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ブックマーク / d4p.world (4)

  • 禁じられた「ナクバの日」——公共の場から排除されるパレスチナ人の声 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    記事は、ドイツ系パレスチナ人のジャーナリスト・映画監督のラシャド・アルヒンディ(RASHAD ALHINDI)氏による記事(2023年4月6日公開)を翻訳したものです。 原文(英語)はこちら。 (※)による注釈は翻訳者追記。 ____ ベルリン地方裁判所において、数人の活動家が「表現と集会の自由」に対する基的権利を掲げ、「ナクバの日」(※)のデモの新たな禁止を阻止しようと訴えている。 (※)ナクバの日 毎年5月15日「ナクバの日」とは、1948年、イスラエルの建国に伴い約75万人のアラブ・パレスチナの人々が故郷を追われることになった出来事(ナクバ——アラビア語で「大災厄・大破局」を意味する)を嘆き、想起する日。 2022年4月末、ベルリン警察は「ナクバの日」を含め、パレスチナに関連するすべての集会を禁止した。またイスラエルによる、著名なパレスチナ人ジャーナリスト、シーリーン・アブー・ア

    禁じられた「ナクバの日」——公共の場から排除されるパレスチナ人の声 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • “内なる優生思想”に気づいたとき、私たちは何を選択するべきか ―相模原障害者施設殺傷事件、判決を前に - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人を殺害し、殺人などの罪に問われた植松聖被告(30)の裁判員裁判が1月8日に始まりました。公判は16回、既に結審し、判決は3月16日に言い渡される予定です。植松聖被告が繰り返す「障害者なんていなくなればいい」という発言は、日社会に様々な波紋を広げてきました。被害者のほとんどが匿名で審議されていることを含め、この事件が社会に投げかけたものは何か。脳性まひの障害を持ち、障害者と社会のかかわりについて研究を重ねてきた、東京大学先端科学技術センター准教授、熊谷晋一郎さんと考えます。 他者が発信しているメッセージを、どのくらい拾ってきたか 安田:まずこの事件を最初に報道で知った時、熊谷さん自身はどう受け止めたのでしょうか? 熊谷:報道で知った直後は、自分の感情を自覚できなかったのですが、そのあと数日間、体調不良が続いていました。身体が重いよ

    “内なる優生思想”に気づいたとき、私たちは何を選択するべきか ―相模原障害者施設殺傷事件、判決を前に - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    kamanobe
    kamanobe 2023/01/12
  • 【エッセイ】出自について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    記事では実態をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 「民主主義とは、その政治家や政党を支持しない人、投票しなかった人、そもそも投票する権利さえない人たちの声とも大切に向き合うことだと思ってきました。(安倍氏の)国葬は、むしろそれとは真逆の選択ではないでしょうか」 7月24日(日)、TBSテレビ「サンデーモーニング」で、私はこうした趣旨の発言をしました。今も考えは変わっていません。公の場での発言には、当然ですが必ず責任が伴い、社会の中で批評や論評の対象になるものです。私のこうした発言にも様々な意見が寄せられましたが、中には「論評」とは言い難いものもありました。 東京・中野区議を務める吉田康一郎氏は自身のTwitterで、上記の私の発言をもって「(安田は)降板させるべき」と書き込んだ後、続く投稿では、私が過去に書いた記事を引用したうえで、こうコメントし

    【エッセイ】出自について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 安田菜津紀および在日コリアンへの差別投稿・ヘイトスピーチに対する訴訟について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    幼い頃、母は私に月300冊もの絵を読み聞かせてくれていた。1日10冊、となると図書館で絵を選んでくるだけでも一苦労だったはずだ。ある時、珍しく仕事から早く帰ってきた父に、母に代わって絵を読んでもらおうとしたことがあった。飲店の店主だった父は、仕... この記事は、父の家族のルーツと生きた道のりの一端を、古い書類をたよりにたどったものです。父は、私が中学2年生の時に亡くなりました。その後、家族の戸籍を手にし、父が在日コリアンだったことを初めて知ることになります。 「なぜ、父は自身の出自を語らなかったのか?」――その疑問に答えを見出そうと、父の生家やその周辺に暮らす在日コリアンの歴史を調べていきました。そしてそれは、壮絶な差別やヘイトスピーチの問題に向き合うことでもありました。今もネット上で消費され続けるヘイトクライムの映像の数々を目にする度に、私は思うのです。「もしかすると父は、こう

    安田菜津紀および在日コリアンへの差別投稿・ヘイトスピーチに対する訴訟について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    kamanobe
    kamanobe 2021/12/09
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