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日本軍に関するcustardtarteのブックマーク (40)

  • 【沖縄戦:1945年7月5日】「退山する者は殺害すべし」─住民を“人間の楯”とした久米島の海軍鹿山隊と、島の少女を連れまわし逃亡を続けた鹿山正|棒兵隊

    【沖縄戦:1945年7月5日】「退山する者は殺害すべし」─住民を“人間の楯”とした久米島の海軍鹿山隊と、島の少女を連れまわし逃亡を続けた鹿山正 鹿山による住民の脅迫 米軍が上陸した久米島では、住民は山の避難壕に避難していたが、そこは久米島に配備されていた海軍通信部隊(海軍鹿山隊)の拠点でもあった。『沖縄県史』各論編6の沖縄戦詳細年表によると、同隊の隊長である海軍兵曹長の鹿山正はこの日、住民に対し「退山する者は、米軍に通ずる者として殺害すべし」と脅迫した(ただし沖縄県史は『久米島の戦争』を典拠としてこの日に鹿山が住民を脅迫したと記すが、その『久米島の戦争』を見ると7月6日に鹿山が脅迫したとある。また以下に掲載する吉浜氏の戦時日記にも鹿山による脅迫は6日の出来事とある。このあたりは沖縄県史の間違いとも思われるが、差し当たり沖縄県史の記述に従い鹿山による脅迫は5日のこととして話をすすめる)。 な

    【沖縄戦:1945年7月5日】「退山する者は殺害すべし」─住民を“人間の楯”とした久米島の海軍鹿山隊と、島の少女を連れまわし逃亡を続けた鹿山正|棒兵隊
  • 「桜見られないのが寂しい」元兵士証言、大和撃沈までの2時間 /後編 | 毎日新聞

    「世界最大・最強」といわれた戦艦「大和」が水上特攻を強いられたのは、「前編」でみたように、戦況の悪化だけでなかった。時代遅れで使い勝手が悪くなっていた、天皇の意思を軍部が忖度(そんたく)した、など、さまざまな要因が折り重なったからだった。後編は「大和」が撃沈されるまでの2時間を、元兵士の証言を交えて振り返りたい。【栗原俊雄】 上がる血しぶき 地獄の戦闘 1945年4月6日午後3時20分。「大和」に加え、軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」、駆逐艦「磯風」「濱風」「朝霜」「霞」「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」の計10隻から成る艦隊は、山口県徳山沖から沖縄に向かって出撃した。半年前のフィリピン沖海戦で出撃した艦隊の半分にも遠く及ばない艦数だ。米英に比肩する力を誇っていた大日帝国海軍が、最後に送り出した艦隊であった。伊藤整一司令長官は艦隊にこんな訓示を発した。 「神機将(マサ)ニ動カントス 皇国ノ隆替懸

    「桜見られないのが寂しい」元兵士証言、大和撃沈までの2時間 /後編 | 毎日新聞
  • 沖縄戦、32軍司令部に「特殊軍属」 留守名簿に記載 本土の女性ら動員、識者「慰安婦」と指摘 - 琉球新報デジタル

    軍が芸者などを土から沖縄に連れてきて設置した「偕行社」にいたとみられる女性らが、沖縄戦を指揮した第32軍司令部の「特殊軍属」として動員されていたことが分かった。32軍が1944年末から45年初めにかけて作成した「第32軍司令部(球第1616部隊)留守名簿」に記されているのを、沖縄大学地域研究所特別研究員の沖富貴子さん(70)=八重瀬町=が見つけた。この「特殊軍属」について、別の沖縄戦識者は「慰安婦」「慰安所」と同じ意味とみている。 関東学院大の林博史教授(現代史)は「軍や外務省の公文書では、いわゆる『慰安婦』を『特殊婦女』『特種婦女』『特殊慰安婦』『特種慰安婦』と呼ぶ例がいくつもある。『特殊軍属』は慰安婦のことを指していると考えて間違いないだろう」と指摘した。 「第62師団会報綴(つづり)」(1944年12月21日)によると、偕行社は「将校や高等文官の親睦を図り、戦力を高揚する」こ

    沖縄戦、32軍司令部に「特殊軍属」 留守名簿に記載 本土の女性ら動員、識者「慰安婦」と指摘 - 琉球新報デジタル
  • 首里城破壊と日本軍の関係示す注目資料 - アリの一言 

    沖縄では22日、焼失した首里城再建の課題を議論する「首里城再興に関する公開討論会」(首里城再興研究会主催)が開かれ、熱心な議論が行われました(写真右、23日付沖縄タイムスより)。 大きなテーマの1つは、正殿前の大龍柱の向きです(10月24日のブログ参照)。公開討論会では後田多敦神奈川大准教授が先に発表した「正面向き」を示す1887年のフランス人による写真が注目を集めました。大龍柱の向きは日の琉球支配・皇民化政策とも無関係ではなく、今後の研究・議論の進展が注目されます。 さらに、私たち「土」の日人がけっして見過ごすことができない資料があることが分かりました。それは、沖縄戦(1945年4~6月)における首里城の焼失(写真左)と日軍(第32軍・牛島満司令官)の関係を示す重要な証言です。 沖縄タイムスは10月下旬からの連載「首里城再建を考える」で、県内識者の論評を掲載しました。その中で、辺

    首里城破壊と日本軍の関係示す注目資料 - アリの一言 
  • 「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺

    沖縄戦での久米島で、米軍から逃れて自死しようとして住民の呼び掛けで一命を取り留めた渡嘉敷一郎さん=19日、東京都練馬区の自宅 【東京】沖縄戦で島における日軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。同じ久米島出身の政子さん(80)が住民虐殺の歴史を語り継ぐ活動を続けており、一郎さんも参加して語り始めた。紙に体験を語るのは初めてで「一番怖かったのは日兵だった」と振り返る。 沖縄島で捕らわれた仲村渠さんは1945年6月26日、米軍と共に久米島に上陸し、住民に投降を呼び掛けていた。日のポツダム宣言受諾後の8月18日、島にいた日軍の

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  • 朝鮮人軍夫は家畜のように扱われた - 朝鮮人軍夫の沖縄戦 キム・ギョンデさん - Battle of Okinawa

    公文書管理法が施行されて六年。 しかし南スーダン自衛隊の「日報」が「破棄」されたとか、働き方改革のデータが改ざんされていたとか、森友学園スキャンダルの文書が改ざんされたとか、最近殊にそうした公文書隠蔽事象が連続してまかりとおっている。 www.huffingtonpost.jp 実は なにもそれは今始まったことではない。 敗戦後、日軍と政府は膨大な記録を焼却した。 そして、従軍慰安婦にしろ朝鮮人軍夫にしろ、 あるいは特攻隊などの学徒動員の現場記録すら、 膨大な数の資料が歴史から消しさられていった。 証拠隠滅したうえで、 しらっと、なかったとか言いはじめる。 実際にはそんなひどいことはしてないない、 などと言いだすわけだ。 記録は大切である。 戦争したがる奴らは、常に記録を消したがる。 だから記録にはバックアップが必要だ。 今回ご紹介するのは 朝鮮人軍夫としてキム・ギョンデさん。 家畜のよ

    朝鮮人軍夫は家畜のように扱われた - 朝鮮人軍夫の沖縄戦 キム・ギョンデさん - Battle of Okinawa
  • 731部隊:父の覚悟の証言、後世に…元高校教諭が出版 | 毎日新聞

    731部隊員だった父の証言を語り継ぎ、著書を出版した神谷則明さん=名古屋市緑区の自宅で2017年6月24日、吉富裕倫撮影 旧日軍が中国人捕虜らに人体実験を行った「731部隊」の史実を残そうと、名古屋市緑区の元高校教諭、神谷則明さん(66)は今月、部隊員だった父の証言をまとめた著書「長き沈黙 父が語った悪魔の731部隊」(かもがわ出版)を出版した。「父は蛮行を悔い、戦争で何が起きたか知ってほしいと勇気を出して証言した。その遺志を継ぎたい」と話す則明さんは、脳出血の後遺症で右半身が不自由となりながら、講演活動を続けている。【吉富裕倫】 則明さんの父、実さんは愛知県一宮町(現一宮市)出身。1940年に731部隊に入り、当初は炊事を担当した。その後、医師による実験を手伝った。試験管に入れたノミを中国や旧ソ連の捕虜の手に押し当ててペストに感染させたり、ペスト菌爆弾で捕虜の体に付着したノミを数えたり

    731部隊:父の覚悟の証言、後世に…元高校教諭が出版 | 毎日新聞
  • 日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?

    6月23日、沖縄の組織的な戦闘が終結。大営が、いや日が何を考えたかというと、「土決戦」です。沖縄は「土」じゃないんですね。とうとう米軍が日土」に攻めてくる、その時に政府、軍の首脳がどう考えていたのか。むろん、勝てっこないことはまともに考えればすぐに分かることです。

    日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?
  • 日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?

    6月23日、沖縄の組織的な戦闘が終結。大営が、いや日が何を考えたかというと、「土決戦」です。沖縄は「土」じゃないんですね。とうとう米軍が日土」に攻めてくる、その時に政府、軍の首脳がどう考えていたのか。むろん、勝てっこないことはまともに考えればすぐに分かることです。

    日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?
  • 上海戦でも補給無視だった日本軍 - 読む・考える・書く

    アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。 しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。 飢えといえば、私たちの糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけをべていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の糧で、普段はべないのだが、糧補給のない上海ではべないわけにいかなかった。 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か

    上海戦でも補給無視だった日本軍 - 読む・考える・書く
  • 戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場(籏智 広太) - BuzzFeed

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you. 戦後70年以上PTSDで入院してきた日兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場戦争から生き残り、日へ帰国しても精神病を患ったとなると一家の恥とされ、故郷に帰れず入院したまま戦後の日を過ごす兵士たちも多くいました。自身も元復員兵の父を持つ埼玉大名誉教授の清水寛さんに、戦時中の経験によりトラウマを抱え苦しんだ兵士たちの話を聞きました。

    戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場(籏智 広太) - BuzzFeed
  • TVアニメ『食戟のソーマ 弐ノ皿』で太平洋戦争のゴボウ都市伝説が削られていた - 法華狼の日記

    ゴボウ都市伝説とは、日軍が捕虜にゴボウをべさせたところ、文化の違いから虐待と受け止められ、戦犯裁判で有罪になったという逸話のこと。『はだしのゲン』などにも出てくる。 しかしApeman氏が10年ほど前から都市伝説として情報を集めて、少なくともゴボウひとつを根拠として判決がくだされたわけではないこと、細部が不明確なまま流布されていることを明らかにした。 「ごぼうを捕虜にべさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary 元捕虜たちがごぼうを木の根と誤解し、虐待の一例として訴えたという事実それ自体は確かにあったようである。だが、判決でもそれが虐待として認定されたのかどうかは不明であるし、なによりごぼうの一件は数ある訴因の一つに過ぎない。絞首刑になった収容所の職員(収容所長は死刑にはならなかった)は捕虜を殴打したこと、体力の限界を超える労働を強制したこと、劣悪な

    TVアニメ『食戟のソーマ 弐ノ皿』で太平洋戦争のゴボウ都市伝説が削られていた - 法華狼の日記
    custardtarte
    custardtarte 2016/09/30
    ゴボウ都市伝説は今でもみかける。結構信じてる人いるんだなこれが
  • とある事件 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120748600、軍紀風紀上等要注意事例集 昭和18年陸密第255号 別冊第7〜9号 昭和19年6月〜9月印刷(防衛省防衛研究所)」 八、陸軍病院長ノ看護婦強姦事件事件ノ概要 一、南方陸軍病院長某軍医大佐ハ予テヨリ卑猥ナル言動多ク殊ニ同病院長トナリテヨリハ看護婦ニ対シ屡々猥褻ナル行動ニ出テクルコトアリ且部下ニ対シテハ専恣横暴ヲ極メ部下ノ意見具申ヲ喜ハス自己ノ意ヲ抑ヘサル者ハ之ヲ斥クル等部下ヨリ甚シク怖レラレ居リタルカ昭和十八年八月頃ヨリ病院附陸軍看護婦某ヲ識リ同女ノ温順ナル性質ニ着目シテ自己ノ病院長タルノ威力ヲ借リテ同女ヲ脅迫遂ニ之ヲ姦淫シタリ 二、右病院衛生兵長某ハ郷里ノ村助役及大政翼賛会県練成部長等ヲ奉職中召集セラレ右病院ニ在リテ勤務中病院長ノ前記言動ヲ聞知シ生来正義感強ク痛ク之ヲ憂慮シアリタルカ強姦シタルコトヲ聞キ憤激シ病院長

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  • 陸自のエンブレムに日本刀 日本らしい?配慮足りない?:朝日新聞デジタル

    陸上自衛隊が記念品などに使うために作ったエンブレムが物議を醸している。日刀をあしらったデザインで「日人らしい強さ」を表したというが、陸自の装備に日刀はない。かつての日軍を思い起こさせるとして、「アジア諸国への配慮が足りないのでは」との見方も。自衛隊と日刀の組み合わせ、是非は――。 上段に日の丸、下に陸自のモチーフの「桜星(おうせい)」。そして真ん中には、交差する抜き身の日刀とさや。エンブレムは「桜刀(さくらかたな)」と名付けられ、5月にホームページで公表された。 陸自の中枢・陸上幕僚監部の広報室によると、安倍政権が掲げる「積極的平和主義」を具現化したデザインだという。国連平和維持活動(PKO)や国際共同訓練などで他国軍と交流する際、エンブレムを刻印したメダルや盾を記念品として贈る予定だ。 なぜ日刀なのか? 陸幕広報によると、古くから武人の象徴とされてきたことから選ばれたという

    陸自のエンブレムに日本刀 日本らしい?配慮足りない?:朝日新聞デジタル
    custardtarte
    custardtarte 2016/09/07
    デザイン的にはいけてないが、それゆえに旧日本軍の精神的な後継者たらんとしている今の自衛隊にはふさわしいともいえる
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  • フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS

    大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム

    フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS
  • 世界の中心で「アサヒガー」と叫ぶ日本政府 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    「慰安婦問題 強制連行説は「捏造」 「20万人、朝日が混同」政府、国連委で説明(産経新聞 2月17日(水)7時55分配信)」の件。 記事の通りだとすれば、日政府は世界に向けて“慰安婦問題は朝日の捏造”だと訴えたことになります。正気の沙汰ではありませんが、既に日社会自体が正気を失っていますからどうにもなりません。 微力ながら一応指摘はしておきます。記事で言及されている日政府の主張がほぼ逐一デマだと言えるレベルです。 「強制連行を裏付ける資料がなかった」? 【ジュネーブ=田北真樹子】日政府は16日午後(日時間同日夜)、国連欧州部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦問題に関する事実関係を説明した。政府代表の外務省の杉山晋輔外務審議官は強制連行を裏付ける資料がなかったことを説明するとともに(略) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=201602

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  • 戦後70年談話を「言葉のゲーム」にするな

    4月29日、安倍晋三首相は米上下両院議会で議会演説を行う予定だ。いったい、どのようなことを話すのだろうか。そのことを考えるために2014年7月にオーストラリアの首都キャンベラで行った演説を振り返ってみたい。 今回、取材したテッサ・モリス‐スズキ氏はオーストラリアの日研究家として知られる。オーストラリア国立大学教授で、オ―ストラリアの元アジア研究協会会 長。著書に“East Asia Beyond the History Wars”(『歴史戦を越える東アジア』)がある。同氏にキャンベラ演説の真相に加え、戦後70年の「安倍談話」についての見解も聞いた。 キャンベラ演説に“謝罪”はなかった ――2014年7月にオーストラリアのキャンベラで行われた、安倍首相の演説はオーストラリア人には好意的に受け止められたのか。 当時、新聞でも取り上げられ、いくつかのメディアで議論もされた。しかし、オーストラリ

    戦後70年談話を「言葉のゲーム」にするな