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ルー・リードに関するasahinoataruのブックマーク (5)

  • ルー・リードのインタビュー発掘:偏屈オヤジはエレカシをどう聴いたか - YAMDAS現更新履歴

    当は読書記録を書くべきがたまっているのだが、今風邪でひどい状態なため、1989年から2004年あたりまでおよそ15年間読者だった雑誌 rockin' on から記事を発掘する「ロック問はず語り」でお茶を濁したいと思う。 今回取り上げるのは、昨年秋に惜しくも亡くなったルー・リードについての記事である。 彼のインタビュアーに対する当たりの強さは有名だが、ロキノンで実際に彼にインタビューした人はどうだったか。まず1996年6月号の「知ってるつもり?!」というどこか聞いたような名前のコーナーにおける「ルー・リードっていい人? 悪い人? どんな人?」という回における証言を見てみよう。 この回の対談者は中浩二と井上貴子で、彼らは確か今も株式会社ロッキング・オンに在籍されているのだろうか。ちなみに前者は仲工事の書き間違えではないし、後者も主に90年代に活躍した女子プロレスラーとは同名異人である。

    ルー・リードのインタビュー発掘:偏屈オヤジはエレカシをどう聴いたか - YAMDAS現更新履歴
  • 香山リカ「ルー・リード死去で炎上事件」の裏側を語る | 日刊SPA!

    香山リカ氏の不定期連載『人生よりサブカルが大事――アラフィフだって萌え死にたい!』の第7回が到着! ごく最近、ネットを騒がせた香山氏。なぜ炎上に至ったのか? どうぞ文をお読みください。 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 先日は、「高橋幸宏氏のコンサートで愚弟が昏倒」(https://nikkan-spa.jp/514998)という件でお騒がせしました。 弟は救急病院への約1週間の入院を経て退院し、いまも地元の病院で血圧が激しく上がったり下がったりする原因を精査中。まあ、もともと超巨漢で、しかも「図々しいのに繊細」という独特すぎるメンタルが最大の原因だと思うんだけど……。 でも、寝ながらテクノ講義の動画(http://www.nicovideo.jp/watch/1382502387)なんかやってるんで、とりあえずテクノ魂だけは生きてるようです。 誰も知

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  • 「ルー・リードの必聴20曲」を米ローリングストーン誌が発表 - amass

    "I'm Waiting for the Man" "Sister Ray" "Pale Blue Eyes" "Satellite of Love" "Walk on the Wild Side" "Vicious" "Sad Song" "Sweet Jane" "Metal Machine Music "Street Hassle" "The Day John Kennedy Died" "Waves of Fear" "I Love You, Suzanne" "Strawman" "Hello It's Me" "Egg Cream" "Perfect Day" "Like a Possum" "The View" "Dirty Blvd." / "White Light White Heat"

    「ルー・リードの必聴20曲」を米ローリングストーン誌が発表 - amass
  • ルー・リードが亡くなりました。 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    ルー・リード「ロックンロール」 ジェニーは言った 私がまだ5歳の頃よ いいことなんて何もなかったわ わかるでしょう でも、いつだってラジオをつければ つまんないことなんか何もなかったわ なんにもね ある晴れた朝 ジェニーはニューヨークのローカル局にダイヤルを合わせた 信じられないくらい素晴らしい歌が聴こえてきた ジェニーは思わず踊った その最高で最高で最高の歌に合わせて うー、ジェニーの人生はロックンロールに救われた ヘイ、ベイビー、ロックンロールだぜ たとえ手足を奪われたって ロックなラジオを聴けば踊れるんだ それでオーライ それでオーライ たとえ手足を奪われたって ロックンロールで踊れるんだ

    ルー・リードが亡くなりました。 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
  • 偏屈大王ルー・リードに血祭りにされる岩見吉朗 - YAMDAS現更新履歴

    さて、今回の「ロック問はず語り」は、もうすぐ新譜が出る我が愛しの Lou Reed 先生の偏屈ぶりをごらんにいただく。今日の画像は例によって Wikimedia Commons より。 この人のジャーナリストに対する当たりの厳しさは有名で、少しケースは違うが2003年の来日時も、鼻を一度啜ったというだけで大手新聞社の記者を部屋から追い出している(風邪を移されまいということか)。 今回まず取り上げるのは、ロッキング・オン1990年10月号に掲載されたインタビューである。インタビュアーは岩見吉朗で、当時のロキノン読者は熱く突っ走る文章の記憶とともに彼の名前を思い出すのではないか。彼の文章に対しては好き嫌いがはっきり分かれていたが、当時はワタシも今よりは遥かに熱い高校生だったから、熱く読ませてもらっていた。 彼は確かこの翌年クラッシュ原稿とともにロッキング・オン社を退社している。その後どうなった

    偏屈大王ルー・リードに血祭りにされる岩見吉朗 - YAMDAS現更新履歴
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