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鉄道と歴史に関するsoramimi_cakeのブックマーク (4)

  • 北九州「初代門司駅」保存巡り対立 都市部の近代遺産、分かれる運命:朝日新聞デジタル

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    北九州「初代門司駅」保存巡り対立 都市部の近代遺産、分かれる運命:朝日新聞デジタル
    soramimi_cake
    soramimi_cake 2024/05/15
    まぁ新橋横浜間鉄道開業時の築堤跡が出たのに壊された時点でこういうのの運命は決まったようなもの
  • JR田町駅近くに石垣出土、高輪築堤か…新路線「羽田空港アクセス線」工事に影響も

    【読売新聞】 東京都港区のJR田町駅近くの線路地下から、明治時代初期の鉄道遺構「高輪築堤」とみられる石垣が見つかったことが、同区教育委員会への取材でわかった。羽田空港と都心を直結するJR東日の新路線「羽田空港アクセス線」の工事予定

    JR田町駅近くに石垣出土、高輪築堤か…新路線「羽田空港アクセス線」工事に影響も
  • 変貌する渋谷駅「今しか見られない」巨大駅の一面

    のちに山手線の一部となる日鉄道の品川―赤羽間が開業した1885年3月1日に、新宿、板橋と同時に渋谷駅も開業した。つまりは当時、丘陵上に田園地帯が広がっていただけの山手線の沿線にあって、渋谷には一定の人口の集積があり、交通の要衝であったのだ。 東の宮益坂、西の道玄坂に代表されるように、渋谷とは地名の通り、渋谷川(隠田川)と宇田川の合流地点の深い谷底に位置する町で、今も起伏が激しく坂道が多い。 東京でも屈指の駅に成長 開業日の渋谷駅の乗降客は皆無であったと伝えられる。現在は1日平均約29万人(2022年度)が乗車する、JR東日でも屈指のターミナル駅へと成長した。東急電鉄、東京メトロ、京王井の頭線も乗り入れ、人の流れは絶えない。 渋谷の町自体が古い歴史を持っている。地名の由来には諸説があるが、相模国高座郡渋谷荘をルーツとする武士、渋谷氏が領有した土地であるがゆえとの説が有力だ。渋谷荘は現在の

    変貌する渋谷駅「今しか見られない」巨大駅の一面
  • 日本経済支えた北海道のニシン漁と「国鉄岩内線」

    北海道岩内町は、小樽市から北海道中央バスの高速いわない号で1時間半、北海道新幹線の新駅の建設が進む倶知安町からはニセコバスで45分ほどの場所に位置する日海沿岸の港町で、1985年までは函館線小沢駅より分岐する国鉄岩内線の終着駅があった。 岩内町の歴史は古く、すでに室町時代から和人の村があったと伝えられているほか、江戸時代後期に群来したニシンによってニシン漁の街として大きく栄えた。筆者の母方の祖先も、江戸時代後期から蝦夷地と呼ばれていた北海道のニシン漁に携わり、青森県となった津軽藩の鰺ヶ沢から岩内へと移住したニシン漁師の1人で、その後、鮮魚卸商に転身した尾崎和次郎という。 現在でも岩内町内には和次郎の長男が漁師だった父を偲び、海の安全を願って大正時代に建立した地蔵が現存している。 江戸時代からニシン漁で栄えた北海道岩内町 岩内町が大きく発展を始めたのは江戸時代後期にあたる1700年代後半

    日本経済支えた北海道のニシン漁と「国鉄岩内線」
    soramimi_cake
    soramimi_cake 2022/12/20
    阿部比羅夫の後志侵攻は(仮に史実だとしても)605年ではなく659年しコマシャインって何…(他の記述も全般的にこんな感じなのかしら?つか東洋経済校閲しろ)
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