時代劇の流刑地の定番として知られる「八丈島」。そんな同島で暮らした罪人たちは、私たちの想像よりも島の生活をエンジョイしていたのかもしれません。離島ライターの大島とおるさんが解説します。 八丈島へ島流し――と言えば、時代劇における奉行裁きの定番です。 今では羽田空港(大田区羽田空港)から最短50分で行ける八丈島ですが、かつては本土と隔絶された孤島でした。誰が言いだしたか、 「鳥も通わぬ八丈島」 という表現もあります。 そんな八丈島に流罪となった最初の人物が、宇喜多秀家(うきた ひでいえ)です。秀家は関ヶ原の戦い(1600年)で西軍の主要人物として徳川家康と戦いましたが、敗北。その後、薩摩まで逃れますが結局流罪に。1606(慶長11)年のことでした。 秀家は1655(明暦元)年に84歳で死去。実に、人生の半分以上を八丈島で過ごしたことになります。乱世が鎮まった時期には赦免の話もあったようですが