今日は暖かい 自販機で カルピスソーダを買う カルピスが美味い たぶん、それだけで 幸せなのだろう 今日は東日本大震災から 十年 人間の暦では 一区切りついた だけど 日常は続く 震災の傷は消えない 消えない痛みを ずっと抱えながら それでも人生は続く 楽しいことも 悲しことも 背負いながら
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具体的な話を提示していませんでした。 免震工事を出来るだけするというのももちろん一番の対策と思います。 それでも崩れる建物をゼロにすることは不可能でしょう。 もし、3000人で200人救うことが出来るのだとしたら、3万人を即座に被災地に展開できれば2千人救うことが出来る計算になります。おおざっぱすぎますが。 しかし、3万人を即座に展開というのも現実的ではありません。 上のデータを見てもらったら分かるのですが、生き埋めになってしまった人を救ったのはほとんどの場合、同じ被災者でした。 つまり、3万人の自衛隊員を展開することは不可能でも、現場で助かった人は生き埋めになった人以上にいるはずです。 助かった人間が即座に救助者になることが出来れば、救えた人はもっと増えると思います。 あのとき、神戸の人が一家に一台ジャッキとシャベルを持っていたなら、まだ救えた人はいたのではないかと思います。 まだまだ考
未だ村山が2000人を殺したという話が出てくることが、事件の風化の証明なのだなと思ったりしています。 前もって言いますが、自分は村山の判断の遅れが100人もしくは200人を殺したというなら否定はしません。 そして、その100人、200人が一人一人かけがえのない命であったことは疑いもないことで、人数によって村山の責任が軽くなるなどとは思ってはいません。 地震発生から、村山の防災出動命令まで約4時間 この4時間の遅れで2000人が死んだとするなら、4時間で2000人が救えたということになるでしょう。 自分は100人、最大でも200人までが限界ではなかったかと思っています。 それを以下のブログにコメ凸した中から抜粋して考えを表してみます。 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid273.html ちょっと長くなるけど、当時のビデオテープや書籍・新
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