副題:浜田知明が銅版に刻んだ戦時性暴力 『浜田知明の山西省での従軍体験(1) - Transnational History』 『浜田知明の山西省での従軍体験(2) - dj19の日記:』 副題:浜田知明が銅版に刻んだ三光作戦 の続きです。 今日も、初年兵として中国の山西省へ従軍した経験(1940年〜1943年)を持つ浜田知明の作品を通して、銅版に刻まれた戦時性暴力について考えてみたい。 ヒロ画廊/浜田知明/作品 http://www.hirogallery.com/hamada-works-et-jp.html 初年兵哀歌 ぐにゃぐにゃとした太陽がのぼる-1952 これまで戦争や紛争が起こるたびに女性はレイプ、性犯罪といった性暴力被害に遭ってきた。第二次世界大戦後だけでもベトナム、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コンゴ、ウガンダ、ダルフール、イラクなど、たくさんの戦場で女性は強姦され、そして殺
皆を守るために犠牲になってくれ──。敗戦直後の満州で、ソ連兵への「接待」を名目に行われた女性への性暴力。その被害者を取材した『ソ連兵へ差し出された娘たち』(平井美帆・著)が「第19回 集英社 開高健ノンフィクション賞」を受賞しました。選考委員の一人、法政大学名誉教授の田中優子さんは「昔の出来事ではなく、いまの問題として向き合わなくてはいけない」と語ります。若い世代にこそ読んでほしい、と言う田中さんと学生が意見を交わしました。 ■座談会のメンバー(敬称略) ・田中優子 法政大学名誉教授・前総長 ・池田 颯 慶應義塾大学大学院 経営管理研究科1年 ・柴 真緒 お茶の水女子大学 理学部生物学科4年 ・猪又玲衣 津田塾大学 学芸学部国際関係学科3年 ・小林真子 慶應義塾大学 経済学部経済学科3年 いまでも戦争が勃発しかねない状況はあるし、女性の置かれている厳しい現状も目の当たりにしている。過去のこ
マレー半島の日本軍慰安所 『世界』1993年3月号 林 博史 マレー半島にあった日本軍の慰安所について、新しい文書史料や日本兵と現地での聞き取りに基づいて、かんたんに紹介したものです。 私がこの問題に取組むようになったきっかけは、慰安婦問題についての議論が韓国朝鮮人慰安婦にばかり集中していたからです。マレー半島での華僑虐殺などの調査の過程で、慰安婦問題にも出会っていましたが、東南アジア現地の女性が慰安婦にさせられていたことが忘れられているのではないか、と疑問に感じていました。ちょうど、1992年に日本政府は慰安婦問題の資料調査をおこない、その結果を発表しましたが、その中には私が防衛庁防衛研究所図書館ですでに見つけていた、いくつかの資料さえも含まれていませんでした。そこで現地調査をおこなうとともに、慰安所設置に関わった日本軍関係者にも話をきき、まず『朝日新聞』1992年8月14日付、で発表
日本軍「慰安婦」制度を巡り、米ハーバード大のジョン・マーク・ラムザイヤー教授による論文が波紋を広げている。 学術誌のオンライン版に掲載した論文「太平洋戦争における性行為契約」で、ゲーム理論を持ち出し「慰安婦」は自発的に業者と契約した「売春婦」だとして日本国家の責任を否定。 これに対し国内外の研究者らが抗議活動を展開し、「事件」の様相も帯びる。 論文の問題点は何か。「慰安婦」や公娼制度研究の第一人者がセミナーで語った反論を詳報する。 人権侵害無視した立論 中央大名誉教授 吉見 義明氏 ラムザイヤー論文の「慰安婦」論について、まず契約論の問題を指摘したい。 一つ目は、芸娼妓(げいしょうぎ)契約や「慰安婦」契約を論じているが、一点の契約書も提示していない。これで論ずることができるのか。 二つ目は、公娼制度と同様に業者と女性が契約したとしたが、実際は女性が契約主体ではなかった。親権を持つ親族と業者
はじめに2015年9月17日,米サンフランシスコ市議会で慰安婦像を設置するメモリアルの建立に関する決議の審議が行われました。監理委員会に判断を仰ぐ前に小委員会で監理委員ら3名が多くの参考人を呼んで審議に臨みました。その中で唯一,発言した日系団体に向けて「恥を知りなさい」("Shame on you")と叱責した委員がカンポス監理委員(Supervisor David Campos) でした。その前後含め全文を書き起こしました。 『調和』のありかたについてI would like to thank all the people who have waited to speak, from all sides here, of this issue. And let me begin by first addressing my friends in the Japanese American
女性人権運動家のイ・ヨンスさんが、長い間自分が耐えてきた苦痛をあらわにして市民社会と政府に投げかけたメッセージは、全ての人々の心を重くさせた。イさんの訴えをきっかけにハンギョレは、私たちが何を省察し、残された問題をどのように解決すれば被害者の苦痛と傷が本当に癒されるのかを模索するリレー寄稿を掲載する。日本軍「慰安婦」被害者の証言の調査研究を進め、現在日本軍「慰安婦」研究会の会長を務めているヤン・ヒョナ・ソウル大学法学専門大学院教授が最初の文を寄せた。 5月7日に続き、5月25日、「慰安婦」被害生存者であり人権運動家であるイ・ヨンスさんの記者会見があった。最初の記者会見で「もう水曜デモはいらない。ユン・ミヒャンは国会に行ってはならない」などの激しい言葉が飛び出した。25日の記者会見では「30年の挺対協の運動が被害者たちを利用した。私たちの証言を聞いたこともない」など、いろいろな言葉を述べられ
知ることは、エンパワーになる - お茶の水女子大 申琪榮先生が考える、日本人女性にとっての「慰安婦」問題 「慰安婦」問題。 そう聞いたときに、皆さんは何を考えるだろう。 「韓国の人だけが勝手に騒いでいるんじゃないの?」 「もう終わったことなのに、昔のことを掘り返すの?」 かつて日本軍は、韓国をはじめとする多くの国の女性たちを「慰安婦」とし、性暴力を行った。しかし、そのことについて若い世代の私たちが学校で習うことは、ほとんどない。 メディアでは、少女像の問題がセンセーショナルに報道され、触れると危険な問題かのような印象さえ受けてしまう。歴史的な経緯を知る機会がほとんどない私たちは、不確かな情報の中で、どう判断し、どう行動していいのかわからないでいるのだ。 一方韓国では、多くの若い女性たちがこの問題について学び、考え、声をあげている。被害女性たちの受けた苦しみに共感し、今も起き続ける戦時性暴力
山口放送が制作し、NNNドキュメント'16で放送された「奥底の悲しみ〜〜戦後70年、引揚げ者の記憶〜」について、山本めゆ・日本学術振興会特別研究員が次のような告発を行っています。 日本学術振興会特別研究員の山本めゆと申します。山口放送制作「奥底の悲しみ」において私の論文の知見があたかもこの作品のオリジナルな発見であるかのように表現されたことから、今後のクレジット表示等を求めて山口放送とディレクターの佐々木聰氏に対し申入れを行いました。 (http://okusokomondai.blogspot.jp/2017/11/2013coegcoepdf-httpci.html) 実は今年の8月に放送された NHK ETV特集の「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」についても、ノンフィクション・ライターの平井美帆氏が同じような告発をウェブサイトで行っていました。もっとも黒川開拓団については社会理論・動態研
敗戦とともに崩壊した「満州国」では、地獄絵図としか表現しようのないほど、飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。孤立無援の満洲開拓団は次々と、集団自決に追い込まれていった。 そのとき、ある開拓団の男たちは、ひとつの決断を下した。現地の暴民による襲撃、ソ連兵による強姦や略奪から集団を守り、食料を分け与えてもらう代わりに、ソ連軍将校らに結婚前の乙女たちを「性接待役」として差し出したのだ。 犠牲となった「彼女たち」は、日本への引き揚げ後もこの忌まわしい記憶をずっと胸の内にとどめていたが、70年が経ち、その重い口を開いた――。ノンフィクション作家・平井美帆氏の特別寄稿。 託された詩 忘れられない詩がある。後半のカタストロフィーと対比を成すかのように、詩は明るい朗らかな一節からはじまる。 ≪十六才の 春の日に 乙女の夢を 乗せた汽車 胸弾ませて 行く大地 陶頼昭に 花と咲く≫ 「乙女の碑」と題された詩を書
約1年前、黒川開拓団(岐阜)の取材の成果をまとめ、 『女性自身』(光文社、2016年10月4日号)にルポを寄稿した。 「忘れたい あの凌辱の日々 忘れさせない乙女たちの哀咽」 「こんなことがあったとは知らなかった」 と岐阜在住の教師の方からメールが来るなど、それなりに反響はあった。 このスクープのあと、 本記事に登場した人達に対して、テレビ局から取材依頼があったそうだ。 私がいきついた取材対象者から直接、 「平井さんの記事を読んで取材したいと、山口放送の○○さんから連絡があった」「NHK岐阜××さん(そのあと名古屋)から連絡があって、いついつ会う」 などと連絡が来るようになった。 おばあさんは前々から私と会っていたので、律儀に知らせようと思ってくれたらしい(*ほかにも、記事の掲載後、次から次へと記者から連絡が来るようになったという)。*そのうちのひとつが、東京新聞で2017年7月2日に掲載
・猪俣祐介『ホモソーシャルな戦争の記憶を越えて ー「満州移民女性」に対する戦時性暴力を事例としてー』(『軍事史学』第51巻 第2号) 単に市井の歴史好きに過ぎない私が、アカデミックな論文をこうして紹介するのは分不相応な気はするが、「慰安婦」問題などの戦時性暴力に興味のある人にとっても必読の論文だと思ったので紹介したい。 この論文は「満州国」へのソ連侵攻後、満州国各地で起こった満州移民女性に対する戦時性暴力について、日本社会ではなぜ長い間その記憶が封印されてきたのか、なぜ被害者は戦後50年を経た1990年代後半から重い口を開けるようになったのかという問いを立て、そこには日本社会における強固なホモソーシャルなナショナリズムがあったのではないかということを被害者へのインタビューを基に明らかにしている。 この論文を読んだ後、前回のエントリで話題にした「援助交際」について、「援助交際などそれほど重要
中曽根「大勲位」元首相の慰安所関与を取り上げた前回記事に、こんなコメントがついた。 慰安所というのは売春のための施設でしょうか?そういうもと決めつけて資料を読んでいませんか? 慰安というのは日本語で何を意味していますか?例えば女性にお酌をしてもらってお酒を飲める場所は、慰安施設言い換えれば慰安所と言えますよね? 慰安は売春だけを指すものですか? なら、そうであったという証拠をだすべきでしょう、できなければ下世話な想像しかできない阿呆のたわごとにすぎません ひとつ下の「99」さんのコメントの画像を見ろ、としか言いようがないのだが、何の根拠もなく自らの願望を書き散らしていればいいのだからネトウヨは気楽なものである。 この画像の番組(TBS報道特集「インドネシアでの戦時性暴力」2015年7月25日放映)でも証言しているスハルティさんは、元参議院議員の吉川春子氏に、次のように具体的に中曽根の作った
・存在と一部の内容だけが知られていた「米中連合軍作戦日誌」の実物、初めて確認 ・ソウル大人権センター研究チーム、米文書記録管理庁の現地調査を通じて発掘 ・慰安婦証言に立証文書出現…「虐殺否定」の日本政府への反論根拠に 日本軍の慰安婦銃殺を記録した中・米連合軍作戦日誌。(ソウル大学人権センター研究チーム提供) 「(1944年9月)13日夜(脱出に先立ち)日本軍が省(中国、雲南省腾冲)内にいる朝鮮人女性30人を銃殺した。(Night of the 13th the Japs shot 30 Korean girls in the city).」 日本軍による朝鮮人慰安婦虐殺の事実を記録した米中連合軍文書の原本が発掘された。これまで日本政府は、慰安婦被害者ハルモニたちの証言にもかかわらず、虐殺を実証的に立証する文書を要求しながら虐殺説を否定してきた。虐殺された慰安婦の死体が写された写真に対しても
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