通訳としてエジプトへ渡ると、ピラミッドの起源は日本だと主張しはじめる。 研究の過程で彼は茨城県の皇祖皇太神宮を訪れ、竹内巨麿たけうちきよまろに「『竹内文書』のなかに、古代のピラミッドに関する記述はないか?」と尋ねてもいた。そして葦嶽山の調査後、同文書に次のように書かれていたことが判明する。 「詔しょうして、吉備津根本国に大綱手彦、天皇霊廟、亦名メシア、日の神、月の神、造主神、日来神宮」 「吉備津根本国」は現在の岡山県付近。葦嶽山の近くである。「大綱手彦」はウガヤフキアエズ朝12代天皇の叔父で、2万2000年前の人